貴方を愛した記憶 Page\






銀次が記憶を失ってから、もうすぐ1ヶ月が経過しようとしていた。
最近の蛮はと言えば自分の隣でスヤスヤと眠る銀次に、思わずキスをしそうになる自分との格闘に必死の毎日だった。
 「あ゛〜っ!こんなんだったら、やっぱさっさと言っときゃ良かったよ…」
蛮はお預けを喰らったままの犬の気持ちがよく分かった。
小さく溜息を吐くと蛮は静かにベッドから抜け出し、気持ち良さそうに眠っている銀次にそっと毛布を掛け直した。
そして…
 「おい…銀次、起きてるか?」
耳元でそっと囁いた後、蛮は様子を見てみた。
すると銀次は、むにゃむにゃと口を動かしたが、まだ夢の中と言った感じだった。
そこで蛮は意を決したように銀次に顔を近付けた。体重を掛けたため、ベッドからぎしっと軋む音がする。
そして、眠っている銀次の唇にそっと口付けを落とした。時間にしては1秒もなかっただろう。
しかし、約1ヶ月振りに味わう銀次とのキスの味…蛮は心の奥から熱い何かが湧き出て来るのを感じた。
 「やっべぇ…もう限界かもしれねぇな。つーか、もう俺の身が持たねぇ…」
蛮は大きく溜息を吐くと、毛布にくるまって眠っている銀次を後にした。






 「なぁ…此処に住まわしてくんねぇか?」
突然の蛮の言葉に、思わず波児も口をあんぐりと開ける。
 「なんでまた急に…どうした?銀次と喧嘩でもしたのか?」
波児の問いかけに蛮は珈琲を流し込むと、静かに答えた。
 「ちげぇよ。俺達はいつもと変わらず仲良し子良しだよ…」
 「…じゃあいいじゃないか?一体なんでまた…」
矛盾している蛮の言葉に波児は不思議でしょうがない。蛮はそんな波児の表情を受けながら再び話を続けた。
 「…仲良すぎるからマズイんだよ。だってよ、隣にいる銀次に手ぇ出せねぇんだぜ?正に地獄だっつーの!
それに生殺しっつーのは俺の性に合わねえんだよな…」
 「まあ確かにセクハラ大魔王で狼そのものの蛮クンがよく我慢してるわよねぇ…」
 「…だろ?……っつーか何でヘヴンが此処に居んだよ!」
突然話に入ってきた人物の存在に驚いた蛮が立ち上がると、BOX席から移動してきたヘヴンが蛮の隣に腰掛ける。
 「さっきからあそこに居たわよ…蛮クン、銀ちゃんの事ばっかりで周り見えてないんじゃないの?」
的を得たようなヘヴンの言葉に返す言葉が無く、静かに再び座り直す。
 「でも…本当に蛮さん、何もしてないの?」
夏実のその言葉で今朝のことを思い出す蛮。
 「してねぇよ………今朝までは」
 「えっ…!?って事はもしかして!?だから銀ちゃん来てないの?」
ヘヴンも思わず立ち上がり、波児と夏実も蛮の方に身体を寄せてくる。
 「違げぇよ、アホッ!何勘違いしてやがんだ…それにしたっつっても…キスだけだよ…それも一瞬触れるだけの…な」
蛮は小さく溜息を吐くと吸うわけでもない煙草を手に取った。その表情で夏実はパンッと手を叩いた。
 「分かった!キスしちゃったら今まで我慢してたのが、どわ〜って出ちゃったんだ?」
手を広げてどわ〜を表現する夏実。
そんな夏実をちらっと一瞬だけ見るとすぐに視線を逸らす蛮。
 「…悪りぃかよ」
―どうやら図星だったらしい
 「ん〜…やっぱり本当のこと言った方が良いんじゃない?銀ちゃんだって満更じゃないと思うけど…」
 「そうだよぉ…銀ちゃん、蛮さんに懐いてるじゃないですか♪」
女性軍の言葉を背に、蛮は弄んでいたままの煙草にようやく火をつけた。
そして、静かにふうっと煙を空中に吐いた。
 「だからだよ…」
 「えっ…!?」
 「例えばよ、記憶を失う前は俺たちは付き合ってました…って言うとするだろ?そしたらアイツは俺の事を必死で
愛そうとするに違いない。そういうヤツだからな…。でも俺は義理で好きになって欲しくねぇ…」
 「蛮クン…」
 「フッ…結局は俺が自分勝手なんだろうな。銀次の心を縛りたくない、アイツの居場所を奪いたくないって言うのは
所詮綺麗事で、本音を言うと俺のために言わないのかもしれないな…」
 「蛮クン…じゃあもし…もしもよ?もしも銀ちゃんに他に好きな人が出来ちゃったら…そしたら一体どうするの?」
 「その時は…」
 「その時は?」
ヘヴンが蛮の言葉を反復したときだった。
ホンキートンクのドアがバタンと開いた。そして入ってきたのは銀次だった。






 「蛮ちゃん…やっぱり此処だったっ!もうっ…なんでオレを置いてくの!」
ぷうっと膨れる銀次。こんな仕草は変わらないな…と思いつつ蛮は銀次の頭を撫でた。
 「悪かったな…でもお前気持ち良さそうに眠ってたからよ…」
 「でもっ、起こしてくれれば良かったのに…起きたら蛮ちゃんが居なかったから、
オレ…部屋中探し回っちゃったんだよ…」
 「俺を?」
問いかける蛮に、銀次は小さく頷いた。
 「うん…だってオレ、蛮ちゃんが居なくなっちゃったら…よく分からないけどイヤなんだもん…
凄く寂しいし…不安なんだもん…。だからオレに内緒で何処かに行ったりしないでね?」
うるうるとした瞳で蛮を見つめる銀次と、銀次の言葉にそうそう…と言うように頷くヘヴンと夏実。
 「蛮…さっきの話だが、やっぱり却下な」
波児の言葉に蛮も諦めたのか、小さく溜息を吐いた。
 「…あぁ、もうお前を置いて何処にも行かねぇよ」
 「ホント?良かったぁ♪」
蛮の言葉に銀次は満面の笑みで微笑んだ。






そして蛮と銀次が去った後のホンキートンクでは―
 「ねぇ…まさかと思ったけど、もしかして銀ちゃん…」
 「蛮さんのこと…」
 「二人ともそう思ったか?やっぱそうだよなぁ…」
先程の銀次の行動と言葉に関して議論が繰り広げられていた。
 「でも…蛮さんは気が付いているのかな。…銀ちゃんの気持ち」
 「……さあな」






ホンキートンクでそんな会話が繰り広げられているとは知らない蛮と銀次は、アパートまでの帰り道をいつもと
同じように他愛もない話をしながら歩いていた。すると―。
 「ちっ!何だよ…工事中かよ…。歩道橋まで行くの面倒くせぇな」
 「…でも今なら車来ないみたいだから、渡っちゃおうよv」
銀次がキョロキョロと左右を見渡す。だが蛮は―。
 「駄目だっ…この大バカ野郎!また事故に遭ったらどうすんだっ!」
初めて聞く蛮の怒鳴り声に銀次も思わず動きが止まってしまう。
―それにオレはもうあんな思いはしたくねぇんだ。
だが瞬時にそんな蛮の心を読み取ったのであろうか…銀次は、蛮に謝った。
 「ゴ、ゴメンね…蛮ちゃん。本当にゴメンね…」
 「いや…俺の方こそ…その、怒鳴って悪かったな…」
銀次は、ううん。と言うように首を横に振ると、ニッコリと笑った。
そして二人は歩道橋へと向かった―。






銀次が嬉しそうに階段を一段ずつ登る。
何故蛮と居るときがこんなにも幸せなのか、何故蛮が自分のことを心配してくれるのが、こんなにも嬉しいのか
何故蛮と居るときがこんなにも心が穏やかなのか、銀次にはまだ分からなかった。
だが、この時間が永遠に続けばいい―心でそう願っている自分が居ることは分かっていた。
 「気ぃ付けろよ」
蛮に声を掛けられ、銀次は嬉しそうに振り向いた。
 「大丈夫だよぉv」
銀次の満面の笑みに蛮は微笑みを返した。
そんな小さな事でも銀次には嬉しくて足取りも軽く、階段を下りようとしたときだった。
 「あっ……」
言われる傍から銀次は思わず階段を踏み外してしまった。
―落ちるっ!!
静寂した雰囲気の中、地面に向かってカランカラン…と銀次が持っていた空き缶のみが階段を転げ落ちていく。
だが、地面に転がっているのは空き缶だけだった。そう、落ちそうになった銀次を咄嗟に支えたのは、蛮だった。
後ろから抱きかかえるようにして銀次を受け止める蛮。
 「大丈夫…か?」
至近距離にある蛮の顔。
 「うん…平気。あ、ありが…」
だが、銀次の言葉を待たずに蛮の怒鳴り声が続いた。
 「…ったくこのドジ!だから気をつけろっつったろ!このボケ!」
 「ゴ…ゴメンね…。また心配掛けちゃって…ゴメンね…」
涙を堪えようと必死に揺らぐ銀次の瞳で見つめられた蛮は、何故そんな事をしてしまったか分からない―
分からなかったが、気が付いたら銀次を思い切り抱き締めてしまっていた。
 「蛮ちゃ…」
 「頼む…。頼むから…もう少しこのままで…居させてくれ…」
蛮の願いに銀次は小さく頷いた。そんな蛮の暖かな温もりに包まれていた銀次は、自分の心臓の音が蛮に
聞こえてしまうのではないかと思うほど、ドキドキがいつまでも止まらなかった。







オレはもしかして…
もしかしたらオレは記憶を失う前…

この人のことを愛していたのかもしれない…







銀次は自分の心に芽生えていた蛮への『愛』にようやく気が付いたのだった。










××続××