貴方を愛した記憶 PageX






 「ただいま」
 「た…ただいま…」
 「何遠慮してんだ?さっさと入れよ。さみぃだろーが」
 「う、うん…でも」
蛮はフッと笑うと、入るのにまだ躊躇している銀次の頭を優しく撫でた。
 「此処がいつも話してる俺らのアパートだ。此処はオレとお前、二人の家。…だから遠慮してんじゃねぇよ」
 「じゃあ…お邪魔しまぁすv」
銀次がニッコリと微笑み、靴を脱いで静かに歩き出すと、蛮はゆっくりとその後に続いた。
記憶を失ってから見る始めての病院以外の景色。
銀次はその景色が新鮮なのであろう、キョロキョロと辺りを見回しながらリビングへと向かう。
洗面所にあるコップに差してある二本の歯ブラシ―
戸棚に閉まってあるお揃いのマグカップと全てお揃いの食器の数々―
これが自分がこの部屋に住んでいるという証拠なのか…
銀次は心からホッとしたし、嬉しくもなった。
…此処にオレは住んでたんだ…此処にいる蛮ちゃんと一緒に…






 「何ボーっと突っ立ってんだ?座れよ、今日は色々疲れたろ?」
電信柱の様に止まったままの銀次の背後から声を掛ける蛮。
銀次は振り向いて蛮の顔を確認すると、えへへと笑った。
 「ううん、大丈夫!」
 「でも座れ!…つーか少し休んだら出掛けなきゃなんねぇから」
 「何処に行くの?」
 「ホンキートンク…見舞いにも来てくれた波児―覚えてんだろ?ソイツの店。
夕方からお前の退院祝いをやるんだとよ。みんなその準備があるから病院へ迎えに行けなかったんだ」
 「そうなんだ!」
銀次の顔がぱあっと明るくなる。
 「でも疲れてるなら断ってもいいからな!俺は別にそんな行きたくねぇし…」
 「ううんっ!オレ、行きたいなv」
 「平気か?」
 「うん!みんなに御礼も言いたいし♪」
銀次が満面の笑みで大きく頷いた。
 「そっか…」
相変わらず律儀な銀次。蛮が頭を撫でてやると銀次は嬉しそうに微笑んだ。
 「んじゃ、尚更だ。休めるときに休んどけ」
蛮に促され、銀次はソファに腰掛けた。それを確認すると蛮はその傍にボストンバックを置き、銀次の髪を優しく撫でた。






 「珈琲でも煎れてやっから、ゆっくりしてろ」
そうは言われてみたものの、銀次の好奇心は収まりそうもなかった。
銀次は初めてみる光景の全てがドキドキしていた。だからゆっくり座ってなんて居られなかった。
蛮もその気持ちが分かるのだろう。
だから銀次が再びソファから立ちあがっても、微笑んだだけで何も言わなかった。




窓から見える風景―
瞳を閉じると何処からか聞こえてくる子供の遊ぶ声―




しばらくその長閑な雰囲気を味わっていたが、銀次は今度は部屋を見渡した。
部屋の中をぐるりと見渡すと、棚の上の写真立てに一枚の写真が飾ってあった。
銀次は何の写真だろうと思いつつ傍に寄り、その写真を手に取った。
その写真とは、何処から見ても恋人同士の様な写真―
―蛮が銀次の肩を抱いて微笑んでいて、銀次がVサインを出して嬉しそうに笑っている写真だった。
銀次は食い入るように、しばらくその写真を見つめていた。其処へ、珈琲を煎れ終わった蛮が近づいて来る。
 「何見てんだ?銀…」
銀次が手に取ったものの正体に気付いた蛮は、思わず固まってしまった。
そして蛮に声を掛けられ、銀次は写真を持ったまま振り返った。
 「蛮ちゃん、聞いても良い?…この写真」
 「おっ…おぉ、その写真がどうした?」
銀次はぎゅっと写真を握りしめながら、蛮を見つめた。
ヤベー…ただの相棒が肩なんか抱くかよ!いくらウルトラ級に鈍い銀次でも気付くよな…
そんな蛮の心とは裏腹に銀次が聞いてきた事は―
 「…何処で撮ったの?」
 「へっ…何処で?」
 「うん!何処で撮ったの?」
 「あぁ、それはえっと、それは…ほら、二人で…じゃねぇ、 みんな…ほら、見舞いにも来てくれた
猿回しや絃捲きとでディズニーランド行った時の…」
明らかに嘘だった―
―アイツらとディズニーランドなんて行くワケねぇだろ!天と地がひっくり返ったって有り得ねぇ!
蛮は自分でも、狼狽えてるのが分かっていた。
だが銀次はそんな蛮の心中を知ってか知らずか、ニッコリと微笑んだ。
 「いいなぁ、オレも行きたい…だってこの写真のオレ、すごく楽しそう♪こんなに笑顔なんだもんv」
 「…それだけか?」
 「……なにが?」
 「いや、聞きたいことって…」
―どうして蛮が自分の肩を抱いてるの?という事は疑問に持たないのだろうか?
 「…うん。それだけだけど?」
 「そーか…」
蛮は記憶を失っても変わらない銀次の鈍さに今初めてホッとした。







 「あっ!でももうひとつ聞きたいことがあったんだ!」
銀次が珈琲を冷まそうと口に近づけたが、その手を止めて蛮の方を見た。
 「…なんだ?」
蛮は呟きながら珈琲を口に含む。
 「さっきね、部屋を色々見てて思ったんだけど、どうしてベッドかひとつしかないの?」
銀次のあどけない疑問に蛮は思わず珈琲を噴き出した。
 「うわっ!蛮ちゃんっ!汚いよぉ〜」
銀次はそう言いながら手を伸ばしてボストンバックからタオルを取り出すと、蛮に渡した。
 「はい、大丈夫?」
 「…あぁ」
 「焦って飲むこと無いのに♪熱かったの?」
蛮の噴き出した原因の分からない銀次がふふっと微笑む。
―コイツ…記憶が戻ったらゼッテェ思いっきり一発殴ってやる!
蛮の心を知らない銀次は、自分の問いに対しての答えをワクワクしながら待っていた。
 「ベッドはその…金がねぇし、部屋も狭めぇからひとつしか無いんだ」
 「そっかぁ!成る程ね♪」
どうやら銀次は本気で納得したらしい。再びニッコリと微笑んで珈琲をふーふーと冷ましに入る。
蛮は変わらない銀次の鈍さに二度目の感謝をした。
 「あっ、そうだ。さっき行ってたディズニーランドだけど、退院祝いに今度連れてってやるよ」
 「ホント?」
 「…あぁ」
 「ホントにホント?」
 「…ああ」
 「じゃあ…約束v」
銀次は満面の笑みでスッと小指を差し出した。
 「面倒くせぇなぁ…」
そう言いつつも蛮も小指をスッと差し出した。
絡め合う小指と小指。蛮は今はこの温もりだけで充分に幸せだった。






 「うわっ…寒いねぇ」
銀次がぶるっと身を震わせる。
 「大丈夫か?今日は今年一番の寒さだってニュースで言ってたからな」
そう言いながら咄嗟に手を差し出しそうになり、蛮は思わずその手を止めた。
―普通のダチは手なんか繋がねぇって!
蛮の理性は友達と恋人の境界線とで、ただただ彷徨っていた。
 「蛮ちゃん…そのお店ってどっち?」
 「あぁ…こっちだよ」
手を繋ぐ代わりにさりげなく車道側に廻る蛮。その無意識の行動に思わず蛮の顔を見る銀次。
 「…ん。どした?」
 「うっ、ううん…何でもない」
銀次が微笑んで首を横に振る。
 「それにしても寒ぃな」
 「うん…寒いね」
 「悪りぃな。本当はよ、スバルで行きたかったんだが、どーせ向こうでは酒ガンガンに飲むからな。
捕まって罰金取られるのも面倒くせぇし…」
と言いつつ、銀次のことを気遣っていたのは一目瞭然だった。


銀次を牽いたトラックは飲酒運転だった―
銀次はその事をあとから警察から聞いた―
それだけに銀次には『飲酒運転』という事に敏感になっていた―
その事から今の銀次には『飲酒運転の車』に対してトラウマがあるに違いない―


蛮は銀次の前では、捕まったら面倒くさいという理由で車では行かないと言ってはいたが、
それが蛮の分かりにくい優しさだという事を何故だか銀次には分かっていた。本能で感じていた。
そして今の銀次には、そんな蛮の優しさがとても嬉しかったのだった。














××続××