風吹く丘の青き空・弐






 聖が10cmという身長になってから、数日が経過した。
 だが、聖に戻る気配は全くやって来なかった。
 平気な振りをしてはいるが、内心、気ばかり焦っていた二人。


 そしてそんなある日、ついに恐れていた事件が起こってしまった―。


「えー、なんでオレだけ留守番なんやー!ここんとこいっつも連れてってくれてたやんか」
「それが特別なんだ」
「そんなこと言わんで頼むわー。一緒に行こうやー」
 いつものペースで身支度をしている弓生の周りでピョンピョンと跳ねている聖。―思わず踏みそうで怖い。
「…邪魔だ」
「なぁなぁ、ユミちゃん〜」
「そんな声を出しても無駄だ―じゃあ行って来る」
 猫撫で声も通用せず、弓生は車のキーを手にした。
 そして少しも納得していない様子の聖を置いて、弓生は玄関へと向かう。
 だが聖も諦めずに懸命に弓生の後を追う。
 けれども弓生の一歩は、今の聖にとっては百歩分である。それでも必死に弓生の後を追う。
 途中で何度も転びながらも、それでも何度でも起き上がり、再び弓生を追う。
 不屈の雑草魂である。
 だが、聖が玄関に辿り着いた時には弓生の姿は既になかった。


―そう、事件の発端は、その日だけ聖を独りぼっちにしてしまったことから始まった。


 いつもは注意に注意を払い、仕事の時も一緒に連れていっていたのだが、今回退治を依頼された妖がいつもよりも少し強い相手ということもあった。そして今の聖を連れていって、万が一のことがあるかもしれない―。つまり、危険だと判断したからである。
 まあ正直の所、聖を胸ポケットに入れたまま戦うと、「やれ!そこや!」だの、「行け!今や!」だの、かなり五月蠅いというか、かなり気が散るというか―。
 しかも今回の敵は気が抜けない妖なだけに尚更だ。だから家にいる方が安心だと思い、置いていってしまったのだが―。


 既に玄関に弓生の姿が無く、ガックリと肩を落とし、すごすごと部屋に戻る聖。
「ユミちゃんのど阿呆…ケチ…意地悪…頑固オヤジ」
 テーブルの上で胡座を掻き、次々に毒舌を吐くが、いつしか体育座りになり背中がどんどん丸まっていく―どうやら落ち込んでいるようだった。
 正直言えば、弓生の自分を心配する気持ちは痛いほどよく分かっている。
 弓生は悪くないことも、自分に責任があることも―。
 だからこそ寂しいし、落ち込みにも拍車が掛かるのだ。
「あーあ。早よ元に戻りたいな」
 聖はボソリと呟く。そして落ち込んでいたためかボーっとしてしまい、テーブルの上にあったカップ―恐らく聖を振りきることで頭がいっぱいだった弓生が片付け忘れたであろうカップを、思わずカーペットの上に落としてしまった。
 無惨に粉々になってしまったカップ。どうやら中身も数センチ残っていたのか、それも一緒に飛び散ってしまった。
「あっちゃー…ドジってしもた」
 そこで帰ってくるまでに綺麗にしておこうと思った聖は下に降りると、細かい破片を拾い始めた。―が、今の聖にとってガラスの破片も立派な凶器だ。
 そのことをつい忘れてしまい、いつもの感覚で破片に触れ、聖は肩から腹に掛けてザックリと斬ってしまった。
「あ…しもた」
 止血しようと思わず斬れた場所を力強く抑えるが、血は止まるどころか脈打つごとに更に速い速度で流れ出る。
 それでもどうにかしなくては―と必死で考えるが、止血しようにも周りには布すらない。救急箱も包帯も棚の上で、当たり前だが今の聖には全く届かない。
「くっそー、小さいて不便や…」
 恨めしく救急箱を見るがその内フッと意識が遠くなる。痛みと出血が多いせいだろうか―
「ほんまヤバい…どないしょ」
 揺らぐ意識の中で、聖は無意識で呟いた。
「ユミちゃ…」
 聖の意識はそこでプッツリと切れた。





 聖にとって運が良かったのは、その直後に弓生が戻ってきたことだった。
 その数分前のことだ。
 駐車場まで降りたとき、弓生は玄関の鍵を閉め忘れたことを思い出した。
 普段は聖が中から閉めてくれていたため、ついうっかりいつものクセが出てしまった。だが今の聖が閉めるとなると何時間掛かることか―それにこのご時世、開けっ放しは不用心だ。
 そこで仕方なく戻ることにした。
 だが、エレベーターに乗った途端、何とも言えぬ嫌な予感がした。
―(なんだ…この感覚は)
 それがなんなのかは分からなかったが、このままの気持ちで仕事には行けないと思った弓生は、やはり聖も連れていこうと施錠の解かれている玄関を開け、リビングに入った。
 そこで弓生が目にしたのは、粉々に割れたカップと飛び散った珈琲、そして血溜まりの中で倒れ伏している聖だった。
「っ!聖っ!!」
 必死で呼び掛けるが、聖はグッタリとしたまま動かない。
 動かしていいものかどうか悩みながらも、弓生は何度も呼び掛けた。
「聖!しっかりしろ、聖!!」
 弓生の必死の呼び掛けが、いつまでも部屋に響く。
「聖っ!おい、聖!!」
 何度目かの呼びかけで、聖がピクリと動いた。
 そしてゆっくりと瞳を開くと、そこには顔面蒼白で真剣な表情で自分を見つめる弓生がいた。
「ユ…ミちゃ」
「聖!気が付いたか?」
 うん…というように小さく頷く聖。
 弓生はホッとしたものの表情は強張ったままだ。
「一体なにがあったんだ」
「なにて…ちょっとドジって斬ってしもただけや」
 痛つっ…と言いながら起き上がろうとする聖。
「無茶をするな…どれ、怪我を見せてみろ」
 手を貸し、起き上がるのを手伝う。
 傷は深く、血管の傍だったため出血も多かったが、どうやら命に関わることはなさそうだった。
「このくらい平気や…絆創膏でも貼っておけば…」
「…擦り傷じゃないんだ」
 冷たくそう言いながらも、暢気な聖の口調に弓生は少し安心した。
 とはいうもの、普通だったら瀕死の状態だったであろう。
 小さいとは言え、この頑丈さはさすが鬼と言った所か―。この時ばかりは聖が鬼であったことに、弓生は感謝していた。
 そして棚の上にある救急箱を持ってきて、中から包帯を取り出す。
「取り敢えず止血する…かなりきつめに縛るから我慢しろ」
「うん……ぃっつー!痛い痛い、ギブギブ!!ユミちゃん痛いって」
「我慢しろ!止血してるんだ」
 ぴしゃりと言い捨てられ、口を抑えて黙る聖。
 そして弓生が巻いてくれている包帯を見ながら、聖は口を開いた。
「それよか早いな?もう仕事終わったんか?」
「まだだ…鍵を閉めに帰ってきただけだ」
「ほな、これ終わったら行ってしまうんか?」
「そのつもりだ…。まあお前が怪我をしていなかったら連れていくつもりだったがな」
「えっ!?そうやったんか?なんや…そか」
 しゅん…と肩を下げる聖。
「あからさまにそんな寂しそうな顔をするな」
「せやかて…」
「怪我が治るまでは大人しくしていろ…。だが、怪我が治ったら連れてってやる。もう二度と置いていかん」
「ほんまに?」
「ああ、本当だ。だから頼むから…」
 弓生は一旦言葉を止めてから、包帯を巻いている手も止める。
「ユミちゃん?」
「頼むから二度と無茶はしないでくれ…」
「ユミちゃん」
「お前が倒れているのを見たとき、心臓が止まるかと思った」
「ユミちゃん」
「…………」
 だがそれきり黙ってしまい、黙々と包帯を巻いている弓生に、聖はポツリと呟いた。
「…かんにん」
 弓生の消えてしまいそうな声に、聖は戸惑った。
 だから何度も何度も謝った。
「ほんま、かんにんな?」
「………もういい」
 何度目かの謝罪の言葉の時に、ようやく弓生が制止した。―と同時に治療が終わったらしい。治療をしていた手も止まる。
「ううん、ほんまかんにんや」
 それからもかんにんを繰り返す聖に、今度は弓生が戸惑った。
「どうした?もう謝らなくて構わんと言っただろう」
 すると聖は俯いたまま、首を横に振った。
「違うんや…オレ、ほんまにかんにんや」
「聖…」
「ユミちゃん…かんにん」
「一体どうした?」
 優しい口調に聖は、俯いていた顔を上げた。
 その顔は泣きそうな一歩手前の顔だった。
「せやかてオレ、ユミちゃんに心配掛けてばっかりや…この怪我かてそうやし、小さなってしまったのもそうやし…」
「聖」
「オレ、かんにんばっかりや…。もういやや…。これじゃユミちゃんになんもしてやれん」
「聖…もういい」
 弓生は聖の頭を指先でそっと撫でた。
「ユミちゃん…」
「俺はお前に何かして貰いたくて一緒にいるんじゃない。それにお前はお前だ。どんな姿形になろうとお前は戸倉聖だ」
「ユミちゃん…なら、オレ、ずっとこのサイズでもええの?」
「ああ」
「メシも作ってやれんけど…ええの?」
「ああ、構わん」
「エッチも出来んけど…構わんのか?」
「………」
「ユミちゃん?」
 返答がないもので、聖は顔を覗き込んだ。
 すると少し真剣な表情で考え込んでいる弓生が居た。
「…それは少し構うな」
 その言葉に聖はプッと吹き出した。
「オレもそれは少し…いや、かなり困るわー」
「確かにそうだな…俺も少しではなく、かなり困る」
 続けざまに発せられる弓生の正直な意見に聖は声をあげて笑った。
「もうユミちゃん笑わせんといてー、痛いんやから」
「それはすまない…。だが本音を言うと、俺はお前が居ればそれだけで構わん」
「ユミちゃん」
「お前と過ごせるだけで構わん」
 その言葉が嬉しかったのか、微笑む聖の瞳がほんのりと涙で揺らいだ。
「ユミちゃんっ!!」
 聖は飛び付こうとした―が、怪我をしていたことを思い出し、あいたたた…と言いながら蹲る。
「ほら…無茶をするな」
「せやかてごっつぅ嬉しくて…」
 聖は顔を上げ、ニッコリと笑った。
「ユミちゃん…大好きやで」
 その笑顔は眩しいくらい輝いていて…。
「聖…俺も―」






「ユミちゃん…ユミちゃん」
 聖の声に弓生は寝返りを打った。
「ユミちゃんってば!おーい、もしもーし」
―(いつの間にか眠ってしまったのか)
「大丈夫か?もしかして具合でも悪いんか?風邪引いたんか?」
 聖の心配そうな声に弓生は瞳を開いた。
「いや…大丈夫だ」
「なら良かったわ。もう昼過ぎてんのに起きひんから心配したわ」
「…昼過ぎ?」
―(そんなに寝てしまったのか)
「せやで?今カーテン開けるさかい。今日はごっつぅええ天気やで?」
―(カーテン!?)
「カーテン…って、開けられるのか?」
 ようやく我に返った弓生は、カーテンの下がっている窓の方を見た。
 すると不思議そうな顔をした聖が、弓生を見ていた。
「へ?ユミちゃん?なに言うてんの?カーテンくらい開けられるに決まっとるやんか」
 その言葉と共に、窓の外から差し込んでくる眩しい光―。
 目に映る聖のサイズは…いつもと同じで。
「聖!元に戻ったのか?」
「へ?なにが?なんのことや?」
 不思議そうに小首を傾げる聖。
「そうだ、怪我!怪我はどうした?」
「怪我?オレ怪我なんかしてへんけど?」
―(一体何がどうなっているんだ)
「どないしたんや?ユミちゃん…なんか夢でも見たんか?」
 その言葉に、弓生はハッとする。
―(夢…そうか、あれは夢だったのか)
「ユミちゃん?」
 気が付くとベッドの脇に座り、心配そうに弓生を見つめている聖がいた。
「大丈夫か?ほんま具合悪いんやないか?」
「いや…大丈夫だ…どうやら夢だったらしい」
「なんや、ただの寝惚けてただけかいな…」
 心配して損したわーと言う風に肩を竦める聖だったが、ニッコリと微笑んで弓生の顔を覗き込んだ。
「けど珍しいな、ユミちゃんが寝惚けるなんて…。で、ええ夢だったんか?」
「ああ、最高の夢だった」
「へぇ〜…一体どんな夢や?教えてーな」
 猫撫で声で迫るが、弓生はフッと笑みを零しただけだった。
「勿体なくて教えられん」
「ケチー!ええやんかー!」
 ブーブーと文句を垂れる聖だったが、そんな聖の腕を掴み、引き寄せて抱き締める弓生。
「ユミちゃん?」
 伝わってくる聖の温もり…。
「やはり普通サイズが良い」
「へ?なんのことや?」
「いや…お前がお前で良かったということだ」
「は?」
「どんな姿形になろうとお前はお前だが、やはり今のお前が一番良い」
「んー?…なんやよう分からんけど」
 そして、聖はふわりと笑った。
「オレも…ユミちゃんがユミちゃんで良かったわ!今も昔も大好きや!」
 そんな聖に口付けを落とすと、そのままベッドに押し倒した。
「ユミちゃんっ!こんなまっ昼間っからやる気かいな!?第一メシはどないすんねん!!」
「あとで構わん。いいじゃないか…久し振りなんだから」
 そして深く口付けを落とし、聖の服を脱がせに入る。
「久し振りて…昨日もやったやんか!!」
「俺に抱かれなくなったら、かなり困ると言っていただろう」
「は?そんなん言うた覚えないって!どないしたんやユミちゃん?」
 全く意味の分からない弓生の言葉と愛撫に戸惑いながらも、いつしか聖も弓生の首の後ろに手を回す。
「なんやもう…今日のユミちゃんはワケ分からん…。けど…まあええわ」
 ぐいっと引き寄せると、弓生にちゅっと触れるだけの口付けをする。
 そしてフワリと微笑んだ。
「ユミちゃん…大好きやで」
 それは夢の中と同じ笑顔―同じ言葉。
「ああ…俺も愛している」
 それは夢の中では言えなかった言葉。
 その言葉に、聖は益々嬉しそうに微笑んだ。




二人はそれからしばらくの間、シーツの波に溺れたのだった。







〜終



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はい!ということで、欲望のままに書き殴ったミニチュア完結ですが、
最後は夢オチにしました。
ってか、なんちゅう夢見とるんや、ユミちゃん!!
ドリーマー弓生、そしてアタシ(笑)
それにしてもミニチュア聖…欲しいなあ(笑)

作:2006/10/21



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