貴方を愛した記憶 PageV










銀次の手術自体は成功したが、医師の話に寄ると頭を強く打ってしまったらしい。
そしてその後遺症は…銀次から今までの記憶を全て失うというモノだった―





自分の名前も愛する者の名前も全て―




記憶喪失―まさか蛮はそれが自分たちの身に降りかかるとは思いも寄らなかった。







 「どうぞ。此方です」
看護婦に連れられ、蛮達は面会謝絶と書かれた部屋の前まで来た。
結局あの日は、銀次に逢わせてはもらえなかった。
手術が成功したとはいえ、まだ余談を許さぬ状態だったから…
だが、驚異的な回復力でICUから一般病室に移ったと聞かされた蛮は、その場に居た士度と花月と共に病院へと向かった。
だから事実上、蛮も銀次の姿を見るのは2日振りだった。
たった2日なのに…蛮にはとても長い2日間だったような気がした。






 「いくら患者さんの回復が早いと申されましても、そうですね…」
看護婦がチラリと時計に目をやる。
 「今日はまだ5分が限界ですね…余り無理を為さらないようにして下さい。あと天野さんは、ご自分が記憶喪失だと言うことは既に存じて
おります。けれども、だからといって、余り刺激したり動揺させたりしないで下さい。あと、無理に思い出させるような事も避けて下さい」
看護婦から次々にいくつかの注意点を促され、蛮達は素直に頷いた。
銀次に逢えるなら、どんな細かいことだって聞いてやる―蛮だけでなく皆の心はひとつだった。




そして開かれた扉の奥に居たのは…




上半身を起こし枕をクッション代わりにし窓から見える景色を見ていたのは…






紛れもなく銀次だった。






頭や胸や腕に巻かれた包帯が痛々しく見えるが、其処に居たのは皆が助かって欲しい――と心から望んだ






天野銀次、そのものだった――





たったひとつを除いては…






 「あらあら…天野さん。横になっていて下さいって言ったでしょ?」
看護婦が銀次の傍まで行き、横になるように促した。
 「あっ…ごめんなさい。あの木にとまっている鳥が落ちちゃったらどうしようって思ったら、すごく気になっちゃって…」
そう言いながら病室の扉の方へ目をやると、其処に立っている蛮と目があった。
蛮は勿論、その場にいる士度や花月にだって記憶喪失と言う経験はない。
だから今の銀次の心境がどんな色や形をしているのかだって分からない。
現に銀次は不安そうな顔で蛮達を見ている。
そして何の会話もなく見つめ合ったまま、数分の時間が過ぎた。






そして最初に声を発したのは、蛮だった。
 「あっ…えっと…その……身体の方はもう平気か?」
――平気なワケねぇじゃねえか!
蛮は自分ツッコミしながら銀次の方を見ると、銀次はコクリと静かに頷いた。
 「はい。平気です…今日はわざわざ来て下さって、ありがとうございます」
銀次がお礼を言いながらベッドの上から頭を下げる。
そんな他人行事な姿も、自分に対する敬語も蛮の胸にチクリと刺さる。
だが、銀次は現にこうして生きている―銀次が自分の目の前で喋っている。
蛮は銀次が生きている喜びに改めて感謝した。
 「…そっか。ならよかった」
蛮が一歩一歩静かに近づくと、士度達も蛮の後に続いた。
 「今日は5分しか話せねぇって看護婦に釘を刺されたから、あんま居られねぇけどよ…」
蛮はベッドの脇にある椅子を引き寄せ、腰を下ろした。そして銀次の顔がよく見えるように視線を同じ高さにした。







 「名前は…もう覚えたのか?」
 「はい!『天野銀次』だって看護婦さんから聞きました。えっと…貴方は?」
銀次が蛮に目をやる。
 「俺は…蛮だ。美堂蛮」
蛮が答えると、銀次が繰り返すように蛮の名前を呼んだ。
 「美堂…蛮……さん」
以前のように『蛮ちゃん』と呼んで欲しいと言うのが本音だったが、いきなり『呼び方を変えろ!』とはさすがの蛮でも言えなかった。
 「んで…こっちが」
蛮が親指で士度を指さすと、士度が食い入るように銀次に顔を近づけた。
 「士度だ!銀次っ!」
 「はい。士度…さん」
銀次が覚えようと士度の名前も繰り返す。そして銀次は最後に花月に視線を移した。
 「僕は花月ですよ。銀次さん」
花月がニッコリと微笑むと、銀次もつられて微笑んだ。
 「花月さん…」
恐らく士度も花月も蛮と同じ気持ちなのだろう。
他人行儀な銀次の姿も辛いが、今こうして銀次が生きている―その事への喜びの方が大きいに決まっている。
現に今もぎこちなく、またいつもの呼び方ではないが、自分たちの名を呼んでくれる銀次の姿に、
思わず涙が零れそうになったのは蛮だけではないはずだ。
そして蛮は、この場にいる3人の名前は覚えたらしい銀次の頭を優しく撫でた。
 「良くできました。もう忘れんじゃねぇぞ?」
蛮が優しく微笑むと銀次はコクリと頷いた。
 「はい。もう忘れません」
始めて自分の事を知っている人に逢い、銀次も心から安心したのだろう。
緊張の糸が解れた銀次の頬を、一筋の涙がつうっと零れ落ちる。
 「すみません…オレ…なんか嬉しくて…」
頬を伝わる銀次の涙を、蛮は優しく拭ってやった。すると銀次は蛮を見て嬉しそうにふわりと笑った。
 「ありがとう」
――ああ…この笑顔だ。
蛮はその笑顔を見て、改めて銀次が生きている喜びを感じたのだった…

















××続××