月とハーモニカ





それはある満月の夜のこと―
アパートの部屋で銀次がリュックの整理をしているときだった。
コトッ……そんな音と共にある物が床に落ちた。


 「銀次…なんか、落ちたぞ?」
蛮にそう言われ、えっ?と言いながら銀次は床に落ちたその物を取り上げた。
 「それってハーモニカだろ?そういやいつもそん中に入ってンよな…」
蛮が指し示したのは銀次が肌身離さず持っているリュック。
ハーモニカはいつもそのリュックの底に隠れるように入っていた。
 「大事そうに持ってンよな…誰かから貰ったのか?」
蛮にそう聞かれ、銀次はハーモニカを握り直して、うん…と頷いた。
 「このハーモニカは…無限城時代にね……天子峰さんから貰ったんだ」
 「天子峰って…お前を育ててくれたっていう…あの?」
 「うん。その天子峰さん」
銀次が笑顔を作って蛮に見せる。だがその笑顔は何処か曇っているようだ。
 「いいよ、無理して言おうとすんな…その…話したくなった時でいいから」
蛮は銀次の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。だが、銀次はふるふると首を横に振った。
 「ううん…言いたい。蛮ちゃんに、今…聞いて欲しいんだ…」
銀次は真剣な眼差しで蛮を見つめた。
そんな銀次の眼差しに負けた蛮は、首を縦に振った。
 「おぉ、分かった……。んじゃ、聞いてやんよ」







銀次が居た頃の無限城時代―
殺戮と犯罪が日常茶飯事だった時代―
昨日まで居た人が今日は居ない…それが不思議ではなかった時代―
人の死を悲しんでいる暇など無かった時代―
そんな地獄のような毎日が繰り返される時代だった。
しかしそんな地獄でも、銀次の周りだけはいつも笑いが絶えなかった。
いつも光が射しているように―
まるで花が咲いているように―
銀次の周りは明るく輝いていた。皆、銀次の笑顔に癒されていたのだった。




そんな銀次が天子峰からハーモニカを貰ったのは、銀次が14歳の誕生日の時だった。




 「ほらよ、銀次。誕生日プレゼントだ」
小さな箱に入れられた銀色のそのモノに銀次は首を傾げた。
 「何…これ?」
ソレは無限城では見たことすらないものだった。
不思議そうにソレを見つめる銀次に、天子峰はククッと笑いながら答えた。
 「それはな、銀次…ハーモニカっていう楽器だ」
 「ハーモ…?」
 「ハーモニカ」
 「へぇ〜…ハーモニカっていうんだ…」


外の世界を何ひとつ覚えていない銀次は、天子峰から教えて貰うこと全てが新鮮そのものだった。
そしてハーモニカも銀次にとってはどうやって音を出すのかさえ分からなかった。
そのため、叩いたり振ったりして何とか音を出そうとするが、出るわけがない。
天子峰はそんな一生懸命の姿の銀次が可笑しくて、思わずプッと吹きだした。


 「あっ!ひど〜いっ!天子峰っ…オレ、これでも真剣なんだからね!」
銀次の頬が風船のようにぷうっと膨れる。天子峰は悪い悪い…と謝りながら、
座り込んでお手上げ状態と言った感じの銀次の横にしゃがみ込んだ。
 「…ほら、貸してみろ」
 「うん」
銀次からハーモニカを受け取った天子峰は、指で差しながら説明をしだした。
 「これはな、此処に口を付けて、息を吸ったり吐いたりしながら音を出すんだ」
 「へぇ〜…そんなんで音が出るんだ?」
半信半疑な銀次の手に、天子峰は再びハーモニカを置いた。
 「論より証拠。ほら、やってみろ」
 「うん!」


銀次は何度か深呼吸をしてから恐る恐るハーモニカに口を付ける。
そして静かに息を吸ってみる。すると―
ハーモニカからピーッという小さな音が出た。
銀次は目を輝かせ嬉しそうな顔で、隣にいる天子峰を振り返る。


 「音が出た!」
 「…ああ。出たな」
 「うん!綺麗な音だったv」


銀次は満面の笑みで微笑んだ。
それから銀次は今度は小さく息を吐いてみた。すると―
再びハーモニカからピーッと小さな音が出た。
銀次は嬉しそうに続けて息を吸ったり吐いたりしてみる。
しばらくして落ち着いたのか、銀次はようやくハーモニカから口を離した。


 「…これがハーモニカっていうんだ」
 「ああ」
 「ありがとう、天子峰♪」


外の世界からのプレゼントに、銀次は心から喜んだ。






その日から銀次の一番のお気に入りはハーモニカになった。
暇さえあれば、いつも友だちや小さな子供たちの前で吹いて聴かせていた。
決して音感は良い方ではなかったのだけれど、
『音楽は心で弾くもんだ』と天子峰に言われた言葉を思い出し、銀次は心を込めて演奏をしていた。
そして天子峰が仕事から帰る頃は、いつも窓から聞こえてくるハーモニカの音色に迎えられながら帰ってきていた。

 「ただいま、銀次。へぇ…だいぶ上手くなったな」
天子峰に褒められると銀次は嬉しそうに天子峰の傍に駆け寄ってきた。
 「お帰り、天子峰っ!今日ね、実は一回も間違わないで一曲吹けたんだよv」
 「へぇ〜、すごいすごい」
天子峰に頭を撫でられ、銀次はますます嬉しそうに微笑んだ。
―と、撫でていた天子峰の手が止まる。
どうやら部屋にある古ぼけたラジオから聞こえてくる曲を聴いているようだった。
 「天子峰…いつもこの曲、聴いてるよね?」
 「…そうか?」
 「天子峰…この曲、好きなの?」
 「…あぁ」
 「へぇ…良い曲だね。何て言う曲?」
 「フルムーン」
 「フル…?」
 「フルムーン…。満月って言う意味だ」
 「へぇ…フルムーンか…」

―よしっ、決めた!

その翌日から銀次はその曲を練習し始めた。






 「銀ちゃん…それ、なんて曲?」
 「ねぇ、銀ちゃん。そんな曲よりも、いつもみたくもっと明るい曲吹いてよぉ〜」
 「ねえ〜、銀次さんってばぁ」
聞いたことのない静かな曲に飽きてしまった皆は他の曲を要求した。
しかし銀次はハーモニカを銜えたまま首を横に振った。
 「ダメ!だってこの曲は天子峰が好きな曲なんだ。
オレ…ハーモニカを貰った御礼に、この曲を天子峰に吹いてあげたいんだ」
―銀次は来る日も来る日も、ずっとその曲ばかり練習していた。






 「…で、その曲を天子峰には聴かせたのか?」
蛮の問いに銀次は俯いて小さく首を横に振った。
 「ううん…結局吹けなかった…」
 「…なんで?」
銀次は思い出すかのように瞳をそっと瞑った。そして、ポツリポツリと語りだした。
 「その年の…秋頃かな?急に中層階からの攻撃が激しくなって…本当に毎日が戦場だった…。
オレたち夜も眠れない程いつも奴らの影に脅えて暮らしてて…とてもじゃないけどハーモニカなんて吹いている
余裕がなかった。オレらがいつも集まって遊ぶ場所も…みんなの…死体とかで歩く場所も…なくて…」
銀次の瞳に段々と涙が溜まり、声が震えてくる。
 「オレ、みんなを助けてあげられなかった…あの頃のオレは本当に無力で…
 守りたい人もいたのに守ることさえ出来なくて…」
 「銀次…」
 「そして…オレは雷帝になって…天子峰さんに捨てられて独りになって…でもその後士度やカヅッちゃんや
マクベスや…無限城のみんなと出逢って…少しでもロウアータウンのみんなを無限城の地獄から救いたくて、
VOLTSを結成して…そして蛮ちゃんに逢って無限城を出て今こうして一緒に暮らして…だから…」
銀次は其処で一旦言葉を止めてから再び続けた。
 「だからあの曲を天子峰さんに聴かせてあげることは出来なかったんだ」
 「銀次…」
 「でもオレ、練習したんだよ?いっぱいいっぱい…練習したのに…」
銀次の瞳から溜まっていた涙がポロポロと零れ落ちてくる。蛮はそんな銀次を優しく抱き締めた。
 「もういいよ、銀次」
 「…っく、蛮ちゃぁんっ!」
背中に回っている銀次の手が蛮のシャツをぎゅっと握りしめる。そして声を押し殺して泣く銀次。
蛮は何も言わず、ただ銀次の髪を優しく掻き混ぜていた。






ようやく涙が落ち着いたらしい銀次の姿を確認してから、蛮はある提案をした。
 「なあ、銀次?」
 「……えっ?」
 「吹いてみろよ、ハーモニカ」
 「えっ…今?こ、此処で…?」
 「今でも吹けるんだろ?天子峰に聴かせたいって言ってた曲」
 「うん…あれから練習してないけど…多分まだ吹けると思う…」
 「んじゃ、決まり!」
蛮は銀次の手を取ってベランダへと出た。空からは少し雲が懸かった満月だけが二人を覗いていた。




 「なんか…恥ずかしいよ」
 「何言ってンだ!昔はもっと大勢の所で練習してたんだろーが!」
 「うん…そりゃそうだけど…蛮ちゃんの前って言うのが…」
 「なに今更恥ずかしがってんだ。それによ、ほら…もしかしたら天子峰も聴いてるかもしれねえじゃねぇか」
 「えっ…天子峰さんが?」
 「ああ…この空は何処までも続いてんだ。お前が聴いて欲しいって願いを込めて吹けば…
きっとその音は天子峰にも通じるさ!」
 「蛮ちゃん…」
 「それによ、『音楽は心』―なんだろ?」
 「うん!」
銀次は満面の笑みで微笑んだ。そしてスウッと息を吸うと静かにハーモニカを吹き始めた。






―綺麗な曲だった。
静かだけれど、心に染みいるような綺麗な曲。
銀次は天子峰への感謝の思いを込めて、心を込めて演奏した。
ハーモニカの綺麗な音色が裏新宿の夜の街に溶け込んでいく―






天子峰さん…聞こえますか?








〜End〜





作:2003/04/04