貴方を愛した記憶 Page]V





この時期の裏新宿は夜だというのに交通強化月間なのか、警察がうろうろしていた。
 「ちっ!善良な一市民から分捕るなっつーの!これじゃ店の前に置けやしねぇ…」
 「でもさあ…駐車違反になっちゃったらお金取られちゃうんでしょ?今日はお金いっぱい使っちゃったから…
やっぱり今日は駐車場に入れようよ」
 「…ったく、この辺は駐車場ってねぇんだよな…。でも仕方ねぇか」
蛮は不本意と言った感じで舌打ちすると、ホンキートンクから一番近い駐車場へと向かった。
―と思ったら、途中でスバルを止めた。
 「どしたの?蛮ちゃん」
 「いや、ちっと考えたら、お前まで来ることねぇと思って…それによ、こっからなら2分もありゃ着くだろ。
逆に駐車場からだと距離あるしよ…つーか、そのデカいぬいぐるみ持ったお前と裏新宿を歩くのは勘弁してくれ…」
 「そっか…そうだよね。オレならまだしも、蛮ちゃんとぬいぐるみは似合わないよねぇ…うん、分かった!
じゃあオレ、此処で降りて先にホンキートンクに行ってるね!」
 「おぅ!んで、旨い珈琲でも煎れて貰っててくれ…」
 「うん、分かったvじゃあ波児さんにお願いしておくね♪」
 「あと…いくら近いっつっても、車には気ぃつけろよ?」
 「あはは、平気だよぉv」
銀次はニッコリと笑うと、ぬいぐるみを抱え、蛮に手を振って歩いていった。






 「はぁ…駐車場が遠いとマヂ不便だな」
駐車場から降りた蛮はブツブツ言いながらズボンのポケットに車のキーを入れ、その手を突っ込んだまま
ホンキートンクに向かって歩き出した。すると―
 「ハーイ、蛮クン」
少し香りのキツイ香水と共にヘヴンがやって来た。
 「…なんだ、オメーかよ」
ぶっきらぼうに蛮が答える。だがホンキートンクへの歩みは止めない。
 「なんだとは失礼ね!聞いたわよ…蛮クン、銀ちゃんとディズニーランド行ったんですって?」
 「…悪いかよ」
 「別に悪くないわよ。ただ良かったな〜と思って…これでも二人の仲を心配してたのよ?」
 「そりゃどうも…」
 「それで…銀ちゃんは?」
 「アイツなら先にホンキートンクに行ってる。今頃は珈琲に砂糖でも入れてる頃じゃねぇか?」
 「そう…分かったわ!だから蛮クン、こんなに早足なのねっ!はぁっ…、もうっ、蛮クンのペース早すぎ!
付いていくのがやっと…よ!」
ヘヴンがガシッと蛮の腕を掴んで歩みを止めさせ、乱れた息を整えながら蛮に抗議をする。
 「なら付いてこなきゃいいだろーが…」
蛮のふてくされた声が風に乗ったその時だった。救急車がサイレンと共に二人の横を通り過ぎていく―
 「やぁねえ…事故かしら?」
 「…………」
 「そう言えばさっき、ホンキートンクの近くでトラックのブレーキ音が聞こえたっけ…」
 「なに?それ…マヂか?」
 「本当よ。来る途中に聞こえたから…」
 「…………銀次だ」
 「えっ!?」
 「………それ…銀次だっ!」
そう叫んだかと思いきや、蛮は全力で救急車の後を追って走っていった。
 「ちょっ…ちょっと、蛮クン!?蛮クンってばぁ〜!!」
ヘヴンが自分を呼ぶ声が聞こえたが、蛮は振り返る余裕がなかった。
―嫌な予感がする…
その予感が外れている事を祈りながら、蛮は救急車の通り過ぎた方向へと走っていった。








  『あっ…あの、初めまして…天野銀次です』
―アホ!知ってンよ。そんぐれぇ!
  『あの…オレたちってただの仕事上のパートナーなの?』
―それは……
  『ねぇ、蛮ちゃん。どうしてベッドがひとつしかないの?』
―ンなもん、愛し合う恋人同士にはひとつで充分なんだよ!
  『蛮ちゃん…オレ、寂しかったんだから…不安だったんだから…』
―悪かったよ、あん時は独りにしちまって…
  『蛮ちゃん。オレに内緒で何処かに行ったりしないでね』
―しねぇ…お前を置いて何処にも行きやしねぇよ!
  『蛮ちゃん…オレ、蛮ちゃんが…すっ、好きになっちゃった…ゴメンね!迷惑だよねっ…!
オレ…記憶が無いってだけでも蛮ちゃんにいっぱい迷惑掛けちゃってるのに…
それなのに変な事言っちゃって…本当にゴメンねっ!』
―迷惑じゃねぇ…迷惑なんかじゃねぇよ、銀次…。だってオレは…オレは…
  『蛮ちゃんは、オレの昔の記憶が戻った方が良い?』
―銀次…
  『でもオレは蛮ちゃんを愛した記憶だけは、もう二度と忘れたくなんかないよ…』
―銀次…オレは…
  『約束…うん、約束したもんねv』
―銀次…!
  『蛮ちゃんv』
―銀次…銀次!
  『ねぇ、蛮ちゃんvv』
―銀次…銀次っ!
  『蛮ちゃん、大好きv』
―オレも…オレも好きだよ、愛してるよ…銀次。こんなにも…






―こんなにもお前を愛してる






救急車が行き着いた場所には、前がペシャンコに潰れたトラックがプスプスと煙を立てている。
そして道路にはトラックが急ブレーキを掛けたであろう後が真っ黒く残っている。
道路に散らばった硝子の破片―その惨事が事故の大きさを物語っているようだった。
そして蛮が着いた頃は、丁度救急車が患者を乗せて出発した後だった。
蛮は荒れた息を整えながら辺りを見回した。




眠らない街―裏新宿。
夜も遅いというのに、野次馬はかなりいた。ザワザワというざわついている声の中央に蛮は進んでいき、
事故現場らしき場所の一番近くにいた、水商売らしき服を着ている女性に声を掛けた。
 「あの…此処で事故でも…あったのか?」
突然肩を掴まれ、しかも言葉が乱暴なものだから妖しげな表情で蛮を見つめるが、蛮の真剣な眼差しに、
その女性は口を開いた。
 「ええ。金髪の男の子で…貴方と同じくらいの年齢で…」
―銀次だ
 「舗道に出た猫を助けようとして…」
―あのバカッ!何度同じ目に遭えば気が済むんだ…
 「そしたらそこへ飲酒運転のトラックが突っ込んできて…」
―取り締まってる警察は何やってんだよ!
 「あと、その男の子から…このぬいぐるみを預かってと言われて…」
そのぬいぐるみは、正しく銀次が夏実にあげると言っていたモノだった。
 「あの方のお知り合いなら渡して置いて下さいね」
その言葉と共に女性からぬいぐるみを渡された蛮は、潰れてしまうのでは無いかと言うほどギュッと力強く握りしめた。
―このぬいぐるみは…!?じゃあマヂで…銀次なのかよっ!
ほんの微かな蛮の期待も虚しく、渡されたそのぬいぐるみが銀次だと言うことを物語っていた。
そしてもはや女性の声だけでなく、ざわついている周りの声も蛮の耳には届いていなかった。
 「銀次…」
名を呼ぶことで何の解決にもならないのだが、蛮は銀次の名前を口にしなければならない気がした。
 「銀次…銀次…」
パシリ―と硝子の破片を踏み締めながらトラックへと近付いて行く蛮。
 「銀次…銀次…銀次っ…」
そして俯き、力強く拳を握りしめる蛮。
 「銀次…銀次…銀次…銀次ィ〜!!」
夜の裏新宿に蛮の叫び声が響く。
そこへ―






 「…ちゃん?」
 「…………」
 「…んちゃん?」
 「…………」
 「…蛮ちゃん?」
 「…………えっ!?」
自分を呼ぶ声に蛮は顔を上げた。その声は―蛮が今、一番聞きたかった声だった。
そしてその声がした方向を振り返ると、そこに立っていたのは――天野銀次そのものだった。
 「ぎ…んじ…か?」
 「うん、そうだよ…蛮ちゃんv」
 「なんでっ…?だって、お前が牽かれたって…ケガはっ!?」
 「そっか!ゴメンね。…でもケガって言ってもね、かすり傷だけで…」
そう言いながら肘のかすり傷を見せる銀次。そんな銀次の腕の中には、仔猫がニャーと啼いている。
銀次はもう飛び出しちゃダメだよ。と言いながら腕の中の仔猫を放した。
仔猫は銀次に向かって礼を言うように、ニャーと啼くと裏新宿の雑踏の中に溶け込んでいった。
銀次はその仔猫にバイバイと手を振った後、蛮の方を振り向いてニッコリと微笑んだ。
 「じゃあ…じゃあ救急車は?あれには誰が乗ったんだ?」
 「あれはね、トラックの運転手さん。でも見た所そんなケガでも無かったよv」
ニッコリと微笑む銀次。だが蛮の顔は険しいままだ。そして―。
 「おいっ!銀次っ!!」
 「はっ、はい!」
蛮の険しい表情に思わず敬語になってしまう銀次。だが蛮の表情はまだ変わらない…
 「な、なんでしょう…。蛮ちゃん…」
 「…………」
 「蛮ちゃん?」
そして無言のまま歩み詰め寄り、銀次と向かい合わせになる蛮。
その時の蛮の顔は、銀次が今までに見たことも無いほど怒りに満ちていた。
―怒られるっ!!
銀次がビクビクしながら蛮の次の言葉を待っている時だった。突然温かな温もりに包まれる銀次。
 「…蛮ちゃん?」
そう、怒鳴られると思っていた銀次を待っていたのは、蛮の温もりだった。
 「蛮ちゃ…」
 「この…大バカ野郎っ!!」
 「蛮ちゃんっ…ゴメンね…」
 「このどアホ…心臓が止まると思ったじゃねえか…」
銀次を抱き締める蛮の手に力が込められていく。
そして蛮の胸に顔を埋めている銀次も、背中に回している腕の力を静かに強めていく。
 「ゴメン…本当にゴメンね」
 「…もう…あんな思いはしたくねぇ…お前を失うのは…もうイヤなんだ…」
 「蛮ちゃん…」
 「もう…イヤなんだ…」
 「蛮ちゃん…ゴメンね…心配掛けて本当にゴメンね…」
 「でも…お前が無事で良かった…マヂ…良かった…」
 「…蛮…ちゃん」
蛮の名を優しく呟きながら、銀次が蛮の頬にそっと触れる。
そして頬に触れられて始めて、蛮は自分が泣いていることに気が付いた。
 「あっ…」
 「ゴメンね…蛮ちゃん…だからもう泣かないでっ…ううん…ううん、泣いても良いよ。
我慢しないで…泣いても良いんだよ」
 「うるせー……泣いてなんかっ…ねぇよ…」
蛮はぐいっと服の袖で涙を拭いとったが、溢れ出てくる涙を止めることが出来なかった。
そしていつしか蛮につられて銀次も泣いている。だが、その涙は悲しみの涙ではなく……
銀次は蛮の胸に顔を埋めたまま、泣きながらもふふっと笑った。
 「でも蛮ちゃん…出逢ってから始めてオレの前で泣いてくれたねv」
 「えっ…!?」
―出逢って始めて…?
銀次のその言葉で察しのいい蛮は、直ぐにあることに気が付いた。
 「出逢って始めてって……。銀次っ、お前もしかして……その、記憶が…?」
驚きの表情を隠せない蛮は銀次の肩を掴んだ。すると銀次はえへへっと笑った。
 「うん。牽かれそうになった時に戻ったみたい♪」
 「そっか…良かった…良かった」
蛮は再び銀次を抱き締める。だが抱き締めながらも蛮は気になっていたことを口にした。
それは―
 「銀次…その…此処一ヶ月位の…記憶は?」
その言葉で銀次の肩がビクンと動く。
 「…銀次?」
蛮が自分を呼ぶ声に銀次は埋めていた顔を上げた。そして満面の笑みで蛮を見つめてから―






 「忘れちゃっても蛮ちゃんが覚えててくれるんだよねv」
 「銀…次…」
 「ディズニーランドも楽しかったねv」
 「…ってコトは…?」
 「うん、覚えてるよ…覚えてるに決まってるじゃんv」
銀次はえへへと笑い、尚も続けた。
 「だって蛮ちゃんを愛した記憶は、勿体なくて忘れる事なんて出来ないよ…v」
 「銀…」
 「記憶喪失になってから始めて蛮ちゃんに出逢った時のこと、どんな時でも優しかった蛮ちゃんのこと、
記憶を失っても変わらずにオレの傍に居てくれたこと、前と同じように愛してくれたこと、約束を守ってくれたこと、
そして段々と蛮ちゃんが好きになっていったオレのこと…どれもがみんな忘れることの出来ない素敵な記憶だもんv」
満面の笑みで微笑み自分を見つめる銀次を、蛮は強く強く抱き締めた。痛いくらいに強く強く抱き締めた。
 「わっ…蛮ちゃん?」
 「銀次…」




自分が心から愛した銀次が戻ってきた―
そして新しく愛した銀次も残っている。蛮にとってこれほど嬉しいことはない。
蛮は奇跡を起こしてくれた神に感謝するように銀次を抱き締め続けた。
裏新宿の街中、人目も気にせずに抱き合う二人―
そして月明かりとネオンがまるでスポットライトのように、いつまでも二人を照らしていたのだった。







蛮ちゃんv
 このバカっ…もう二度と心配掛けんじゃねぇぞ…
 うん…ゴメンね…蛮ちゃん





なぁ、銀次ィ…
ん…なぁに?蛮ちゃん…
お帰り…銀次
蛮ちゃん……うん、ただいま…




ただいま…蛮ちゃんv







××続××