聖の異変はある朝いきなり起きた。
「どっひええぇぇ~っっ!!!大変やあぁぁ~っっっ!!!」
大音響で叫んだ後、ノックと言うより叩き殴ると言った様子で弓生の部屋をノックする聖。
「ユミちゃんユミちゃぁんユミちゃあぁんっっっ!!!」
壊れるのではないかと思うほどドアをノックされ、弓生は怪訝そうに眉を顰め、時計を見る。
時刻は未だ午前6時前。
だが、そんなのお構いなしに部屋のドアを叩き続けている聖。このままでは確実に近所から苦情が来る―というより、この部屋は疎かマンションまでも破壊する勢いだ。
弓生は仕方ない、と渋々立ち上がりドアノブに手を掛けた。
「聖…朝っぱらから一体なにを騒いで居るんだ」
やれやれと言った調子で部屋のドアを開けた途端、弓生は目を疑った。
「………」
そして何も見なかったかのようにドアを閉めた。目の前で開いたと思った扉が再び閉ざされ、聖はまたドアをドンドンと殴り叩く。
「ちょっ、なんで閉めるんやー!!ユミちゃぁ~んっ!!」
気持ちを落ち着けるように深呼吸し、弓生は再びドアを開けた。
「ユミちゃん」
「………聖…か?」
疑問系ではあるが、確かめる必要もなく目の前にいるのは、確かに聖そのもの―。
蛇目でもなんでもない、いつもの聖の顔だ。
だが―。
だが―。
聖の頭から生えているのは、正しく可愛らしい耳―。
そしてお尻から生えているのも、正しく可愛らしい尻尾―。
弓生は自分の眉間に指を当て、これ見よがしに大きく溜息を吐いた。
「聖……こんなに朝早くからなにをふざけている」
「ふざけてるんやあらへん!オレかてビックリしとるんや!今、顔でも洗おと思て洗面所の鏡見たらこないなってて…」
言いながら聖の声が震えてくる。
「本物…なのか?」
「冗談でこないなもん付けるわけないやろ!」
怒りながらも聖の瞳はうるうるとしている。
「聖…」
そしてその場にへたりこみ、遂に泣き出した。
「うわぁ~ん!やっぱりオレはビックリドッキリ人間なんやー!」
夜刀さんの次は猫かい…と聖は悲嘆に暮れている。
だが、泣いている聖とは裏腹に耳と尻尾が可愛らしくピクピクと動く。その姿が余りに愛くるしく、弓生は思わず耳をクイッと引っ張ってみた。
「…なにしとるんや、ユミちゃん」
「いや、本当に本物かどうなのかを確かめようと…」
「アホか!せやからさっきからそう言うてるやろ!?大体そないなことしとるヒマあったら、どないしたらええのか一緒に考えてくれてもええやんかー!ユミちゃんのいけずー!!」
ポロポロと聖の瞳から大粒の涙が零れてくるものだから、弓生は、すまんと呟くと聖の頭の上に優しく手を置いた。
「分かった…。一緒に考えてやるから、先にリビングに行ってろ。着替えたら行くから」
「ほんまやで?直ぐ来てや?」
ずずっと涙を啜りながら聖は振り返り、その場を立ち去った。
弓生はその後ろ姿をしばらく見つめて後、ドアを閉めた。
******
「さて…何故こんなことになったのかだが、昨日の行動をもう一度思い出して見ろ」
なにかきっかけになるのでは…と、弓生は聖に問いた。
すると聖は、ん~と考えた後、ポンッと手を叩いた。
「昨日はユミちゃんとは別に怨霊退治に行ったやろ?」
「ああ、確かにそうだったな…。だが、昨日の怨霊はお前がてこずるような相手でも、猫の怨霊でもなかったはずだが?」
「確かにそうなんや…。そこに居った怨霊自体は大したことなかったんやけど…」
「だったら何故そう言う事態を招いたんだ?」
「ん~………。あっ、そうや!」
「なにか思い出したか?」
「うん!あんな?怨霊が居った場所に猫の霊が居ったんや!なんやそのタチの悪い怨霊に襲われとって、助けてやったんや。ほんで、その怨霊封じる時にそこに居ったら巻き添え食うかもしれんから危なくない場所に隠れとり?って言うたんや」
「…それで?」
「けど、封じ終わった時にはその猫は居らんかった。……っちゅうことは!?」
ああ…と弓生は頷いた。
「その猫の霊に間違いないな…。恐らくお前の中が一番危なくないと踏んだのだろう…。まったく、夜刀と言い今回と言い、よくよく憑かれるのが好きなヤツだ」
「別に好きで憑かれてるワケやあらへん!」
むーっと口唇を尖らせる聖。その仕草に比例するかのように耳と尻尾がピンッと張る。
その姿は聖に言うと怒るので言えないが、何とも言えずとても愛らしい。
…かと思ったら一気に瞳を潤ませ、ガックリと肩を落とす。
「オレはどないしたらええんや…こんな姿じゃ買い物にも行けん」
肩を落とす聖に比例するように、今度は耳と尻尾も一緒に垂れ下がる。
その姿もまた、とても愛らしい。―本人には口が裂けても言えないが。
弓生は何かを吹っ切るようにコホンと咳払いをすると、立ち上がった。するとその音に耳がピクンと立つ。
「事情は分かった。とにかくその猫を祓うことが解決方法だな」
「どっか行くんか?ユミちゃん」
縋るような瞳で見つめられ、弓生は聖の頭の上に手を乗せて、優しく撫でた。
「神島家に行ってくる…。そして祓い専門の術者を連れてくるから待っていろ」
「ユミちゃん、オレを一人で置いてく気か?オレも一緒に行くっ!」
「行きたいのなら連れていっても構わんが」
弓生は一旦止め、言葉を選ぶように続けた。
「達彦にその姿を見られてもいいのか?」
すると聖は千切れるのではないかというような勢いで首を横に振る。
「イヤや、イヤ!絶っっっっ対にイヤや!」
予想していた反応に弓生は心の中で苦笑した。
「そう言うと思った。だが、祓い専門にしてもかなりの腕の持ち主でないとお前まで一緒に祓われるからな。…探すのに時間が掛かるかもしれん」
「掛かる、て…どのくらい?」
「恐らく今日戻るのは無理だ」
「そんなぁ…!!せやったら今日は外出出来んやんか」
「仕方ないだろう…。腕の立つ術者はそうそういない。達彦は絶対嫌なのだろう?」
「絶っっっっ対、イヤや!!!」
するとハッと何か思い付いたように聖が顔を上げた。
「せや!三吾とか佐穂子はどうやろか?アイツらも一応術者の端くれやし」
「アイツらが祓いが得意だと言う話は聞いたことはないな」
「……オレもない」
「それに今のアイツらの腕だったら、お前も一緒に祓われる危険がある」
「……確かにそうやな」
再びガックリと肩を落とす聖。
だが、こんな所の話題に出された次期当主の立場は一体…。
そんなとき、聖が急に胸に手を当てた。
「どうした?」
「いや、コイツがなんか喋っとる。………って、ニャンニャンじゃ分かるわけないやろ?」
自分の胸に向かって叫んでいる図。端から見ると危ないヤツである。
すると今度は心に直接心で語り掛けてくる。それで言っていることが分かるらしい。夜刀と同じ方法だ。
聖はしばらく、うんうんと頷いていた。
―が、話も終わったのか、その猫に向かって大きく頷いてから聖は顔を上げた。
「なあ、ユミちゃん。コイツやっぱりさっき言うたみたいに、危なくない場所に逃げよう思てオレん中に隠れたら出れんようになったんやて」
「そうか」
「せやから、かんにんて。…あと、よろしゅう頼むって言うてるわ」
「分かった…。じゃ、行って来る」
その言葉に聖はうん、と頷くと弓生に背広を手渡し、弓生はその背広を腕に掛けた。
「気ぃ付けて。…ホンマに早よ帰って来てな?」
「ああ…。なるべく早く帰るから良い子で待っているんだぞ?」
いつもは子供扱いすると怒る聖だが、今日ばかりは違った。
弓生の言葉に、素直にうん、と頷く。
そしてドアが閉まる直前に見えた聖の顔は、今にも泣き出しそうな顔だった。
そんな表情と縋るような瞳で見送られ、後ろ髪を惹かれる想いで弓生はマンションを出てBMWを走らせたのだった。
~続~ |