硝子 T






正月二十六日―大江山が壊滅した。







 高遠はこの事実をどう鬼同丸に切り出そうかと悩んでいた。
 少しずつだが自分に対し笑顔を見せるようになった鬼同丸―その笑顔を失うことが怖かった。
―(何故怖いんだ?)
 自分の中に芽生えた“愛しい”と思う感情の意味が分からず、高遠は空を見上げる。
 空からは白く冷たいものがひらひらと静かに舞い降りてくる。
 先延ばしには出来ない―これ以上黙って置くことは出来ない―
 けれども―
「高遠?」
 呼ばれてハッと我に戻った高遠は振り返る。するとそこには不思議そうに自分を見つめる鬼同丸の姿があった。
「どないしたんや?ボーっと空見上げて…寒いの苦手や言うてなかったか?」
「………」
「なんや今夜は大雪になりそうな天気やな?そう思わへん?」
 笑顔で問い掛ける鬼同丸だが、高遠は素っ気なく応じる。
「…何か用か?」
―(あるのは自分なのに)
 だが高遠は切り出せない。
 そんな高遠の心中を知るわけなく、会話にならんヤツやなぁ〜…とブツブツ文句を言いながら鬼同丸はカリカリと頭を掻く。
「いや、お前に用やのうて…じーさんどこに居るか知らんか?」
「晴明様なら御用で外出されている。戻りは明後日だ」
「せやったら、お前一緒に行かんでよかったんか?」
「今回は付き添いは必要ない―と言われた」
「そか…なんや留守か〜!せやったらどないしようかなー、これ」
 そう言いながら空に向けて放り投げては受け取るというキャッチボールをしていたのは―。
「なんだそれは?」
「見りゃ分かるやろ?柿や。まあ、時季外れやからマズイかもしれんけど、じーさんにやろ思て」
 空高く放った柿を見事にキャッチし鬼同丸は微笑む。
「じーさん、柿好きやろ?」
「…盗んだものじゃないのか?」
「ちゃうわい!これはホンマに道に落ちてたんや!」
―(だったら尚更そんなものを晴明様に持って来るな!)
 そう言うような目で見られ、鬼同丸はプイッと横を向く。
「ま、ええわ…ひとりで食お。ええもん」
 拗ねるように繰り返しながら踵を返そうとする鬼同丸。そんな鬼同丸を高遠は咄嗟に呼び止めた。
「鬼同丸!」
「なんや?高遠もやっぱりこれ食いたいんか?」
「そんなものはいらん!」
 素っ気なく言われ、鬼同丸はむーっと頬を膨らませる。
「せやったらなんの用や?」
 高遠は口を開きかけたが、鬼同丸から目を逸らす。
「……なんでもない」
「なら引き留めんなや!」
 変なヤツやなーと文句を言いながら鬼同丸はその場を立ち去った。



―言えなかった。あの笑顔を失いたくなかった。



 高遠は再び空を見上げた。
 鬼同丸の言うとおり、今夜は大雪になりそうな雲だった。
 まるで泣き出す寸前の―雲だった。






「腹減ったなー」
 夕飯の時間まではまだかなりある。鬼同丸は何かつまみ食いをしようと土間を覗いた。
 土間では煮物か何かの良い香りがたちこめており、鬼同丸はクンクンと鼻を鳴らす。
「旨そうな匂いやなー…つまみ食いしたら怒られるやろか……よっしゃ!」
 一声掛けてからつまみ食いしようと決めた鬼同丸は土間へと降りた。
「おーい、誰か居らんか?ちょっと食ってもええかぁ?」
 両手を口に当てメガホンの要領で叫んでみたが、返事は返って来なかった。
「変やなー、晩メシの支度中に誰も居らんなんて…っちゅうか、火事にでもなったらどないするねん!」
 取り敢えず煮物の火を弱め、味を見る―。
「ん〜、オレはもうちょい濃い方がええけど、じーさんは塩分取りすぎたらあかんから、まあこれくらいでええか」
 すると土間の外で人影が見えた。どうやら数人で話し込んでいるらしかった。
 鬼同丸は『火ぃ弱めておいたけどちゃんと見とかな危ないで?』と伝えようとしたが、話している内容が耳に届いた瞬間、鬼同丸の時間が凍り付いた。


「知ってるかい?大江山が壊滅したんだって?」
「そうそう!大江山に居た鬼共も全員退治したって」
―(大江山が壊滅…?鬼を退治…?なに…こいつら、なに言うてるんや)
 鬼同丸の身体が震える。そんな冗談は今すぐ止めろと言いたいのに声が出ない。身体が―動かない。
「でもほら!一人生き残ったのが居るって…えーっと」
「ああ、茨木童子?」
―(茨木…茨木は生きとるんか)
「でも茨木童子も渡辺綱に斬り掛かって返り討ちにあって死んだって聞いたわよ?」
―(返り…討ち?……死んだ?)
「でもよかったなー!これで都も安泰だな!」
「そうよね!鬼が居るなんて怖いものね」
「ほんとほんと!鬼なんて迷惑以外の何者でもないものね!退治してくれて清々したわ」
 心ない者たちの言葉―鬼同丸はギュッと拳を握る。
―(嘘や嘘や嘘やっ!)


「そんなん嘘やー!!」
 突然飛び出し、食ってかかる鬼同丸にそこにいる者たちがキャッ!と声を上げる。
「お前らなに下らない冗談言うてるんや!!」
 取り敢えず一番手近な所にいる使用人の男の襟首を掴む鬼同丸。
「なに?こいつ」
「最近晴明様が拾ってきた男だよ」
「大きい声では言えぬが、晴明様も何処の馬の骨とも分からない人をよく拾いなさる…困ったお方だ」
 その言葉に鬼同丸はカッとし、拳を振り上げる―その時だった。
「止めろ、鬼同丸!」
 自分に掛かる声に鬼同丸はハッと振り返る―高遠だった。
「高遠っ!」
「いいからその手を離せ、鬼同丸」
「けど…」
「鬼同丸!」
 低い声音で言われ、鬼同丸は渋々手を離すと、襟首を捕まれていた使用人は襟元を正しながら冷ややかな目で鬼同丸を見た。
「けどっ、けど高遠っ!」
 すがるような瞳で高遠の傍まで駆け寄って来て、鬼同丸は瞳を潤ませる。
「こいつら…こいつらが変なこというんや!大江山が…みんなが…茨木が死んだって」
 その言葉に、一瞬高遠の瞳が驚愕の色を表したが、直ぐに元に戻る。
 そして使用人に頭を下げる。
「申し訳ありません、お騒がせしました」
「なんで?なんで謝るんや?」
 驚きの表情が隠せない鬼同丸。
「いいけどよ、ちゃんと躾といてくれよな」
「はい、そういたします…鬼同丸、こっちに来い!」
「なんでや?」
「いいから来い!」
 振り解くことの出来ない力で引っ張られ、鬼同丸は高遠の部屋へと連れて来られた。






「なんでや、高遠!なんであないなこと言うヤツらに頭下げなならんねん!」
「別に頭を下げること自体なんでもない―お前は山を下りたばかりで何も分かっていないが、此処に住むからには此処での仕来りと言うものが必要なのだ」
「なんやそれ?分からん」
「晴明様が…あのお方が悪く言われるようなことだけはするな―ということだ」
「けどっ、あいつらオレの仲間が死んだって…」
 震えるような声で言葉を吐き出す鬼同丸。高遠はフウッと小さく息を漏らした。
「鬼同丸…お前が酒呑童子だと言うことを知っているのはこの屋敷の中でも極僅かの人間だ―少なくともあそこにいた連中はお前が大江山にいた酒呑童子だと言うことを全く知らない―恐らく予想すらしてないだろう」
「それがどないしたんや?オレには関係ないやろ?」
 強気な口調とは裏腹に、身体も声も震えている鬼同丸。
「あいつら下らん冗談言うてからに…殴らな気が済まんかったのになんで止めたんや!」
「真実だ」
「えっ…?」
 余りにも端的な言葉に鬼同丸の瞳が再び揺らぐ。
「あの者たちが話していた内容は全て―真実だ」
「嘘や…なんで…」
 鬼同丸は思わず高遠の襟首を掴む。そしてそのままグイッと引き寄せる。
「なんでお前までそないな嘘付くんやっ!」
 鬼同丸の声が震える。瞳には今にも零れそうな涙をいっぱい浮かべて―
 だが、高遠は淡々と言葉を続ける。
「つい先日のことだ。朝廷は和議の申し入れと偽り山へと入った。そして鬼たちを安心させ砦を開かせた所を潜ませていた兵に襲わせた―」
「朝廷が―あいつらを騙して殺した、言うんか?」
「そうだ。そして攻められた大江山は一夜にして壊滅したそうだ―炎の紅蓮と血の朱に染まって」
「壊……滅」
 鬼同丸は口の中でその言葉を繰り返す。それから掴んでいた高遠の襟首を離した―そして俯いたまま両脇で拳をグッと握る。
「オレが…オレが居らんかったから壊滅したんか?オレのせいなんか?」
「そうではない―お前が来る前から大江山が壊滅することは決まっていた」
「…は?なんやそれ…どういう意味や?」
「言葉の通りだ―晴明様はお前が来る前から壊滅することをご存知だった。そしてそのことは俺も聞かされた」
「…なら、なんでオレが此処に来たときに言うてくれんかったんや!」
「言えなかった」
「なんでや?」
「言ったらどうした?お前は大江山に戻ったのではないか?」
「そんなん当たり前やろ!オレは頭領や!仲間が困ってるのに助けてやれんで何が頭領やっ!」
 ついに鬼同丸の瞳からつうっと涙が一筋零れる。その涙をものともせず、再び鬼同丸は高遠に詰め寄った。
「なあ?なんでや、なんで言うてくれんかったんや!」
「それはっ……!」
―(お前を死なせたくなかった)
 高遠は言葉を詰まらせた。
 自分はこの鬼が死ぬことを恐れている―何故?
「それは…そこまではお前には関係ないことだ」
 突き放されるような言葉に鬼同丸は傷付いたような表情を見せた。
「オレは信じてたんに…お前のこと信じてたんにっ!」
「鬼同丸…」
「オレは…あないな大事なことは、あんなヤツらからやなくて……高遠!」
 ポロポロと涙を流しながら高遠を見つめる。
「もし本当やったとしたら、お前の口から聞きたかったわ」
 グイッと涙を拭くが、一度溢れ出た涙はもはや止めることが出来なかった。
「鬼同丸…」
 高遠は躊躇するように手を伸ばす―が、鬼同丸はその手を叩き払い、キッと睨んだ。
「障んな!」
 叩き払われた手を押さえ、高遠は鬼同丸を見つめる。
「オレに障んなや…もうほっといてくれや!」
「鬼同…」
「帰らんっ!」
「………」
「もうこんな所には帰らん!」
「鬼同丸!」
「オレはあいつらの頭領や…あいつらは生きとる!オレは自分の目で見たもんしか信じんっ!」
 鬼同丸は部屋を飛び出した。その勢いで棚の上にあった硝子の置物が落ちて―粉々に割れた。




―高遠が一番恐れていた事態が起こってしまった。




「本当やったとしたらお前の口から聞きたかった」
 泣きながら訴えた鬼同丸の言葉が胸に突き刺さる。
 叩き払われた手の痛みよりも心の方が痛い―
 何故自分は伝えてやれなかったのだろう―
 せめて自分が伝えていれば鬼同丸は此処まで傷付かなかったのかもしれない―
 高遠の胸に初めて“後悔”という二文字が刻まれた。






信頼とは得るまでは時間が掛かるものなのに、壊れるときは何故こんなに呆気ないものなのだろうか―
儚くて壊れやすい、まるで硝子細工のように―






鬼同丸の姿は猛吹雪の中、一瞬にして消えて見えなくなった。






+続+







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高遠×鬼同丸です。しかも連載です!
大江山壊滅を知ってしまった鬼同丸を書きたかったのですが、
書いてみたら切なかった…(>_<)
考えてみたら仲間が亡くなったのを知ってヘラヘラ出来るわけありませんって!
ましてや仲間は人一倍に大事にする鬼同丸きゅんですから!
しかも相乗効果で高遠も悶々としてるし。
本当に高遠は鬼同丸により浮き沈みしてしまいますよね(笑)
まあ今に始まったことではありませんが…



作:2005/05/29