弓生が出て行ってから1時間後。
ソファーの上で膝を抱え、悲嘆に暮れ、背中を丸めている聖の姿があった。
「ユミちゃんそろそろ着いた頃やろか…」
寂しげにポツリと呟く聖。―その時、玄関のチャイムがなった。
その音で垂れていた耳がピンッと立つ。飛ぶように玄関まで走り、ドアを開けるとそこにいたのは三吾だった。
「ったくよ…朝っぱらから電話してきて、『大問題が起きた!!直ぐに来い!!』って一体なんなんだ…」
言葉を最後まで紡ぐことなく、三吾は口に銜えていた煙草をぽろりと落とした。
「おはようさん!来てくれておおきにな」
「………」
「どないしたん?」
言葉を失っている三吾。まあ当たり前の反応である。
「えっ…と。俺はそれにどう反応すればいいんだ?」
「それ?……ああ、これのことか」
聖は自分の耳をクイッと引っ張る。
「これはな…」
「…朝っぱらから人呼び出して冗談も勘弁してくれよ」
「これは冗談とちゃうわ!」
「じゃあまさかお前…本気でコスプレの趣味があったのか!?」
しかもマニアックな猫耳かよ!!と、付け加える。
「アホ!趣味ともちゃうわ!これには色んな事情があるんや!」
「事情…ねぇ」
「まあとにかく早く入らんか!こんな姿ご近所さんに見られたら恥ずかしいわ…」
―『恥ずかしい』という気持ちは一応持ち合わせているらしい。リビングへと通された三吾は辺りを見回した。
「ところで弓生はどうした?」
「ユミちゃんは神島家に行っとる」
「…逃げたな」
「なんでユミちゃんが逃げなあかんねん?」
おかしなヤツやーと小首を傾げながら呟く聖。すると耳と尻尾も同じように傾げる。
そんな姿を見て三吾は無意識の内に手が伸びる。そしてクイッと耳を引っ張る。
「…なにしてるんや」
「いや、本物なのかなーと思ってよ」
「アホか!本物に決まっとるやろ!ちゅうか、さっきから何遍も言うとるけど、オレが趣味でこないなもん付けるわけないやろ?」
「いや…また俺はプレイの一種だと思ったよ」
「…なんのプレイや?」
「プレイっていやああれだろ?…その…よ?分かるだろ?」
三吾の表情で言わんとしていることがなんとなく分かった聖は机をドンッと叩いた。
「アホか!やらしいなー、お前は!」
「だって普通ありえねぇだろ?」
「やかましい!このアホ!」
頬を膨らまして怒っている聖。だが怒っていても耳も尻尾も付いたままだ。その姿は何とも言えず愛くるしい。
「ある意味すげぇ拷問…弓生も理性を保たなきゃ持たねぇって」
「ん?なんかゆうたか?」
「いや、別に。んで、その事情ってなんだよ。早く言えよ」
「ん…。もう一人来るはずやから、そしたら説明するわ。何遍も説明するの面倒やし」
するとタイミング良く玄関のチャイムが鳴る。その音で垂れていた耳がピンッと立つ。聖は飛ぶように玄関まで走り、ドアを開けるとそこにいたのは今度は佐穂子だった。
「よぉ、佐穂子、おはようさん!よう来たな」
「………ちょっとあんた。いつからコスプレが趣味になったのよ?」
佐穂子が変態を見るような軽蔑したような目で聖を睨む。
「アホ!コスプレとちゃうわ!これには色んな事情があるんや!」
「事情?なんの事情よ」
「まあとにかく早よ入り。説明は中でするさかい」
ぐいっと腕を掴まれ部屋に入ると、既にそこには三吾が居た。
「よぉ。やっぱりお前か」
「あんたも聖に呼ばれたの?」
「ああ。朝から叩き起こされてよ」
「ふ〜ん、 ところで弓生はどうしたの?」
「ユミちゃんは朝から神島家に行っとる」
「…逃げたわね」
「なんでユミちゃんが逃げなあかんねん?お前ら二人してユミちゃんのこと冷血鉄仮面みたいなこと言うなや」
プリプリと怒りながらキッチンへと姿を消す聖。そんな姿を見送ってから佐穂子は三吾を手招きする。
「ねぇねぇ、なんで聖はあんな格好してんの?」
「説明はお前が来てからだって言ってたから、俺も今から聞くんだけどよ」
「ふーん…。でも結構可愛いわよね!最初は引いたけど」
「そうそう!案外似合ってるよな。…それ言うとぜってえ怒るけど」
プッと吹き出す二人。そこへ聖が姿を現した。
「なにごちゃごちゃ言うとるんや?」
ようやく珈琲も沸き終わったらしく、聖がトレイに人数分のカップを乗せて持ってくる。
耳を生やし尻尾を動かしながら近付いてくるその姿を見て佐穂子がボソッと呟いた。
「なんかこういう喫茶店ってあるわよね」
「ああ、俺もこの前テレビで見たぜ…コスプレ喫茶、だっけ?」
「そうそう!なんかそう言う所に行った気分」
言って佐穂子がクスクスと笑う。
「だあぁ〜、お前らええ加減にせえ!」
聖が怒ると耳と尻尾も一緒にピンッと立つ。
その姿を見て、佐穂子が目を輝かせて寄ってきた。
「………ねぇ、聖?」
「なんや?」
「ちょっと触っても良い?」
「…ああ、別にええけど」
こういう展開が読めていた聖が辛抱強く答えると、佐穂子は嬉しそうに聖の耳を引っ張った。
「きゃ〜、可愛い〜!本物だぁ〜。それに暖か〜い」
「でっ!あんま強く引っ張んなや!痛いやろ?」
「ごめーん…よしよし」
今度は頭を撫でる。すっかり猫になった気分の聖である。
「だぁー!もう止めや!ええか?今日お前らを呼んだんはこないな姿を見せるためでも耳を引っ張らせるためでもないんや!」
「じゃあなに?」
「お前らに祓って欲しいんや」
「…祓うってなにを?」
「つまりオレがこういう格好しとるのはな…」
聖は昨日の怨霊退治の際、猫の霊が取り憑いてしまったこと。弓生が祓い専門の術者を神島家に依頼に行ったことを二人に聞かせて話した。
「そうゆうワケや…祓ってくれるか?」
「いいわよ、って言いたい所なんだけど…。私、祓いってあんまり得意じゃないのよねぇ〜」
「俺もどっちかってとそうゆう地味なのは苦手かも…」
「なんや?お前らそれでも次期当主か!?」
「つぅかよ、弓生が専用の術者を呼びに行ったんだろ?なら帰ってくんのを待ちゃいいじゃねぇか」
「そうなんやけど…。せやけどオレは一刻も早く元に戻りたいんや!せやから頼む!オレはお前らの実力を信じとるから!お前らならやれば出来る!お前らは出来る子や!!」
朝、弓生と交わした会話はこの際隠しておくことにしたらしい聖。
「そういや佐穂子!昔お前、鎌倉で妖面封じたことあったやんか!いやぁ〜、あれはほんまに上手やったで?」
パチパチと拍手をしながらその気になるように懸命に持ち上げる聖。
だが、佐穂子は困ったように珈琲を口に含む。
「ありがと。そこまで言われちゃやってあげたいんだけど、でも万が一、聖まで祓っちゃったら…」
「確実に弓生に殺されるな」
あははと笑う三吾と、そうそう―と口に手を当てて笑っている佐穂子。
「ってゆうかよ、ずっと突っ込みたかったんだけどよ」
「…なにをや?」
「憑かれるにしても、すっげー分かりやすい憑かれ方だよな。どっから見ても猫に憑かれたって分かるよな!お前、構造が単純すぎだっつの」
笑っている三吾の目には涙まで浮かんでいる。
「三吾。それ言っちゃダメってば!それに笑いすぎ」
…と言っている佐穂子も目に涙を浮かべて笑っている。
さっきから言いたい放題言われている上、遊ばれているようで、聖は拳をわなわなと震わせる。
「お前らなあ、からかうんやったら、もう帰れや!!」
「ごめ〜ん!冗談だってば。そんなに本気で怒らないでよ」
「そうだぜ。軽いジョークじゃねえか。お前が落ち込んでるから慰めてんの、俺ら」
「…そんな風にはちぃとも見えんけどな」
聖は口を尖らせながら皮肉を言う。
佐穂子はそっと人差し指を口元に持っていきながら微笑んだ。
「いいじゃない。弓生が神島に行ってくれてるんだから大人しく待ってれば?それにその格好。結構可愛いわよ?」
「ようないわ!お前ら、ほんっま友達甲斐の無いヤツらやな!」
「そんなこと言ってもしょうがないじゃない。出来ないんだもん」
…と、そこへ佐穂子の携帯が鳴る。
「あっ、ごめん。大学の友達からだ」
佐穂子が携帯を持って、もしもし?と言いながらリビングから出た。
と、ここで三吾が先程から抱いている疑問を投げ掛ける。
「あのさあ、俺ひとつ聞きたいんだけどよ。なんでそんなに焦ってんだ?」
「お前お気楽なやっちゃなー!こんな格好やったら晩メシの買い出しにも行けんやろ?」
「元に戻るまで出前とか取りゃいいだろ?」
「あと…それに」
「それに?」
聖は佐穂子がまだリビングの外で電話しているのを確認してから、前のめりになって小声で話した。
「こんな格好やったらユミちゃんと……出来んし」
「…なにを?」
「せやからその……あるやろ、ほら?」
聖が言わんとしていることがなんとなく分かる三吾は頷いた。
「あ〜成る程。……でもよ、ある意味新鮮っつぅか、弓生だってもしかするとやってみたいかもしれねぇし」
「アホか!お前やらしいなぁ〜!大体ユミちゃんはお前みたいな変態やない!!」
「誰が変態だよ!」
「お前に決まっとるやろ!寄るな、変態!!」
「お前なぁー!」
ビシリと指を差されながら断言され、三吾は思わず無気になる。―と、そこへ電話が終わった佐穂子が戻って来た。が、会話の意図が分からず首を傾げる。
「ねぇ?なんの話?なに盛り上がってんの?」
「え?いや…その」
「ん?」
こんな会話を聞かれていたら佐穂子からどんな非難の言葉が出るとは限らないので、聞かれていなかったと分かり、取り敢えずホッと胸を撫で下ろす。
「三吾は変態やっちゅう話や」
「なるほどね」
「おい!そこで納得すんなよ」
かなり不本意な三吾は文句を垂れるが、聞いちゃいない聖は頭を抱える。
「……ああ〜、やっぱり不便や〜!難儀や〜!」
そんな聖の様子を見ながら、佐穂子は小首を傾げた。
「でも弓生もどうして聖を連れていかなかったのかしら?一緒に連れて行けば手間が掛からないのにね」
「そこなんだよなー。だってよ、二度手間じゃねえか。…なんでお前を置いてったんだろうな?」
「置いてく置いてくて、ユミちゃんを人でなしみたいに言うなや…。それにオレがイヤや言うたんや」
「なんで?」
「なんでて、達彦にこないな姿見せたくないからに決まっとるやろ。そしたらユミちゃんは、急いで帰ってくるから良い子で待ってろって言うてくれたんや…。せやからユミちゃんは優しいんや」
あくまでも弓生を庇う聖。
「それもあると思うけどよ…」
「なんや?他にもあるんか?」
助手席に猫の格好をした者を乗せていたら、隣にいる運転手の品性が疑われるであろう。道行く人や擦れ違う車の中からの冷ややかな視線は容易に想像できる。―と、同時に弓生に貼られる変態のレッテル。
「弓生の選択は正しかったってことだよ」
「どういう意味や?」
三吾の意味を汲み取れず聖は首を傾げる。
「まあとにかくお昼にしましょ?朝食べてないからお腹空いちゃったわ」
「俺も寝てたとこ起こされたからまだ食ってねえ」
「じゃあ決まり!なににしよっか。聖、デリバリーのメニューって何処?」
「…そこやけど」
「あっ、俺ビール貰っていいか?」
「…ええけど」
「お前らも呑むだろ?」
三吾はビールを3本持ってきて1本ずつ手渡すと、リビングの床にドカッと座り、プルトップを開ける。そしてなぜだか、乾杯〜と言いながら、三吾と佐穂子は二人揃って聖が手にしている缶に当てる。
「……なんやお前らパーティ気分やないか?」
「そんなことないわよ、ねー?」
「ああ、そんなことねえよ。なあ?」
あははと笑う2人を見て、聖が口唇を尖らせる。
「…なんや騙されとる気がする」
「聖はなにが食べたい?今日は聖に合わせてあげる」
「………なら、ピザ」
「ピザ、いいわね!そう言えば最近食べてなかったかも」
「だよなー。一人じゃ食い切れねえしな」
そうなのよね、と言いながら佐穂子がメニューをみんなに見えるように広げた。
「なにがいい?これもいいし、これも食べたいし…。ハーフ&ハーフとかにしてみる?…Lサイズ2枚で足りるかしら」
「あー、俺。チキンも食いてえ。取ってもいいか?」
「お前ら少しは遠慮せえ…」
聖は思わず呆れたような溜息を吐いた。
だが、なんだかんだ言いながらも一人では落ち込みそうな状態に、いつもと変わらず接してくれる2人の存在が有り難かった聖はフワリと笑った。
「ええよ。ピザでもチキンでもポテトでもなんでも好きなの取れや」
そして満面の笑みで微笑んだ。
「お前ら、ほんまおおきにな」
聖の屈託のない笑顔に、佐穂子と三吾も笑った。
〜続〜 |