聖は誰にでも、人懐っこい笑顔を見せる。
―それは分かっている。
聖は鬼のくせに人間が大好きだ。
―それも分かっている。
聖には好きな人がたくさんいる。
―それは分かっている。
聖には大切な人がたくさんいる。
―それも分かっている。
いくら思い入れをするなといってもすぐに感情移入してしまう悪い癖。
―それも分かっている。
全て分かっている。
だってそれは遥かな昔から少しも変わらないことだから。
だけど―。
自分に見せる笑顔と同じ笑顔を、自分以外のモノにあまり見せて貰いたくない。
そう思うのは自分のエゴなのだろうか。
******
「聖。ワインもっとねえか?」
「ワインか?確かあるはずや。ちょっと待っててな?」
どこにしまったかなーといいながら聖がキッチンへと消える。
今日は三吾や佐穂子たちが来て、聖が手料理を振る舞っていた。
それはいつものこと。
いつものようにみんなと楽しそうにはしゃいでいる。
それもいつものこと。
時折、つまらなそうにしている弓生に気を使うように話し掛けてくれるが、弓生は気のない台詞を口にする。
だが、それもいつものことだった。
「こっちじゃないのか?」
しゃがみ込みながらワインを探していた聖だったが、突然背後から掛けられた言葉に驚いて振り返った。
「ユミちゃん」
そこにはつい先ほどまで、他の会話には一切入って来ず、ソファでひとり静かにビールを飲んでいた弓生がいたから。
「どっち?」
「こっちの棚だ」
そして弓生が指さした棚を見てみた。すると―。
「あった!ユミちゃん、よう分かったな」
聖が目を丸くしてワインを取り出した。
単に、聖が最初に探していた棚から、邪魔だという理由で隣の棚に勝手に移したのが自分だったから、ということは言えず。
だが少しも疑わない聖はおおきにと言って笑うと、弓生はいや…と閥の悪そうに小さく呟く。
すると聖は、心配そうに弓生の顔を覗き込んだ。
「なあ、ユミちゃん…」
「なんだ?」
「どっか具合悪いんか?」
「……なぜだ?」
「ん…なんや元気なさそうやし」
「……」
―(やはりコイツはよく見ている)
「具合悪いんなら、今日はアイツらに帰って貰おか?」
心配そうに覗き込む聖との距離が近い。
思わず弓生はフイッと視線を逸らした。
「大丈夫だ。別に具合は悪くない」
「そか。それならよかった」
聖はふわりと笑った。
「ほな、ユミちゃん。行こ?」
「ああ」
笑顔で弓生の前をすり抜けようとする聖。
だが弓生は思わず聖の手を取った。
「どないしたん?」
「お前にひとつ聞きたいことがあるんだが」
「なんや?」
「お前は―。三吾たちのことをどう思っている?」
単刀直入に聞かれ、聖は目を丸くした。
「どうって…好きに決まっとるやん」
「そうか…分かった」
小さく呟くと、弓生は掴んでいた手を離した。
「変なことを聞いてすまなかったな。早く持っていってやれ」
このあとの行動はほとんど無意識だった。
ワインを持っていこうとした聖の手を再び取り自分の方へと引き戻すと、そのままキッチンの陰へと隠れるように押し倒す。そしてそのまま強引に口唇を奪った。
聖は驚いたのなんのって。目を閉じる暇さえ与えられず、口唇を貪るように食われる。
「…っ、ん」
突然のことに驚きつつも、口腔を激しく犯され身体の奥が疼き頭の芯が痺れるような感覚に聖もいつしか瞳を閉じ、弓生の背中に腕を回そうとしたその時─。
「おーい聖ーっ!ワインあったかー?」
リビングから掛かった三吾の声に二人は我に返った。
因みにリビングからはこの位置は棚やらなんやらで死角になっており、見えることはない。
お互い気まずそうに視線を交わしたあと、弓生は立ち上がり、手を差し出した。聖は素直にその手を取り、起こして貰う。
―(なぜ突然こんなことをしてしまったのだろう)
「すまない」
「なんで?なんで謝るんや?」
聖の気持ちを一切考えずいきなり口唇を奪ったので非難の言葉が来ると思い覚悟していたが、当の本人の聖はふわりと笑った。
「具合悪いんかと心配したけど、元気そうでよかったわ」
こんなことで元気だと判断するのはどうかと思うが、弓生は救われた。
そして「ワインあったでー」とリビングに向かって大声を張る。
「ほな、ユミちゃん。今度こそ行こ?」
「ああ。行くか」
うん、と頷き、数歩進んだ聖。だが、突然くるっと振り返った。
「なあ、ユミちゃん。今のもしかして……ヤキモチ妬いてくれたんか?」
「え?」
その言葉に珍しく虚を突かれたような表情を見せた。
だが一瞬のこと。普段の無表情に戻る。
「なんだそれは。俺はそんな下らないもの、今まで一度たりとも妬いたことなどない」
冷たく言い切ると、聖はじーっと数秒間弓生の顔を凝視した後…。
「ぶっ!!」
突然噴き出した。
「聖?」
「ははっ!あはははっ!!ちょっ、ユミちゃんあんまり笑わせんといてっ!!」
「そこは笑うところか?」
「ほんまツボに入ったわ!腹痛いっ!くるしー!!あはははは!!」
そう言いながら腹を抱えて笑いだす。
「聖っ!!」
あまりの聖の爆笑に「どうした?」とリビングから声が掛かるが、答えられないほど聖は爆笑している。
「いい加減にしろ、聖。今ののどこが笑えるんだ?」
「せやかて…」
笑い過ぎて瞳に溜まった涙を拭き取りながら、聖が弓生を見た。
「ユミちゃん、もうちょい素直になろうや」
そう言って肩をポンポンっと叩いた。
「どういう意味だ?」
嫉妬などするわけないと思っている弓生には意味が分からない。
「まあええわ。せや、ユミちゃん」
「…なんだ?」
さんざん笑われたものだから、少しご機嫌が斜めだ。
だが、そんなのお構いなしに聖は微笑んだ。
「ヤキモチ、オレは嬉しかったで」
「え?」
「せやかて好きな人がヤキモチ妬いてくれるっちゅうことは、それだけ思ってくれてるっちゅうことやから嬉しいやないか」
「……」
「あとな、これだけは言うとく」
「なんだ?」
「確かにオレは、三吾も成樹も佐穂子もみんな好きや。大好きや」
「……それで?」
「せやけどな、ユミちゃんだけは特別なんや」
そう言って聖は満面の笑みで笑った。
―(ああ、この笑顔だ)
この笑顔に数え切れないほど救われてきた。
―ト・ク・ベ・ツ
たったそれだけの言葉なのに、悔しいが、かなり嬉しく、モヤモヤが晴れていく。
待たせたな〜と言いながらワインを持っていく聖の後ろ姿を見ながら、これからはほんの少しだけ素直になってみようと思った弓生であった。
〜終〜
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