世界で一番愛してる





2月14日
毎年この日近くになると、街はチョコレート色に色づいていく。
片想いの人も両想いの人も誰もが待ち焦がれる日。
そして―







 「2月14日はね、一番好きな人に“好き”という想いをチョコレートに託して渡す日なんだよ」
銀次は夏実からそう聞いている。だが、“女性から男性に”という事は知らなかったのだ。
 「一番好きな人か…みんなの事もすっごく好きだけど…でも一番って聞かれたら、やっぱり…」
銀次はその一番好きだという者のことを思い浮かべているのだろう。嬉しそうに微笑みながらチョコをひとつひとつ手に取っている。だが店内にいる女の子は、みんな不思議そうに銀次を見ている。まあ、それは当たり前だろう―バレンタインデーに男性がチョコを選んでいるのだから。それも女の子以上に嬉しそうな微笑みを浮かべて…
ちらちら見る女性の視線に気付いた銀次は、不思議そうに首を傾げた。

 「…でも、どうしてチョコを選んでいるのが女の子ばっかりなんだろ?」
銀次にとってこの事は七不思議のうちのひとつになったが、あえて気にはしなかった。
 「煙草のチョコ…じゃいかにもって感じだよね。お酒が入っているのじゃちょっと高いし…」
自分の財布と相談しながら、しばらくの後、銀次はひとつのチョコを手に取った。
 「…あっ、これ!これにしよ♪」






 「ありがとうございました」
チョコレートは綺麗に包装され、リボンも付けて貰い、お店のロゴの入ったピンクの小さな紙袋に入れられた。銀次はその小さなピンクの紙袋を大事そうに抱えた。銀次の想いの詰まったチョコレート。銀次は紙袋の隙間から覗くようにそのチョコレートを確認すると、幸せそうに微笑んだ。そして銀次は木枯らしの吹く中、急ぎ足でホンキートンクへと向かった。






 「いらっしゃいませぇ♪あっ!銀ちゃんv」

夏実がいつものように元気よく話し掛ける。
 「やっほ〜、夏実ちゃんv」
銀次は笑顔でカウンター席に座った。
いつもの指定席―隣にはいつも銀次の大切な人が座る指定席―
銀次はその隣の指定席を見つめながら、波児の煎れるカフェオレを静かに待っていた。

 「あれ?銀ちゃん、その紙袋、何?」
カフェオレを置こうとした夏実がピンクの紙袋に気が付いた。すると銀次が嬉しそうに微笑んだ。
 「あっ、分かっちゃった?これはね、えへへv実はチョコレートなんだv」
 「チョコレート?あっ、貰ったんだ」
 「ううん?オレが買ったんだよv」
 「えっ!?銀ちゃんが自分で買ったの?」
 「うんvだって今日はバレンタインデーなんでしょ?一番好きな人にチョコレートをあげる日なんだよねv」
 「………」

―そう、夏実は『女性から男性に』という事を言うのを忘れていたのを、たった今気付いたのだった。また、言わなかったのを失態だとも思った。だが、嬉しそうにチョコを見つめる銀次を目の間にすると、その事を言うのを止めた。それよりも女性軍の輪の中に入って、チョコを選んだ銀次を誇らしく思いもした。
 「あっ!そうそう…これはね、私から銀ちゃんへ♪」
 「えっ!?夏実ちゃんから?」
夏実は小さな四角い箱を銀次に渡した。
 「これはね、いつもお世話になってます御礼のチョコだよ。だから、こっちは蛮さんの分で、これは…」
夏実は波児の方をくるっと向くと、波児にも同じ四角い箱を渡した。
 「はい。マスターの分♪」
 「俺…にもくれるのか?ありがとう、夏実ちゃんっ!義理でもなんでも嬉しいよっ!」
義理とは言え何年か振りのチョコに、波児はおいおい泣いていた。銀次と夏実はそんな波児の姿を見て顔を見合わせて微笑んだ。そしてその後ヘヴンが来て銀次にチョコを渡して帰っていった。この後依頼人と待ち合わせているらしく、なんでバレンタインなんかに呼び出すのかしら―と、文句を言いながら慌てて出ていった。






そして銀次はその後もずっと蛮を待っていた―
だが、窓から差し込む日差しが西へ傾き、オレンジ色の夕陽が店内に入り込んでも、それでも蛮の来る気配は何処にもなかった。けれども銀次はその後も蛮を待っていた。ずっとずっと待っていた―






 「銀次…悪いな。もう店、閉めないと…」

波児がそっと声を掛けると銀次はその声に、ハッと我に返り、店の掛け時計に目をやった。
 「あっ!ゴ、ゴメンね!そうだよね。もうこんな時間だもんねっ!」
銀次はヘヴンと夏実がくれたチョコレートを抱え、最後に自分が買ったピンクの紙袋を手に持った。
 「じゃあ、またねっ!波児さんv」
 「あっ、銀次…」
 「えっ!?何?」
銀次は走り出そうとしたが、波児に呼び止められて振り向いた。
 「いや、なんだ、そのチョコ……今日中に蛮に渡せると良いな」
波児は照れくさそうに微笑えむと、銀次が大事そうに持っているピンクの紙袋を指差した。
その視線の先―銀次は自分の抱えている紙袋を見つめるとうん―と頷いた。
そしてその波児の微笑みに銀次は満面の笑みで返した。

 「うん!ありがとう、波児さんv」







銀次は2人のアパートに向かった。空からは静かに粉雪が落ちてきていた。







 
「ただいま」
アパートに着いた銀次は、真っ暗な部屋に呼びかけてみた。だが、返事は無かった。銀次は靴を脱いで部屋に上がると、部屋に灯りをつけ、ソファに腰掛けるとピンクの紙袋を自分の膝の上に置いた。
 「蛮ちゃん、早く戻ってこないかな…」
銀次は寂しそうに小さく呟いた。時計の音が銀次の耳には、やけに大きく聞こえてくる―
そして時刻はもうじき日付が変わろうとしていた。
 「蛮ちゃん…バレンタイン終わっちゃうよぉ…今日中に思いを伝えなきゃダメなんだよ…」
銀次はソファの上で膝を抱え背中を丸めた。そして膝の上に顔を埋めるようにして涙声で呟いた。






その時、徐ろに玄関のドアが開いた。
 「ただいま」
その声に銀次は埋めていた顔を上げた。
 「蛮ちゃん…」
蛮は靴を脱ぐと、マフラーを外しながら銀次の傍に来て玄関を指さした。
 「お前なあ、アブねぇから鍵はちゃんと掛けとけっていつも言ってンだろ!?」
 「あっ、ごめん…」
銀次は小さく呟くとぐいっと涙を拭き、蛮の顔を笑顔で見つめた。
 「お帰り、蛮ちゃん」
 「あぁ、ただいま…って、どうしたんだよ…何泣いてンだ?今の言い方キツかったか?」
 「ううんっ…違っ、なんでもない…目にゴミでも入ったかな?」
銀次は首を横に振り、微笑んだ―だが、蛮の顔を見るとホッとしたのか、止まったはずの涙が再び溢れ出てきた。
 「あれ…なんでだろ…?」
自分にも分からない涙の真実―銀次はその涙を必死に拭おうとした。けれども銀次には涙の止め方が分からなかった。
そんな銀次の姿を見た蛮はポリポリと頭を掻くと、銀次をそっと抱きしめた。
 「はいはい、良い子だから泣きやんで下さいね〜♪」
蛮は赤ちゃんをあやすように、抱き締めている銀次の頭を優しくポンポンと叩いた。すると、蛮の胸に顔を埋めている銀次の口から思いも寄らぬ言葉が出た。
 「蛮ちゃんが悪いんだからね…」
 「へっ…?」
―何でだ?
 「だって、蛮ちゃんが帰ってくるの遅いんだもん…」
 「えっ?…今日、お前と何か約束してたっけ?」
 「約束して無くても早く帰って来て欲しい時があるの!」
いつになく強気で銀次が蛮の顔を見つめた。そんな銀次の瞳からは涙はすっかり消えていた。どうやら先ほど抱き締めて貰った蛮の胸の温かさで消えたらしい。
 「ねぇ蛮ちゃん、今日は何の日か知ってる?」
 「今日?」
 「うん!」
 「さぁ?」
本当に知らないと言った様子で蛮は首を傾げる。すると銀次は人差し指を蛮の口元に持ってきてツンッと触れた。
 「もうっ!今日はね、バレンタインデーなんだよ」
 「あぁ、バレンタインか!あれだろ?女が…」
蛮の言葉が終わる前に銀次が続けた。
 「うん、そう、バレンタインデーだよ!それでね、バレンタインデーって言うのは一番好きな人に好きって想いをチョコレートに託して渡す日なんだって。だからオレ、今日蛮ちゃんにチョコ買ってきて…」
そう言うと銀次は満面の笑みで蛮を見つめた。
 「でもよかった!今日中に渡せてv」
―っつうかバレンタインって、女のイベントだろうが
だが、嬉しそうに膝の上で紙袋を抱えている銀次を見ていたら、蛮はその言葉を飲み込むべきだと思った。
 「はい、蛮ちゃんv」
 「おぉ、サンキュ…」
 「オレね、蛮ちゃんが大好き…世界で一番だぁい好きvv」
銀次からの笑顔の告白と共に渡された銀次の気持ちを託したチョコレート。
蛮はフッと優しく微笑み受け取ると、銀次の唇にちょこんと触れるだけの優しいキスをした。
 「俺も世界で一番好きだよ…銀次」
 「えへへv」
蛮からのキスと愛の告白に銀次は嬉しそうに微笑んだ。
そしてそのまま二人でソファに戻って腰掛けると、蛮が先ほど受け取った紙袋から小さな箱を取り出した。
 「これ…開けてもいいか?」
 「うん」
銀次の笑顔を横目に見ながら、蛮はリボンをほどき、包装紙をはがし、箱を開けた。するとそこには小さな円球の形をしたチョコレートが数個入っていた。
 「じゃ…いただきます」
 「うん!」
まるで子供のように、銀次は蛮が食べる姿を目に焼き付けるようにじっと見ていた。
 「うん、結構旨えじゃねぇか。へぇ〜中に何か入ってンのか?…木苺か?」
 「うん、そう!見てて美味しそうだったから買っちゃったv」
 「お前も食うか?」
 「うん、食べる!」
あ〜んと大きく口を開ける銀次にチョコレートを抛ってやる蛮。
 「んん〜っ、おいひぃ〜v」
 「もうひとつ食うか?」
 「え〜、蛮ちゃんのために買ったんだけどぉ…でもいいの?じゃあ食べるv」
嬉しそうに頷いた銀次。
だが、次に銀次の唇に触れたのはチョコレートではなく、蛮からのキスだった。銀次は最初はビックリしたのか目をパチクリしていたが、その後はチョコレートを貰った時よりも何倍も幸せそうにそのキスの味を味わっていた―







 
「あとねぇ、これが夏実ちゃんからで、これがヘヴンさんから♪」
銀次が夏実とヘヴンから貰ったチョコレートを蛮に渡した。
 「はぁ…両方とも御礼が煩そうだな…」
蛮が頭を抱えブツブツ言っている。そんな蛮の姿を見て銀次はくすくすと笑っている。
するとその笑いに気付いた蛮も微笑みながら銀次の額をつんっとつついた。その時蛮は徐ろに先程の銀次を思い出した。
 「あっ、そういや…お前さっき何で泣いたんだ?」
 「えっ、さっき?」


―えっ?そう言えばなんでだろ?なんでオレ、泣いちゃったんだろ?確か…蛮ちゃんがなかなか帰って来なくて
今日中にチョコを渡せないかもって思ったら悲しくなってきて…でも蛮ちゃんが帰ってきて、蛮ちゃんの顔を見たらホッとして涙出ちゃって…
…って、えぇっ!?オレって泣いちゃう程、蛮ちゃんのコト、好きだったんだ…そっか、そうだったんだv
…でも、そんなの悔しいから蛮ちゃんには言わないんだv


銀次は先程の自分の涙の真実が分かると、途端に嬉しくなり微笑んだ。
 「銀次、なに笑ってンだよ?」
 「えへへv」
 「おい、銀次?」
 「えへへvそんなのないしょだよ♪」
だが、言わない代わりに銀次は蛮に満面の笑みを向けた。
 「…ンだよ、ケチ」
 「いいもん、ケチで♪」
2人はいつまでも抱き合っていた。




 




ねえ、蛮ちゃん
今日はバレンタインデーなんだって
それはね、一番好きな人に思いっきり好きって言っても良い日なんだよ
ねえ、蛮ちゃん
オレは蛮ちゃんが大好きv
世界で一番大好きv
蛮ちゃんのコトを想うと涙が出ちゃう程、オレは蛮ちゃんを愛してるv
世界で一番愛してるv






今日のキスの味はいつもの煙草の苦いキスの味とは違って、木苺の甘いキスの味がした。







〜End〜





 

作:2002/02/14