一寸先も見えない闇の中を、聖はひとり、歩いていた。
空からは小糠雨が降っていた。
―(ここ、何処やろ…)
聖は歩みを止める。
前後左右周りを見渡しても何も見えない。
もはや自分が歩いているのか、立っているだけなのかさえも分からない。
だが、パシャン、と水たまりを踏んで初めて自分が歩いていることに気が付く―
それでも今自分が何処にいるのかが全く分からない。
だから聖は不安になる。
―(ユミちゃん…どこやろ。どこに居るんや)
不安になるとすぐに思い出す大切な者の存在。
「ユミ…ユミちゃん!ユミちゃぁん!ユミちゃあぁ〜んっ!!!」
大きな声で何度叫んでみても辺りからはなんの反応もない。
それで少し寂しくなる。
聖は再び歩みを止めた。
肩を落とし俯いたまましばらくその場に立ちすくんだかと思いきや、突然気合いを入れるかようにパンッと思い切り自分の頬を叩く。
「いっつぅー……」
手加減無しだったのか痛さに思わずしゃがみ込むが、再び立ち上がり大きく深呼吸をする。
「なにへこんどるんや、オレ!!よっしゃー、いくで!!」
―(せや!このまま歩いていけば絶対にユミちゃんに出逢えるはずや!!)
その自信は一体何処から来るか分からないが、再び前へ前へと力強く歩き出した。
暗闇の中をしばらく歩いていると、突然見たことのある景色になる。
―(あれ?ここは…)
認識した途端、辺りがパアッと鮮明になる。
そう、ここは聖たちのマンションの近くにある小さな公園。
―(なんでオレ、公園なんかに居るんや?)
小首を傾げながらも知ってる場所に出て安心したのか、聖は足早にその公園を出ようとした。
そして家に帰ろうとした―弓生が待っているマンションへ。
すると公園の入口近くに、視線の先にひとりの人物が飛び込んできた。
月に雲が掛かっているため、最初は真っ暗で何も見えなかったが、雲が移動して月灯りが差し込むと段々とその人物が明らかになる。
その人物は…。
「あれ?ユミちゃん」
聖は一目散に走り寄る。
「どないしたんや?いや、何処に居ったんや?もう、心配したんやで?」
さっきまでの不安は何処へやら、弓生と会った途端に元気になった聖は一気に捲し立てる。
「しかもいつから居ったんや?こんなに濡れてるやんか。風邪引くで?」
空からは相も変わらず小糠雨が落ちている。
聖はしゃーないなあと言いながら雨を払ってやる。
そうしている内に端と気付く。
「そういやオレもビッショリや…人のこと言えんな」
あははと笑いながら自分に付いている雨粒も払う。
「それにしてもえらい雨やな?今日雨降るて、天気予報もゆうてなかったよな?」
だが、弓生はなにも言わない。
「…ユミちゃん?」
全く反応しない弓生に聖は小首を傾げる。
「まさか寝てんのかい?おーい!」
そんなはずがあるわけないのだが、確認しようと聖は大真面目に目の前でひらひらと手を振る。
「ん?まさかほんまに?」
そして弓生の顔を覗き込もうと更に一歩近付いた時だった。
弓生の視線が動き、聖を見つめる。そして聖を包み込むように抱き締める。
聖はホッとしたかのように弓生に身体を預けた。そして笑顔で見上げる。
「ユミちゃ…」
だが聖が弓生の名を呼ぶのとほぼ同時に―。
信じられないことに弓生の手刀が聖の躰を貫いていた。
「…え?」
突然の痛みと衝撃に聖は自分の躰を見る。
そこには確かに自分の急所を貫いている弓生の手刀があった。
「なんで…?」
今の状況が聖には全く理解できない―
聖は気力で顔を上げ、再び弓生の顔を見る。
その弓生の顔は―なんと、笑っていた。
「…ユミ」
痛みと苦しみの余り、声にならない―。
―(嘘や。こんなの冗談や)
弓生が自分を殺すなんて有り得ない―。
しかも笑っているなんて…。
ズブリという鈍い音と共に聖の躰から手刀を引き抜くと、同時に、聖は肺から遡ってくる苦い血液の塊を、ゴボッと吐き出す。
自力で立っていることも出来ずに、ずるずると弓生の身体から崩れ落ちる聖の躰。そしてそのままドサリと地面へと倒れ込む。
傷口を必死に抑えるも血は止まることを知らないように流れ続けている。
何度もゴボッと血の塊を吐きながらも聖は弓生を見上げる。だが段々と意識が遠ざかる―。
それでもなんとか飛びそうになる意識を掴み取り、ゆるゆると弓生へと手を差し伸べる。
「…ユ…ミちゃ」
嘘であって欲しい。この手を取って「冗談だ」と言って起こして欲しい。この痛みも今の状況も、そんな自分に対する弓生の妖艶な笑みも、全て嘘であり冗談であり―。
だが聖の願いも虚しく、それどころか逆に弓生は必死で延ばす聖の手を踏みつけた。
「…つっ!」
そのまま片足で聖の手を踏みつけながら、地面に片膝を付く格好で弓生は聖の顔を覗き込んだ。
そしてあざ笑うかのように笑った。
「これでようやく貴様から解放される…貴様の相手はもううんざりだ―頼むから早く死んでくれ」
それが聖が聞いた最後の言葉だった。
聖は一筋の涙をこぼしながらこと切れた。
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