硝子 V






 一条堀河にある安倍晴明の屋敷―。
 その屋敷の庭先で高遠はたたずみ、空から舞い落ちる雪を静かに見ていた。
 大江山壊滅を聞いた鬼同丸が泣きながら屋敷を飛び出してから、今日で三日が経過しようとしていた。
 丸三日―けれども鬼同丸はこの屋敷に戻っては居なかった。
 高遠は静かに息を吐く。白く煙った息は雪と混じり合って静かに消える。
「鬼同丸…」
 高遠は無意識の内にその名を呼んでいた。
 その時、玄関の方が騒がしくなった。それで高遠の意識は現実に戻ってくる。
 その慌ただしさで今日は晴明が戻ってくる日だったことを高遠はようやく思い出した。
 そんな大事な日は今まで一度だって忘れたことなどなかったのに、どうやら高遠の頭からはすっかり消えてしまっていていたようだ。その代わりに高遠の思考の中に居たのは鬼同丸の姿―鬼同丸の笑顔―そして、鬼同丸の涙。
 高遠はゆるゆると頭を振ると、晴明を迎えようと玄関へと向かった。






「晴明様、お帰りなさいませ」
「ただいま、高遠」
 深々と自分にお辞儀をする高遠を見て晴明は優しく微笑んだ。―が、ふと足を止めると振り返った。
「高遠…少し良いか?」
「はい」
「ならば私の部屋に来てはくれまいか」
「承知しました」
 高遠は自分の代わりに晴明に付き従っていた従者から荷物を受け取り、晴明の後ろを歩きながら指示された部屋に入り、荷物を部屋の隅へと置いた。
「晴明様、お疲れではないですか?」
「平気だよ」
 晴明はニッコリと優しく微笑む。だが、全てを見透かした様な微笑みに高遠は思わず目を逸らした。
「さて…話というのは他でもない。鬼同丸はどうした?」
 晴明の問いに、高遠は逸らしていた視線を戻し晴明を見つめた。そして―。
「鬼同丸は…」
 言葉を詰まらせる高遠。
 みなまで言わずとも全てを察している様子の晴明は、そうか―と静かに頷き、視線を窓外へと向けた。
 その方角は―大江山のある方角だった。
「…行ったのだな」
「…はい」
「それでは全てを知ったのだな」
「…はい」
「分かっておるのに何故迎えに行ってやらぬのだ?」
 責めるわけではないがきっぱりと問いだたされ、高遠は目を伏せる。
「私は晴明様から託されましたのに、あの者に―鬼同丸に結局自分の口から伝えてやることが出来ませんでした」




 そう、今回高遠に命じられたことは鬼同丸に伝えること。高遠の口から全てを―鬼同丸が信頼を寄せ始めている高遠から全てを―
 それなのに高遠は伝えてやることが出来なくて、結局は心ない者たちから吐き捨てるように聞かされると言う最悪の結果を迎えてしまった。そしてそれは、結果的に余計鬼同丸を傷付けてしまった。全ては鬼同丸の笑顔を失うのが怖いと言う自分の我儘が引き起こしたもの。




 高遠はその時の経緯をポツリポツリと静かに話す。
 自分の我儘の理由も鬼同丸の涙の理由もその全てを―そして晴明は高遠の話を黙って聞いていた。
「あの者が―鬼同丸がもしも死を選ぶのであっても自分には止められない―そんな権利は私にはありません」
「権利…か」
 その言葉で、今まで黙って聞いていた晴明が口を開く。
「それでは聞くが、権利とはなんなのだ?高遠」
「晴明様」
「あの子に…鬼同丸に生きていて欲しい、笑って過ごして欲しい…その思いだけで充分ではないのか?そう願うことに権利など全く必要ないのではないか?私はそう思うよ」
「………」
「そしてその思いはどんなものよりも強い―迎えに行っておやり、高遠。あの子は強がってはいるが、人一倍寂しがり屋だ。恐らく人間よりもな…」
 今度は高遠が黙って晴明の話を聞いている。ひとつひとつ自分の心に染み込めるように、静かに―。
 そんな高遠を見据えながら、晴明は微笑んだ。
「でもそれはお前も同じではないのかね?あの子の寂しさを一番理解ってやれるのはお前だし、お前の寂しさを一番理解ってくれるのもあの子だ。きっとあの子はお前を待っているよ」
 すると高遠は苦笑し、ゆるゆると頭を横に振った。
「けれどもあの者は恐らく私の顔など見たくもないでしょう」
「そうかもしれないね…お前の姿を見てキツイ言葉を掛けてしまうかもしれない…だが本心ではそんなことは思っていないよ。伝えてやれなかったことを今、悔やむのならば、今は抱き締めておやり。あの子には愛情が必要だ」
「けれどもあの者はもう生きては居ないかもしれません」
 ついっと視線を大江山の方向へ向ける高遠。
「何故そう思うのかい」
「大江山のあの現状を見たらショックで耐えられないのではないかと…それに屋敷を飛び出してから今日でもう3日経ちます」
「そうか…そうだね、恐らく酷く傷付いて居るだろうね…だが高遠、あの子はそんなに弱くはないよ」
「晴明様」
「かと言って特別強いわけでもない…あの子にはお前が必要で、お前にもあの子が必要だ。今だけではない、この先もずっとだ…この意味が分かるかい?」
 高遠は顔を上げ、晴明の目を見つめる。そして静かに頷いた。
 それを確認してから晴明は窓を見た。大江山と雪が重なって見える。
「以前、あの子は曇りのない目をしていると話したのを覚えているかい?」
「はい」
「だかあの子の目は辛い経験をしてきた者の目でもある…それだけに他人の気持ちが分かる優しい子だ…お前と同じように」
「晴明様」
「お前たちは互いを必要とし、支えあい守りあい生きていく存在に必ずなる…私はそう思うよ」
 晴明は視線を高遠に戻すと、優しく微笑んだ。
「晴明様…あの者は―鬼同丸は生きておりますでしょうか」
 確認するような言葉に、晴明は微笑んだまま頷いた。
「大丈夫だよ、高遠…さあ、早く迎えに行っておやり」
 その言葉に高遠は立ち上がり、晴明に向かって深々と一礼した。
「ああ、そうだ高遠」
「はい」
「鬼同丸に『私も待っているよ』と伝えておくれ」
「承知しました…そのお言葉、必ず鬼同丸に伝えます」
 高遠の迷いがこの時一瞬にして消えた。






鬼同丸、お前に伝えたいことがある。だから死なないでくれ―




雪が舞い落ちる中、高遠は懸命に走った―
鬼同丸が待つ大江山へと―







+続+





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『だから鬼同丸が気になるんだってば!』と自分ツッコミした3話です(笑)
高遠の悶々と晴明さんの孫たちへの優しさ(笑)を表してみました。
…ってか鬼同丸が出ないと寂しー!これって鬼同丸依存症?(笑)
多分次回で終わると思います…終わるはずです(苦笑)


作:2005/06/17