螺旋状の抒情歌 V




 聖が弓生に殺される夢を見てから数日後。
 あれ以来、その不吉は夢は見ていない。
 最初こそは夢の弓生と現実の弓生がシンクロしてしまい、どこかぎこちなく接してしまっていたが、いつしかそんな不安心も何処かへ行ってしまったようだ。
 いつものように弓生に笑顔を見せる。
 だが、それとほぼ同時期に今度は弓生の方がどことなく聖を避けているように思えた。


「…ちゃん?ユミちゃん」
 聖の声でハッとして目を開く弓生。まだうっすらと意識が遠い。
「………」
「ユミちゃん…大丈夫か?」
「……聖」
 心配そうな面もちで自分を覗く聖を見た途端、目に映る全ての景色の色が鮮明になる。
「俺は一体……」
「オレがテレビ見とったら、ユミちゃんの本が落ちたから、どないしたんやろ思て見たら、ユミちゃんが寝とったんや」
「……そうか」
「せやけど珍しいなぁ、ユミちゃんがうたた寝なんて」
―(うたた寝…してたのか)
 そうだ。聖の言うとおり、自分は少し前までリビングのソファで本を読んでいたのだ。
 隣では聖がテレビを見ながら、あははと笑っていた。
 そのはずだったのに、そこから数分の記憶がごっそりと抜けていた。
「…すまん」
「謝ることなんか全然あらへんけど……せやけど大丈夫なんか?」
 先ほどと変わらぬ心配そうな神妙な面もちで、聖は弓生の前に煎れ立ての熱い珈琲を置いた。
 その珈琲を一口含むと、全ての感覚が現実に戻って来た。
「大丈夫だが…何故だ?」
 いつもと変わらぬ口調で弓生は問いた。
「ん…。よう寝とるから、ほんまは起こすつもりなかったんやけど…。なんや魘されとったから気になって」
「…そうか」


 魘されていた―と言われ、実は弓生には心当たりがあった。
 そう、弓生はほぼ同時期に、あの夢を見ていたのだった。
 自分が聖を殺す夢―。
 笑いながら聖の躰に手刀を突き刺し、殺す夢―。
 聖が必死で自分へと伸ばす手を踏みつける―そんな非情な夢を―。
 そして眠ったらまたその夢を見てしまう気がして怖かったため、余り眠っていなかった。
 だが、そんなことを聖に言えるはずがなかった。


「なんか心配事あるんならゆうてみ?オレ、なんでも力になるで?」
「いや…大丈夫だ」
 先程から寸分違うことなく心配そうに覗き込む聖を見て、改めて現実に戻った気がする弓生。
「それよりお前は大丈夫か?」
「へ?オレ?」
「何処も怪我をしていないか?」
「…うん、平気やけど?」
 そう言いながら無意識に弓生に貫かれた場所に触れる。
 するとハッとしたように弓生は聖の腕を掴む。
「そこが…そこが痛むのか!?」
 弓生の勢いに圧倒され、思わず気圧される格好で聖は首を横に振る。
「ううん、平気や。……なんで?」
「………」
「………」
 互いになにか言いたげで見つめ合うが、そのままフッと弓生は目を逸らす。
「なら構わん。………そろそろメシにするか」
「うん、せやな。…ほな急いで支度するわ」
 愛用のエプロンを手に取ろうとした聖の手を取り、止める。
「いや、今日は外で食おう」
「外で?」
「嫌か?」
「ううん…」
―珍しいことがある。というより、弓生が自分に対して優しく接する時は何かあるときだ。
「ユミちゃん」
 なにか言いたげに聖は弓生を見る。―が。
「…なんだ?」
 弓生に見つめられた途端、なんて言って良いか分からない聖は、言葉を呑み込むと左右に首を振った。
「……ううん、なんもない。ほな、行こか」




 最近、距離を感じる―。
 いや、距離と言うより互いに言いたいことを言えないような―。
 …というより弓生が悩んでいる気がする。いや、自分にこそ言わないが、それは気ではなく確実だ。
 そんなときに自分が見た夢の話をして嫌な気分にさせたくない、更に悩ませたくない、と言うのが聖なりの愛情である。
「はぁ…オレ、どないしたらええんやろ」
 聖は布団を頭の上までひっかぶる。


 今までもこんなことはいくらでもあった。
 千年以上も一緒に生きている。それだけに互いに言いたいことを言えない時だってある。長い間、本当に長い間一緒にいればそんなことがあっても当たり前だ。それがきっかけで喧嘩をしたことだって多々あった。―だが、そんな些細なことは自然と時間が解決してくれていた。


 だが、今回のことは今までと違う気がする―。
 言いたいけど言えない―聞きたいけど聞けない―。
 このモヤモヤ感が何とも言えず、もどかしくてイヤだ。


「あかん!考えてたら眠れなくなってしもた」
 聖は跳ね起きる。そしてガリガリと頭を掻く。
―(考えるなんて、似合わんことしたからあかんのやろか)
「…なんか呑も」
 部屋を出て、リビングへと向かおうとした聖。
 だが、ふと立ち止まり弓生の部屋の前に立った。
 そしてノックをしようとして動きが止まる。まるで中の様子を伺うように神経を研ぎ澄ませる。そして――
「ユミちゃんっ!?」
 ガチャリと大きな音を立てて扉を開け、急いで部屋に入る。
 そして魘されている弓生を揺り起こす。
「ユミちゃん!ユミちゃんっ!!」
「………」
「ユミちゃんっ!ユミちゃんっ!!」
「………」
 聖の悲鳴のような声で、弓生は目が覚め、悪夢から解放された。
「ユミちゃん、起きたんか?大丈夫か?」
「…ひじ…り」
「ユミちゃん…なんやごっつう魘されてたで?」
「………そうか」
「…なんや怖い夢でも見たんか?」
「………いや」
「ほんまに……ほんまに平気なんか?」
「…ああ、平気だ」
「嘘言うなや…えらい汗やんか」
 そしてタンスからハンカチを取り出すと、弓生の汗を拭き始める。
「ほんまに大丈夫か?どっか具合でも悪いんか?」
 心配そうに顔を覗き込んで、押さえつけるように優しく汗を拭く。
―(どうしてこんな泣きそうな顔をするんだ、こいつは)
 拭き終わった聖は、気遣うように優しく話し掛ける。
「ユミちゃん…なんか落ち着くもんでも持ってこよか?」
「いや、いらん」
 ピシャリと断られても諦めない聖はベッドの脇に腰掛ける。そしてフワリとした笑顔を弓生に向けて―。
「そう言うなや。実はオレな、今、酒でも呑もかな〜って思って起きたんやけど…。どや?ユミちゃんも一緒に呑まへん?」
「こんな時間にか?」
「ええやんか。それにアルコールちょっと入れたら、よう眠れるかもしれんで?」
 悪戯っ子のように微笑む聖。
「ビールよりもウイスキーとかブランデーの方がええかな?せや、ユミちゃんはどっちがええ?」
「………」
「せやな、ほなブランデーにしとこか。ちょっと待っとって。ユミちゃんの分も持ってきたるさかい」
 一方通行で喋っていたかと思うと弓生の返事も聞かず、立ち上がり去ろうとする聖。―が、その聖の腕を思わず掴む。
「ユミちゃん?」
 いきなり掴まれたものだから聖は振り返る。
「どないしたん?ウイスキーの方が良かったんか?」
 小首を傾げる聖。すると…。
「…何処にも行くな」
「ユミちゃん?……ぅわっ!!」
 掴んだその腕を思い切り引くと、バランスを崩した聖が思わずベッドにダイブする。
「ユミちゃん、危ないやろっ!!」
 文句を言いながら起き上がろうとした聖の肩を掴みそのまま押し倒すと、弓生は半ば強引に口唇を奪う。
「っふ…ユミちゃ………!!!」
 だが、弓生は聖を離そうとしない。
「んんっ…!!!」
 どのくらいの間、そうしていたか…。
 呼吸することもままならぬ息苦しそうな聖を見て、弓生はようやく我に返る。
 そして聖の口唇を解放する。
「はあっ…はあ…死ぬかと思った」
「…すまん」
「なんでそこで謝るんや?」
 押し倒したままの聖を起こそうと弓生は手を差し出す。―が、逆に今度は聖が弓生の腕を掴んで引っ張る。
 弓生が聖の上に覆い被さった形で、再び距離が縮まる二人。
「……聖」
「なぁ、ユミちゃん」
「……なんだ」
「…このまま続き、せぇへんか?」
「聖…?」
「ここんとこ…なんやユミちゃん、ずっと悩んどったやろ?せやけどオレ、アホやからユミちゃん励ます上手い方法が分からん。オレにはこれくらいしか思いつかん…これくらいしかしてやれん…かんにんな」
 聖はふわりと笑う。
―(愛しい)
「それでもええか?」
―(愛しい、愛しい)
「ああ…十分だ」
 弓生は聖を優しく抱きしめる。
―(こんなに愛しくて愛している聖をこの手で殺すなんて、ありえんことだ。俺も馬鹿だな)
 そして今度は優しく口付ける。
 僅かに空いた透き間から侵入し舌を絡め取ると、聖の躰がビクン、と動く。
 感度の良い躰は、あっと言う間に体温が上昇し顔が火照ってくる。
「……っ、ユミちゃ」
「どうした?聖…」
「なんもない…ユミちゃん、大好きや」
「俺も…愛している、聖。お前が俺の傍にいてくれて…よかった」
「…ユミちゃん」
 その言葉に聖は嬉しそうに満面の笑みで微笑む。
 優しく―優しく―優しく、愛の証を付けながら、弓生は聖を抱く。
 久しぶりに触れ合う躰と躰。
 抱いているのは自分の方なのに、聖の温もりに包まれた弓生は、久しぶりに安らかでゆったりとした眠りにつけたのだった。




〜続〜