螺旋状の抒情歌 U




 弓生に急所を貫かれ息絶えたはずの聖が、次に目覚めたのはベッドの上だった。
「うわあぁっ!!」
 聖は思わずベッドから飛び起きる。
 ハアハアと息使いを荒くしながら、聖は額に溜まった汗を拭く。
「なんや今の…」
 そして思わず自分の身体を見る。弓生が貫いたはずの箇所を―。
 だが、そこには傷ひとつ付いてない。
「もしかして…今の……夢かいな」
 ホッとしたのか、思わずもう一度枕に頭を落とす。
「なんやー、オレってアホちゃうか」
―(あんな夢を見るなんて)


 そう、全ては夢だった。
 暗闇の中、一人で歩いていたのも、公園で弓生に会ったのも。
 そして、弓生が笑いながら自分を殺したことも……。


 全ては―そう、夢の話。


「…けど、妙にリアルやったな」
 まだ身体に残っている貫かれた時の感覚。
 その感覚を思い出し、ゾクリとしながら聖は再び額に手をやった。
 するとさっきも拭いたのに、まだグッショリと汗を掻いていた。
 よく見るとパジャマまで汗で濡れている。
 このままだと風邪を引いてしまうかもしれない―。
 聖は弾みをつけると、よっと言いながら起き上がった。
「まだ早いけど、なんや二度寝する気分やないし、シャワーでも浴びてサッパリしよか」
 聖は着替えを持つと部屋を出て、浴室へと向かった。
 そして洗面所の鏡で自分の顔を見て思わずゾッとした。
「なんやこの顔!えらい顔色悪いやんか!!」
 鏡に映っているのは、すっかり血の気が引いて真っ青な自分の顔。
「こんな顔見たら、ユミちゃん絶対心配するて。参ったわ」
―(やっぱり夢見が悪すぎたせいやな)
 聖は急いで服を脱ぎ、脱衣所のカゴに放り込むと浴室へと入り後ろ手にドアを閉めた。
 そしてお湯の温度を通常よりも数度上げ、出した。
 すると浴室内に一気に立ちこめ始める湯気。
―(アホやな…ほんま)
 聖はその熱いシャワーの中に、勢いを付けて思い切り頭から突っ込む。
「熱っ!!」
 だが、このくらい熱い方が今の自分には良いような気がした。
 聖は怯むことなく頭から浴び続ける。
―(ほんまにアホやオレ。ユミちゃんがオレを殺すはずないのに…)


 弓生は自分を大切にしてくれている。傷付けることは疎か、殺すことなんて絶対に有り得ない。
 それは分かっている。千年も一緒に生きてきて、そのことは骨身に染みてよく分かっている。
 それなのに、だがなんだろう…このモヤモヤ感は。


「もううんざりだ。頼むから早く死んでくれ」


 夢の中の弓生の台詞が忘れられない―。
 聖はシャワーの中で拳をギュッと握り壁へと押し付けると、頭を何度も左右に振る。
 まるでこの熱いシャワーで身体中の全てのモヤモヤとした思いを洗い流したい―そんな気持ちの表れかのように、浴室に湯気が立ちこめても、いつまでもいつまでも頭からシャワーを浴びていた。




 太陽が昇り、周りが朝の風景を描き始めた頃、弓生はリビングに入ってきた。
 目に止まったのはソファに腰を下ろし、クッションを抱いている聖の姿。
 だが聖は心此処にあらず、と言った感じでボーっとしていた。弓生が傍に来ても気付かない。
「聖?」
 突然声を掛けられ、聖は思わず「うわあぁっ!!」と大声をあげ、思わず手にしていたクッションを投げ出した。
「どうした、聖?」
「ユミ…ちゃん」
 夢の弓生と今の弓生が重なり、思わずドキリと息を呑む。
 ドキドキが収まらない。心臓がきゅぅっと締め付けられ、痛い。
 ―が、聖はそんな自分の気持ちを落ち着けるかのように何度か大きく深呼吸をした。
「…なにをそんなに驚いている」
「せやかていきなり声掛けるんやもん…ビックリするわ、普通」
 そしてそのまま、ジーッと弓生を見つめる。
 上から下まで何度も繰り返し見るが、弓生の姿は普段となんら変わらない。
「朝からそんな間抜け面で人のことをジロジロと見るな」
 そう言いながら聖が投げ出したクッションを拾い上げると、そのまま聖の顔にボンッとぶつける。
 口調も行動も悔しいくらいに普段と全く変わらない。
「マヌケってなんやー!!」
 ぶつけられたクッションから顔を出し口を尖らせながらも、でも普段と全く変わらない弓生に、聖はホッとした。




「ところでさっきはなにを呆けていたんだ?」
 朝食を食べながら、弓生は突然先ほどの話題を切り出す。
 普段の聖なら自分がリビングに入って来ただけでもすぐに気付くのに、あんな近くに行き、しかも声を掛けるまで気付かないなんて珍しいことだ。
 すると聖はヘラリと笑った。
「いや、なんやちょっと夢見が悪うてな」
「夢?どんな夢だ」
「どんな夢て……それは……」
 聖はチラリと弓生を見た。
―(そんなん言えるわけないやろ)
 何故だか分からないけど、聖は言うことを躊躇った。
 所詮は夢の話―。
 弓生が「下らんな」と言って一蹴して、聖が「ほんまやな」と言って笑ってすませることもできた。
 だが聖は言えなかった。
 朝からする話題でも無い、と言えばそれもそうだが。
 だが、それよりもなによりあの時の弓生を、そして死の感覚を思い出すのが嫌だった。
 聖はうん、と自分を納得させるように頷くと、再びヘラリと笑う。
「なんやすっかり忘れてしもたわー。どんなんやったっけ?」
 あはは―と楽しげに笑うと、弓生は呆れたような表情で珈琲を飲む。
「なんだそれは…俺が聞いているんだが。まあ構わん―どうせ下らないことだろう」
「せやせや、どうせ下らんことやし―って、なんやそれー!」
 形だけでも口を尖らせたあと、聖があははと笑う。
 そんな何処までも暢気な聖の口調に、弓生も口の端を緩めた。




 だがもしもこの時、聖が夢の話をしていたのなら、事態は変わったのだろうか―。
 それはもう今となっては分からないことだった。




〜続〜