飛行機雲・V






 聖にとっては嵐のような一日が終わった。
 聖の動向が気になったのか、三吾も佐穂子も帰らずに聖に付き合ってくれた。
 その気持ちが嬉しかった聖は、佐穂子に自分のベッドを提供し、自分は三吾と共にリビングで雑魚寝をしていた。
 時刻は既に午前2時を回っている。
 すると、静かに玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
 聖は耳をピクン―と動かすと、ゆっくりと瞳を開けた。なんせ鬼の聴力+猫耳なので、聴力はかなりアップしている。それからムクリと起き上がると玄関まで飛んで出た。

「ユミちゃん、お帰り」

 朗らかな声とともにリビングと玄関を通じている廊下のドアが開く。

「……ただいま」

 こんな時間に起きているなんて思わなかったから、弓生は一瞬驚いた表情を見せたが、直ぐにいつもの弓生に戻る。
 一方、笑顔で出迎えた聖の頭からは、相変わらず耳が生えていて、お尻からは尻尾が生えていた。出掛ける前と全く同じ状態の聖を見て、弓生は軽く咳払いをし、泣いている子を宥めるかのように聖の頭に手を乗せた。

「ん?なんや」

「いや、色々あったが…大丈夫か?」

「うん!大丈夫、元気やで。それにな、三吾と佐穂子も来てくれたんや」

「そうか…。少しは気が紛れたか?」

「うん!」

「なら良かったな」

 その言葉にもう一度大きく頷く。―と、そこで聖は、弓生の後ろや横をキョロキョロとし始めた。

「…どうした?」

「なあ、ユミちゃん。祓いの術者は何処や?」

 確か出掛けるときに、連れてくると言っていた気がする。
 すると弓生は、ああと答えた。

「実は今まで別宅で待っていたんだが。どうやら現地での仕事が手間取ったらしい」

「現地?」

「ああ。京都だ」

「ほなその人は京都からわざわざ来てくれるんか?」

「いや、元々別宅にいた人だ。明日…いや、日付が変わったから今日だな。今日の朝に京都を出て直接このマンションに来てくれるらしい。恐らく午後には来るだろう」

「そか…なんや悪いな」

「それよりいつまでも玄関で立ち話もなんだな」

「そういや、そやな」

 聖は、あははと笑う。
 そしてリビングに向かう途中、前を歩いていた聖が、ふと立ち止まる。

「あっ!そうや。一番大事なこと言うの忘れとった」

「なんだ?」

 聖は屈託のない笑顔で振り返った。

「ほんまに、おおきにな?ユミちゃん」


******


 リビングに入り、床で雑魚寝している三吾を踏まないようにソファーに座ると、聖が小声で話し掛けてきた。起こさないようにと、聖にしては珍しく気を使っているらしい。

「ユミちゃん、なんか呑むか?珈琲…は眠れなくなるからマズイしな」

「いや。今日は朝まで起きているつもりだから、珈琲を貰おうか」

―というより、眠れないに決まっている。

「どうせなら濃いのを頼む」

「うん、分かった。ほなちょっと待っててな」

 決してわざとではなく不可抗力なのだが、尻尾をフリフリ歩く後ろ姿が何とも言えず可愛い。
 弓生はコホン、と軽く咳払いをした後、わざと見ないように逆の方を向く。
 程なくして聖が珈琲を持って戻ってきた。

「ほい」

「ありがとう」

 すると聖が隣に座る。手には珈琲を持って。

「……お前も珈琲でいいのか?」

「うん。オレもユミちゃんに付き合うわ」

「いや、お前は寝た方が良い。場所がないなら俺のベッドを使え。祓いとなると、かなりの荒作業だ。祓われる肉体の方にもかなりの負担が掛かるからな」

「大丈夫や。さっきまで寝てたし、体力は有り余っとる」

「聖…」

「いやや、寝たくない。オレも起きとる」

「聖、我が儘を言うな」

「せやかて、もう少しユミちゃんと一緒に居たいんや…。寝ろ言うんなら寝るけど、あと少しでも構わんから……それでもあかんか?」

 離れるのが寂しいと言った感じで上目遣いで弓生を見る聖。
 聖の心境と比例して、猫耳と尻尾が元気なく垂れ下がる。
 この姿と表情で小首を傾げられるのは、反則、しかも一発退場のレッドカードものだ。

「……本当に少しだけだぞ」

「うん!」

 その言葉にたちまち元気になった聖は、満面の笑みになった。

「そう言えば祓いは誰が来てくれるんや?…って、どうせオレが聞いても分からんか」

 使役鬼の任を解かれ、自由契約になったとは言え、相変わらず神島家に出入りするのは雷電のみである。
 すると弓生は、いや…と呟いた。

「お前も知っている人物だ」

「オレの知ってるヤツ?えーっ、誰やろ?」

 んーと唸りながら真剣に考える聖。すると、思い当たる者がいたのか、ハッと振り返る。

「それって、達彦。……とかってオチやないやろな」

 心底嫌そうな顔をしたものだから、弓生も思わず笑みが零れる。

「それはないから安心しろ」

 そして弓生はある術者の話をした。
 それは二人が中央から逃げていて神島家に匿って貰っていた時に、なにかと世話を焼いてくれた人物。神島家にしては珍しく、余所者や他家にも友好的人物だった。
 もちろん、二人の正体が鬼だと言うことも知っているし、このマンションの場所も知っている。

「あー、あのおっちゃんか!そういや祓いが得意やてゆうてたわ」

「夜刀を祓う祓わないで、お前と喧嘩もしてたな」

「そうそう。あのおっちゃん、かなりの頑固もんやったな」

「…お前に言われたくないだろう」

 素っ気なく言われ、なんでやねん、とツッコミを入れる。
 だが神島家の中ではその人物に対し好意的な印象を持っているため、聖は安心した様子でソファーの背凭れに躰を預ける。

「そっかー…あのおっちゃんか。なら良かったわ」

 ニコニコと微笑んでいたが、「そうそう!」と言いながら、それから聖は今日、昼間に起こった出来事を楽しげに話し始めた。

「聞いてやユミちゃん。なんかオレな、期間限定で猫舌になったんや」

「猫舌?」

「っちゅうか、熱い珈琲とか飲んだらミケが怒るんや」

「…ミケ?」

 聞いてはいけない気がしたが、思わず聞いてしまった。
 すると聖は満面の笑みで、ポンッと自分の胸の辺りを叩いた。

「コイツの名前や。名前がないと呼ぶの不便やから付けたった」

「…その名前で納得したのか?」

「なんで?ごっつぅ喜んでたで?」

「………そうか」

 さすがにエイリアンでも仲良くなれるのではないかと言われるだけのことはある。
 自分に憑いた猫と仲良くなるくらい朝飯前であろう。

「ところでもしお前に憑いたのが犬だったら、なんて名前を付けたんだ?」

「ポチ」

 即答する鬼からは、予想通りの答えが返ってきた。
 一方、聖はもう冷めたかいな?と呟きながら、手にしていた珈琲を飲んだ。

「ミケってほんま可愛いんやで」

「………」

 そう言われてもなんと答えて良いのか分からない弓生は、そうか―とだけ呟いた。その後も聖はミケの可愛さを楽しげに話していたが、その内、ポツリ―と呟いた。

「……やっぱり祓わんとあかんかな?」

―やっぱりな、と言うのが弓生の心の声である。
 それでも辛抱強く答えた。

「何を言っている。祓いたいと言ったのはお前だろう」

「そうなんやけど…」

「買い物にも行けないし、他にもなにかと不便だと言っていただろう」

「確かにそうなんやけど…。せやけどオレ、コイツが大好きになってしもた。いなくなったら寂しいわ」

 肩を落とし、しょんぼりと聖は呟く。
 こうなることは分かりきっていたことだった。
 たった1日だというのに、やはりこの鬼は自分に憑いた猫に対し、情が移ってしまったのだ。

「せっかく仲ようなれたのに、別れるのは寂しいなあ」

 聖は心底寂しそうに、消えそうな声でポツリと呟く。

「だが、祓って成仏させてやらないと、そいつは永遠に生まれ変われないぞ。その方が可哀想じゃないか?」

 怒るでもない優しい口調で説き伏せられ、聖は弓生を見つめる。

「ユミちゃん」

 それから納得するように、うん、と小さく頷いた。

「せやな、確かにそれはミケが可哀想やな」

 そう呟いたあと、今度は大きく頷いた。

「うん、分かった!ほな、コイツが成仏して生まれ変われるように、オレも手伝う」

「その意気だ」

「でも祓いが上手くいかなかったらどないしょ…。ユミちゃんもこんなオレは嫌やろ?」

「いや。お前がどんな姿形になろうとお前はお前だ」

「ユミちゃん」

「どんなお前でも愛している」

 珍しい弓生からの愛の言葉。
 そう、聖が弱っているときの弓生は、極端に優しいのだ。
 いくら元気に振舞っていても、聖がわざとそう振舞っているのは分かりすぎるほど分かっている。
 だからこそ普段は言わない愛の言葉も、ここぞとばかりに吐いてやる。

「ユミちゃんっ!」

 すると案の定、聖の瞳がキラキラとする。
 そして思いっきり弓生の胸にダイブする。

「オレも、オレもユミちゃん大好きや!」

 笑顔で抱き付かれたあと上目遣いで見つめられ、弓生は思わずキスをしたい―いや、それ以上のことをしたい衝動に狩られたが、なんとか理性を総動員させて思い踏み止まった。
 するといきなり聖がプッと吹き出した。

「どうした?」

「あのな?昼間に三吾がアホなこと言うてたんや」

「アホなこと?」

 うん、と聖は笑いを堪えながら続けた。

「ユミちゃんは今のオレと、絶対にエッチしたいに決まっとるって」

「……え」

 思わずピクリと眉を顰める。

「せやからな、ユミちゃんはお前みたいな変態やないー!!って言うたんや」

「……そうか」

「せやけどユミちゃんが変態やなくて良かったわー。ほんまに三吾はアホや」

 あはは、と笑ったあと、目の前の人物を全く疑うことのない澄んだ瞳で見られ、弓生は理性を総動員して良かったと、心から思った。

「ほなオレ、そろそろ寝よかな」

「そうだな。その方がいい」

「ユミちゃんベッド借りてええ?」

「ああ」

「ほな、お休み。ユミちゃん」

「ああ、お休み」

 聖は立ち上がり、弓生の部屋に向かうため足を踏み出そうとした。―が、何を思ったか急に振り返ると、弓生の額にちゅっと口付けを落とした。

「……」

「今日の御礼や。おおきにな、ユミちゃん」

 満面の笑みで弓生を見つめる。
 弓生は口唇が触れた箇所を押さえてから、小さく答えた。

「…ああ」

―(今のは絶対に反則だ)

「ほな、ほんまにお休み」

「ああ。朝になったら起こしてやるからゆっくり寝ろ」

 朝まで一緒に居られない分、せめて部屋まで送ってやる―と弓生と聖は仲良くリビングを出た。―と、同時に三吾がむくっと身体を起こす。

「かあぁ〜、狸寝入りも疲れんなあ」

 実は弓生と聖が小声で話している時に―小声でボソボソ話す声というのは案外響くもので―目を覚ましてしまったのだ。だが余りに二人で仲良く話していたため起きるのを躊躇ってしまい、思わず寝た振りをしてしまったのだ。
 しかも三吾が寝ていると思ったのを良いことに、聖はまたもや変態とかアホとか言ってたし。

「こりゃ元に戻ったら取り敢えず有無を言わせず1発はお見舞いしねえとな」

 三吾は握った拳に、はぁっと息を吐いた。
 因みに結局その後、弓生はリビングに戻ってこなかった。






〜続〜





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あれ?終わる筈だったのに…。あれ?
というわけで、本当は無いはずだった幻の3話(笑)
実は弓聖の深夜の会話を書いていたら、
楽しくて楽しくてvvv
因みにこの深夜、弓聖はどうしたのかは
ご想像にお任せしますvv(笑)

作:2008/06/16