大江山に着いた高遠は、雪を掻き分けながら山中に入り、目を凝らして鬼同丸の姿を探した。
猛烈な吹雪が高遠の視界を邪魔する。だが高遠は、目の前の吹雪を必死で腕で払いながら、ただひたすら鬼同丸の姿を探した。
一体どのくらい探し回っただろう―。
だいぶ山深く入った時、探している者の姿を高遠はようやく見つけた。
身体中に雪を積もらせ、大樹に背中を預けたままピクリとも動かない鬼同丸―。そんな鬼同丸の傍には血の付いた日本刀が落ちている。
―鬼同丸!生きて…いるのか?
高遠は祈るような想いで雪を踏み締めながら鬼同丸に近付く―。その時だった。
「なんの用や?」
微動だにしなかった鬼同丸から突然発せられた言葉に高遠は凍り付く。
「今更なにしに来たんや、高遠!」
振り返らなくても、歩み寄る者が誰なのか分かっていた鬼同丸は全く振り返ろうとしない。
だが、高遠は鬼同丸が生きていてくれたことにひとまずホッと胸を撫で下ろし、再び歩みを進め隣まで到達すると静かに名を呼んだ。
「鬼同丸…」
その声で鬼同丸は高遠の存在を確信した。だが、大江山が壊滅することを以前から知っていたのに自分には教えてくれなかった高遠への怒りはまだ収まらない。
「此処に居たのか、随分探したぞ?」
いくら吹雪の音で声が掻き消されようとも聞こえているだろうに全く反応せず、膝を抱え背中を丸めたまま高遠を見ようともしない鬼同丸―。
そしてその傍らに立ったままの高遠―。
二人の間を駆け抜ける猛烈な吹雪の音―。
しばらくそのままの状態が続いたが、いつまでも隣で立ったままの高遠に、鬼同丸もついに観念したのか、ガリガリと頭を掻きながら振り返った。
「あーっ、もう!用があるなら早よ座ればええやろ…そこにずっと立ってられてこっち見てられたら気になってしゃーないわ!」
その言葉に高遠は片膝を付いて座る。そして鬼同丸の前に握り飯を差し出す。―屋敷を出る前に土間で調達したものだ。
「食え。この数日なにも腹に入れてないのだろう?」
鬼同丸は少しの間その握り飯を見ていたが、プイッと横を向く。
「いらん!」
「鬼同丸、意地を張るな!」
「意地なんか張ってへん!けどこないな時に食えるわけないやろ!どういう神経しとるんや、お前は!!」
「いいから食え!」
「いらんゆうとるやろ!」
鬼同丸は頑として受け取らない。
しばらく押し問答が続く―すると鬼同丸の腹からぐーっと音が鳴る。
「どうやら腹は正直のようだが?」
「やかましい!ほんまに今まで平気やったんや!そんなもん見せるから思い出して減って来たんや」
無気になって文句を言う鬼同丸―。だが、急に悲しそうな表情になると目を逸らせ膝を抱える。
「情けないわ…なんでこないな時に腹なんか減るんや」
「…鬼同丸」
「それに夜かてそうや―。最初此処に来たときは寝られへんかったんに…あいつらのこと思たら寝ることなんか出来んかった…悠長に寝たらあかんって思た。けどな、今は気ぃ付いたら寝とるんや―。そして朝になって起きて…。こないな時に寝てまうなんて、オレはなんて無神経なんや」
堪えきれないように言葉を吐き捨てる鬼同丸の言葉を高遠はただ黙って聞いている。
「あいつらはもう食うことも寝ることも出来んのに―。それなのにオレは、オレはっ!」
涙を堪えているような上擦った声で自分を責め続ける鬼同丸。
高遠は何も言わず鬼同丸の言葉を聞いていたが、フウッと小さく息を吐き出すと、同じように幹に身体を預けるように隣に腰掛けた。そして、呟く。
「だが…それが“生きている”ということだ」
「生きている…?」
その言葉に思わず鬼同丸は高遠を振り返る。
「そうだ、お前は生きている。お前はこの世に存在しているのだ」
「存…在」
「生きていれば腹も減るし眠たくもなる―。だがそれが自然の原理、当然のことだ」
「当然のこと…」
そうだ―と言うように高遠は頷いた。
「お前がメシを食ったり寝たりすることを責めるヤツは何処にもいない―生きている者にとっては少しも悪くないことだ」
そして再び鬼同丸に握り飯を差し出す。
「分かったか?…分かったら食え」
鬼同丸は素直に頷こうとした―。
だが、高遠と目が合っていたことに気付くと、鬼同丸は慌てて高遠から視線を逸らし、横を向いたまま小さく頷いた―そしてそのまま握り飯にかぶりつく。
「…旨い」
「そうか、良かった」
鬼同丸は無心に握り飯を頬張り、最後に指に付いた飯粒を綺麗に舐め取る。
高遠はそれを横目で見ながら小さく微笑んだ。
食べ終わった鬼同丸は再び幹に背中を預け、ふぅ〜と静かに息を吐いた。
それからしばらくお互いは言葉を交わさなかった。そしてその沈黙を破ったのは高遠の言葉だった。
「鬼同丸…この前答えられなかったことだが」
「この前?」
「ああ…何故今回の、大江山のことを言わなかったのか…ということだ」
鬼同丸は、その事か…と言うような表情でうん、と頷いた。
「俺は、お前を死なせたくなかった…お前の笑顔がこの世から消えることが怖かった。……だから言えなかった」
想像すらしなかったその言葉に、鬼同丸は弾かれるような瞳で高遠を振り返った。
そんな表情の鬼同丸と見つめ合うように高遠は続けて言葉を紡ぐ。
「鬼同丸…俺はお前が死ぬのが怖かったのだ」
「…高遠」
「出逢った頃、お前は一人は寂しいと言った…そして俺はそんなお前に、『一人になるのがイヤなら晴明様の所に来い』と言った…。覚えているか?」
「当たり前や…せやからオレは山を降りたんや」
「そうか。…だがお前に会うことにより、独りになるのが怖かったのは実際は俺の方だったのかもしれん」
「………」
高遠から紡がれる言葉を鬼同丸は黙って静かに聞いている。
そんな鬼同丸を、高遠は身体ごと正面から見つめた。
「だが、結果的には余計お前を傷付けてしまったな。…済まなかった」
高遠から出る詫びの言葉に鬼同丸は首を横に振る。
「高遠が悪いわけやない…それは分かっとる。あいつらアホやからな…人が良すぎるんや、簡単に騙されてからにほんまにアホや…」
「鬼同丸…」
「せやけど、オレはそんなあいつらが大好きやった」
今にも泣き出しそうな表情で鬼同丸は空を見上げる。
高遠は掛けるべき言葉を失って押し黙って鬼同丸を見つめた。
「………」
「オレが一番許せんのは自分自身や。きっとあいつらはオレを信じて待っとってくれたんに、オレは行ってやることが出来んかった…。そんなアホな自分が許せんのや!」
「だが、それは知らなかったからで―」
自分を庇う言葉に鬼同丸は首を横に振った。
「いや、それは関係ないんや。朝廷に攻められてやられて…痛かったんやろな、苦しかったんやろな、ってあいつらの気持ち思たら、いくら考えても取り返し付かんのや―。なんでオレは気付いてやれんかったんやろ」
鬼同丸は膝を抱え、背中を丸めた格好のまま、枷が外れたように次々に言葉を弾き出す。
「なんやそう思たら、えらい情けのうなってなぁ…仲間助けてやれんでなにが頭領や。こない情けない頭領が他に居るか?」
鬼同丸は日本刀を再び持ち上げる。
「ほんまはな、あの日あいつらの後を追って死のう―、思たんや」
その言葉に高遠の瞳が揺れる。そして弾かれたような瞳で鬼同丸を振り返る。
「けど…死ねんかった。ほんま情けない頭領や、あいつらの後を追ってやることも出来ん…あいつらのこと思て泣いてやることしか出来ん…。ほんま、かんにんな」
「鬼同丸…本当に済まなかった。まさかそこまでお前を追い込んでいたとは―」
その言葉に鬼同丸は静かに首を横に振る。
「いや、オレこそかんにんや…お前はちぃとも悪ないてほんまは分かっとったんに、八つ当たりしてしもてかんにんな」
そう言って寂しげに微笑む鬼同丸がなんだか消えてしまいそうな気がして―。気が付いたら高遠は思わず鬼同丸を抱き締めていた。
「高遠?」
驚いた表情で高遠の顔を見る鬼同丸。だが、高遠は抱き締める力を緩めようとしない。
―抱き締めておやり。あの子には愛情が必要だ
晴明の言葉が高遠の胸を打つ。
「頼むから…頼むから“死ぬ”などと言う言葉はもう二度と口にするな―」
「高遠―」
「大江山の鬼たちは結果的にこんな形になってしまったが、でもお前が後を追うことは誰一人として望んではいないはずだ」
そうだ。あの者たちは鬼同丸が後を追ったとしても、逆に悲しむだけかも知れない。
鬼同丸を―酒呑童子を好きでいたなら尚更―
「もしもあの者たちに済まないと思うのなら、お前は生きろ―仲間の分も」
耳を澄まさないと消えそうな高遠の言葉。だが、鬼同丸にはしっかりと届いていた。抱き締められたままの状態で鬼同丸は、うん―と頷く。
「分かった、もう言わん―。ほんまかんにんな?」
その言葉に高遠はホッと頬を緩める。だが、抱き締めている手を解くタイミングを逸してしまった高遠。
しばらくそのままの体制で居たら、鬼同丸から押し当てたようなくぐもった声が聞こえてきた。
「なあ、高遠?」
「…なんだ?」
「さっき言ってたことやけど…」
「さっき?」
「うん、独りがどうとかってヤツや」
「ああ…」
その事かと言うように高遠は頷いた。すると鬼同丸は顔を上げ、ふわりと微笑んだ。
「独りになるのが怖くて寂しいのは高遠だけやない―。オレかてそうや、オレも怖い。独りになんのはもうイヤや」
「鬼同丸…」
鬼同丸の素直な言葉に高遠は再び頬を緩めて微笑んだ。そして鬼同丸の頭に手を置く。まるで小さな子を窘めるように―
「分かった。じゃあ帰ろう、鬼同丸…俺達の今居るべき場所に―。晴明様もお前の帰りを待っておられる」
「じーさんが?」
「ああ、そうだ…。だから一緒に帰ろう」
「一緒に―」
高遠の言葉を繰り返した後、鬼同丸は高遠の胸の中で静かに頷く。
「…うん、一緒に帰ろ」
そう言いながら顔を上げた鬼同丸は、高遠に最高の微笑みを見せた。
一条堀河にある屋敷に着いたのは、東の空から太陽がうっすらと顔を覗かせ始めた頃だった。
まだ朝が明けてないので家の者を起こさぬようにと気配を殺しながら、二人はそれぞれの部屋へと向かおうとしたが、鬼同丸の部屋の前に人影があったため、二人は立ち止まった。―晴明だった。
「じーさん!?」
「晴明様、起きてられたのですか?」
「そろそろ二人が帰る頃だと思ってね…」
思わず高遠と鬼同丸は顔を見合わせた。さすが噂に名高い陰陽師である。
「ありがとう高遠。お前なら鬼同丸を連れ戻してくれると信じていたよ」
晴明は優しく微笑む。その言葉に高遠は深々とお辞儀をした。
「勿体ないお言葉です」
その礼を見据えて微笑んでから、次に晴明は鬼同丸に近付いた。
「おかえり、鬼同丸。お前の帰りを待っていたよ」
優しく微笑む晴明に、鬼同丸は頷き、満面の笑みで笑った。
「じーさん…。うん!ただいま、じーさん」
数日後―空を見上げていた高遠の傍に鬼同丸が駆け寄ってきた。
「高遠!高遠っ!高遠ー!」
「………」
忙しなく自分を呼ぶ声に、高遠は眉を顰めながら怪訝そうに振り返る。
「此処に居ったんか!さっきから呼んどったんに、居るんならさっさと返事せんかい!」
「お前が勝手に騒いでいただけではないのか?」
素っ気ない返答に、鬼同丸はほんま会話にならんなーと文句を垂れながら、高遠の横に並んで同じように空を見上げた。
空には番の鳥がピィ〜と鳴きながら飛んでいる。
「また空見てたんか?ほんま好きやなー」
「別に特別好きなわけではない…」
ぶっきらぼうに答えてから、高遠は鬼同丸に視線を移した。
「それより今朝は早くから何処に行っていた?」
その言葉の通り、高遠が目覚めたときには鬼同丸の姿は屋敷から消えていた。しかも屋敷の者に鬼同丸の行方を聞いても、皆、首を横に振るだけだった。
あれから数日経っているので、だいぶ気持ちも落ち着いて来てるとは言え、鬼同丸の負った心の傷が未だ癒えていないことを、言葉には出さないが心配していた高遠。そんな折、早朝から誰にも何も言わず姿を消した鬼同丸―高遠が心配しないわけがない。
だが、そんな高遠の心中は如何に、鬼同丸はヘラッと笑った。
「使いやけど―なんぞまずかったか?」
子供のように無邪気に微笑まれ、高遠は心配して損したと思いながら心の中で溜息を吐いた。
「そうか…。じゃあ早く晴明様に渡すといい…晴明様ならお部屋にいらっしゃるぞ?」
「ちゃう。じーさんやのうてお前に用なんや」
「俺に?」
「せやからさっきからお前を探しとったんや」
「俺を…探して?」
そや!と頷いてから、鬼同丸は持っていた包みを押し付けるように手渡した。
「これ、お前にやろ思て」
「…なんだこれは?」
「ええから、やる。一応言うとくけど、盗んだもんとちゃうからな?せやから安心せい」
それが当たり前のことなのだが、何故だか偉そうに胸を張る鬼同丸。
高遠はしばらく鬼同丸を見つめてから、手にした包みに視線をやった。
「開けてもいいか?」
「ああ、ええよ」
鬼同丸は笑顔で頷いた。それを確認してから高遠は包みを開いた。
すると中から出て来たのは七色に輝く硝子の―。
「これは…」
「見りゃ分かるやろ?硝子の置きもんや」
「それは分かるが…何故俺に?」
「せやかてほらっ!この前オレ、お前の部屋にあったやつ、割ってしもたやないか?」
高遠の部屋で大江山壊滅の経緯を聞いて飛び出した拍子に割れたことを言っている。
「同じの買お思て都中探したんやけど、どないしても無かったからお前が好きそうなもんにしたんや」
「…わざわざ探してくれたのか?」
そう呟いた後、先ほどの言葉を思い出し、高遠は弾かれるように鬼同丸の顔を見た。
「まさか…これを買うために今朝から居なかったのか?」
「まあ一応な。割ったんはオレやし、ずっと高遠に悪いな思てたし」
ちらと上目遣いで高遠を見る。
「どや?少しは気に入ってくれたか?」
「ああ、良い物を選んでくれてありがとう―鬼同丸」
高遠が微笑んだ。
その笑みが嬉しくて、鬼同丸は満面の笑みで高遠を見つめた。
鬼同丸のプレゼントした硝子の置物は、今日も陽の光を浴びて七色に美しく輝くのだった。
+完+ |