風吹く丘の青き空・壱






 窓から差し込む薄暗さが夜明けがまだ先だと言っている頃。
 弓生はふと寝返りを打った。その時―。
「痛っ!ユミちゃん…潰れてしまうて!!」
 耳元で聞こえる悲痛な声に思わず、すまん…と言って弓生は再び仰向けになる。
―(そう言えば昨日は一緒のベッドで寝たっけ)
 今ので少し目が覚めてしまった弓生は、聖の寝顔でも見てやろうと目を開け、ゆっくりと振り向いた。だが、そこには聖の姿が無く…。
「……聖?」
―(確かに今、聖の声が聞こえたのだが)
 不思議そうな顔で、現在時刻を確認するためサイドテーブルの上にある時計を取ろうとベッドの脇に手を置き、体重を掛けた。―途端。
「せやから痛いて…圧死してしまうやろ」
 やはり隣から聖の声が聞こえる。―と言うよりベッドに置いた掌の下から…。
 弓生は恐る恐る手を退けた。するとそこに居たのは―。

 シーツの上で藻掻いている聖だった。

 その瞬間、弓生の中で時間が止まった。何故ならいつもよりもサイズが少し…いや、かなり……。
「もー、今ので起きてしもたやないか…」
 弓生は珍しく驚いた表情をしていたが、当の本人は寝惚けている様子でふあぁ〜っとひとつ大欠伸をし、ん〜と伸びをして目を開けた。
「おはよー、ユミちゃ………」
 聖は笑顔で挨拶をしようとした途端、一瞬にして時間が止まった。
「………」
「………」
「………どっええぇぇーー!!大変やーーー!!ユミちゃんが巨大化しとるー!!」
「えっ!?」
 聖に言われ思わず辺りを見回したが、全て自分サイズというか…というか、この場合はどう考えても…。
「いや、俺が巨大化したのではなく、お前が小さくなったのではないか?」
「ええぇぇっ!!なんで!?」
「そんなの俺が知るわけないだろう」
―尤もである。
 だが、今の自分におかれている状況をまだ把握できていない聖は、自分の身体と弓生の身体を見比べたり、辺りをキョロキョロとし始める。だが、弓生の言っていること―つまり自分が小さくなったと言うことにようやく結論付いたらしい聖は、ガックリと項垂れた。
「なんで…」
 じわ〜と聖の瞳に涙が浮かんでくる。
「なんでやぁ…」
 そしてポタリとシーツの上に涙が落ちる。
「せや、きっと病気なんや…。このままもっともーっとどんどん小さなって、きっと最後は弾けて消えてしまう病気なんや…」
「聖」
 すると聖はハッとしたように顔を上げて弓生を見つめた。
「あっ、そや!打ち出の小槌があるやんか!」
「打ち出の小槌?」
「そうや!一寸法師に出てきた打ち出の小槌や!きっとあれで元に戻るはずや!ほら、鬼が持っとったやろ?…って、オレらが鬼やんかー!せやけどそんなん持ってないでー!?あれは嘘やったんかー!?」
「…落ち着け、聖」
 パニくっている聖は思考回路が飛んでもない方向に行く。―ということは長年連れ添って分かっていることだが、今回はいつも以上だ。
 弓生はふぅっと静かに息を吐いた。
「いいからもう少し落ち着け」
「ちゅうか、なんでユミちゃんはそんなに落ち着いとるんや!」
 落ち着いているわけではないが、二人揃ってパニくるわけにもいかない。
 だが、打ち出の小槌も無理だと分かった聖は、膝を抱えて背中を丸める。―落ち込んだときのポーズだ。
 普通サイズの時でもこのポーズは小さくなるのに、今このサイズでやられると益々小さくなる。
 ズズッと鼻を啜り上げ泣いている聖をなんとか励まそうと弓生は声を掛けた。
「聖」
 だが、次に続く言葉が見つからない―。その間も聖は打ちひしがれている。
 しばらく無言の時間が続いたが、弓生はそっと人差し指を伸ばすと、聖の瞳から暮雨の様に流れている涙を優しく拭った。
「ユミちゃん…」
 その優しい仕草に聖は顔を上げる。
「大丈夫だ。そんな病気は見たことも聞いたこともない」
「…ほんまに?」
「ああ。だからきっとすぐ治るに決まっている。いや、俺が治してやるから安心しろ」
 するとその言葉で落ち着いたのか、聖がコクリ、と頷いた。
「…取り敢えず場所を移そう。いつまでもベッドの上で話していても仕方ない」
 そう声を掛けると、弓生は聖を落とさないように気を付けてベッドから下りた。
「………うん」
 聖も小さく頷いてからその後に続き下りようとしたが、今の聖にとっては4〜5階建てのビルに相当する高さである。それでもジャンプして下りようとする聖の目の前にスッと手が出てくる。
「ユミちゃん…」
「…乗るといい」
「……うん。おおきに…ユミちゃん」
 ミニチュアサイズになった聖は、弓生の掌になんなくすんなりと収まった。



********




 場所をリビングに移した弓生と、直径10cmになったミニチュア聖は今後のことを話していた。
 どうやら先ほどの弓生の言葉で、一気に気持ちが楽になったらしい。
 すぐに復活する性格は、この時ばかりは有り難い。
「せやけど服はどないしょっかなー」
 聖は腕を組み、んーっと考える。
 因みに今着ているのはパジャマである。有り難いことに身に付けているものだけは一緒に小さくなってくれたらしい。
「服なら買うと良い」
「…どこで?」
 直球で聞かれ、思わず弓生は返事に詰まる。
 確かに考えてみれば、こんな小さな服など何処にも売っているワケがない。
 リカちゃん人形の服と言う手もあるが、女物は絶対に嫌だと譲らないし、なにより今の聖はリカちゃんよりも小さい―なので却下である。
「ま、他に無いしパジャマでええわ。洗っとる間は素っ裸で待つとして…」
「…せめてハンカチでもいいから巻いてくれ」
「えー、メンドいわ」
 別に小さくなった聖に欲情するわけではないが、素っ裸で横にいられる身にもなって欲しいものである―例えその身長が10cmだとしても。
「ま、それはそん時に考えるとして、一番の問題はメシやな。どないしょ…」
 はあぁ…と大きく溜息を吐き膝を抱える聖。
「お前が元に戻るまでは、店屋物を取るなり弁当を食えばいい」
―元に戻るまで。
 その言葉に聖の肩がピクンと動いた。そして膝に埋めていた顔を上げた。
「元に……元に戻るかいな」
 捨てられた子犬のような瞳で見つめられ、弓生は微笑む。
「ああ、戻るに決まっているだろう」
「うん、せやな。ユミちゃんがそう言うとすぐに治るような気ぃするわ」
 聖が笑う。今日初めて見せる笑顔だ。
「そうか…なら早速出掛けるとするか」
「出掛けるて…何処へ?」
「取り敢えずコンビニでも行って朝飯を買おう」
「そやな!腹が減っては戦は出来んしな」
 元気良く立ち上がる聖―と言っても身長が10cmほどだが。
 そんな聖の前に再び手が差し出される。
 聖がその上に乗ると、弓生はそのまま胸ポケットに入れる。
「これならどこに行くのも一緒だ」
「ユミちゃん…なんでそんなに優しいんや」
 聖の瞳がウルウルと潤む。
「俺はいつもと変わらん」
 弓生は断言するが、明らかにいつもとは違う。
 二人の事をよく知っている者が付け加えると、聖が落ち込んでいる時の弓生は、半端なく聖に甘く優しいのだった。
「せやけど、かんにんや」
「聖?」
「こんな小さなってしもて、ユミちゃんにごっつぅ迷惑掛けてしもた」
「俺が迷惑だと言ったか?」
「言わんけど…」
「なら気にするな」
「うん、分かったわ…ほんま、おおきに」
 聖がもう一度礼を言うと、弓生はああ、と頷いた。



*********




 聖が小さくなってから、数日が経過した。
 その間、弓生はなるべく外出を控え、常に聖と一緒にいた。
 外出(―というか聖の「どっか行きたい」攻撃)時には、いつも弓生は自分のポケットに聖を入れ、聖は弓生の温もりを、弓生は聖の温もりを感じていたし、珈琲カップのお風呂も慣れてしまえば快適だった。眠るときは弓生のすぐ隣で眠っても邪魔だと言われないし、文字通り、何処に行くときも何処に居るときも、いつでも一緒だった。
 それは勿論、今の聖を一人にすると、どういう危険があるか分からないため…なのだが、弓生と居られて聖は心の底から嬉しそうだった。それに弓生自身もこんなに常に聖の傍にいるのは始めてのようだったから…心底、穏やかな幸せを感じていた。


 だが、聖が不安じゃないわけがない。それは決して口にはしないが―。だが、聖はいつも不安を感じていた。その行動はそう、例えば聖は弓生が眠ったのを確認してから、いつもベッドの隅で膝を抱えている。
 膝を抱えたままの姿で溜息を吐いたり、月を見つめたりしている。この前は流れ星に願いを託していた。
 だが心配をさせたくないのか、弓生の前では決してそんな顔をせずに笑っている。
 だから弓生は気付かない振りをして一緒に居る。それが今の聖にとって弓生が出来ることだから―。そしてそれは、無条件にいつも聖が自分にしてくれていることだから―。


 だが、それからしばらく経っても、聖は全く戻る気配はなかった。
 そしてそんな中、ついに恐れていた事件が起こってしまったのだった―。






〜続〜



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アナタハ何ヲ書イテイルデスカ?
つか、ミニチュア聖が書きたくて書き始めたのですが、
ヤバイよ。自分の頭が(笑)
つか、コメディにするつもりがシリアスになっちゃったよ。
しかもコレ、続いちゃってるよ。どーすんの?オレ

作:2006/09/23