硝子 U






 止める高遠を振り切り、猛吹雪の中、屋敷を飛び出した鬼同丸。そして大江山に着いた頃は、雪は一時収まったかのように思えた。
―先ほどの話が嘘であって欲しい
 祈るような想いで鬼同丸は大江山の中へと入り込む。一歩踏み込む度に膝近くまで雪に埋もれるがそんなことはどうでもよかった。
 鬼同丸の想いは一点―みんなに会いたい―
 あんな情報は全くの嘘で、みんな生きていて、鬼同丸が顔を見せたら『頭領!遅かったな!』『頭領、宴会始めるぞ?』と駆け寄ってきて宴は朝まで続いて――それだけで充分だった。
 …だが、目の前に広がる現実はそう甘くなかった。鬼同丸の目に映り広がる現状は凄まじく、そこでなにが起こったのかの全てを物語っていた。もはや鬼同丸の知る大江山の面影は何ひとつ―何処にも残っては居なかった。
―紅蓮の炎と血の朱に染まって
 今更になって高遠の言葉が鬼同丸の記憶に戻ってくる。
「なんで…なんでこないなことになるんや…」
 鬼同丸は震える身体を押さえながら、再び一歩ずつ中へと進む。
 中へ中へ―
 空からは再び雪が落ち始めて来ていた。






 山深く入り、そしていつも皆で宴会をしている広場へとやって来た。
 だがそこも、鬼同丸の知る大江山の姿をしてはいなかった―。
 鬼同丸は震える身体を抱き締めるように広場の中央まで進んだ。
 そしてスウッと深呼吸をすると皆の名前を呼んだ。
「茨木…虎熊…熊…星熊…金熊…みんな…居るんやろ?オレを驚かそ思て隠れとるんやろ?なあ?」
 鬼同丸は震える声で大声を張り上げ続ける。
「みんなぁ、何処に居るんや?隠れとらんで出て来てくれや?なぁ?」
 だが返ってくるのは雪混じりの風音と鬼同丸の発したこだまのみ―
「みんな…頼むから出て来てくれや…帰って来てくれや…」
 ついに鬼同丸は膝を折り、その場に倒れるようにしゃがみ込むと、泣き始めた。
「…っく!」
 堪えようとしても堪えきれない涙が次から次へと頬を伝う。
 拭っても拭っても間に合わない。
 樹に凭れ膝を抱え背中を丸めて鬼同丸はただただ、泣きじゃくる。しばらくそうしていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「…りょう」
「えっ?」
 鬼同丸は耳を疑った。何故ならそれはよく知る者の声だったから―
 吹雪の風音に紛れて聞こえてくる声に、鬼同丸は今度は顔を上げた。そしてその声に全神経を集中させながら耳を澄ませる。すると―
「りょう…頭領」
「虎熊…か?」
 鬼同丸の目に映っているのは、探していた、会いたかった仲間の内の一人の姿。
「虎熊、居ったんか?やっぱり生きてたんか?」
「頭領?さっきからなに言ってんだ?ほら、早く!みんな頭領を待ってるぞ?」
「みん…な?」
 掠れる声で呟きながら目を凝らすと、先程まで何も無かった広場の中央に、紅々と炎を燃やす焚火があった。
 そしてその焚火を囲むように、虎熊、熊、星熊、金熊、そして大江山の鬼たちがみんな集まって宴会をしていた。
「頭領!早く!」
「早くしないと頭領の分の酒も呑んじまうぞ?」
「ほら!肉も魚も良い塩梅に焼けたぞ?」
 笑顔で自分を呼び掛ける仲間の姿に、弾かれるように見つめ続ける鬼同丸。そしてふわりと笑う。
「虎熊…熊…星熊…金熊…みんなっ!」
 鬼同丸は笑顔で立ち上がり涙をグイッと拭く。すると直ぐ隣で声が聞こえた。
「なにを泣いているんだ?」
 懐かしい声に、鬼同丸は振り返る。
「茨木…」
 何処か躊躇するように自分を見るその表情に、茨木は心配そうに鬼同丸の顔を覗き込む。
「どうした?幽霊でも見るような顔をして…なにか辛いことでもあったのか?」
 いつもと同じように優しい笑顔と一緒に掛けられる優しい声―
 そう、いつもと同じように―
 鬼同丸はううん―と首を横に振り、そして茨木にも笑顔を見せる。
「よかった…ほんま良かった!お前ら生きていたんやな!ほんま良かった…」
 鬼同丸の瞳からは、先程まで流していた涙とは違う意味の涙が溢れ出ていた。
「なぜ泣く」
 頬に流れている涙を拭き取ってやりながら茨木は小さく微笑む。
「せやかて、お前らが死んだって変な冗談聞いて、信じられんで此処まで走って来たんや!せやけど、やっぱ信じんでよかった!」
「おかしなことを…俺達がお前を置いて死ぬわけないだろう?さあ、早く皆の所へ!」
 そう言って茨木は微笑みながら手を差し出した。鬼同丸は頷いてその手を取ろうとした。
「行こう、鬼同丸!」
 その瞬間、鬼同丸の手がピクリと動いた。そして茨木の手と触れる寸前で手を引っ込める。
「どうした?鬼同丸」
「嘘や…」
 鬼同丸は静かに首を横に振る。信じられないことを聞いたかのような表情を浮かべて―
「なにが嘘なんだ?」
 鬼同丸とは全くの正反対の表情で微笑む茨木。
 目の前の笑顔はなんら変わらない―優しい声も、自分を思ってくれている優しい言葉のひとつひとつもなんら変わらない―違うことなんてなにひとつ無い―
 ただ、ひとつを除いては…
「鬼同丸?」
「ちゃう…茨木は―お前はオレのことその名前で呼んだことは一度もない!」
 すると目の前の茨木の笑顔が初めて切なそうに揺らいだ―だが、再び笑みを浮かべる。
「お前はオレのこと、酒呑童子って呼んどった…いつもそう呼んどった!そうやったやないか!なあ?」
 狼狽えながら鬼同丸は少しずつ後ずさりする。
 ―が、茨木は微笑みながら鬼同丸との距離を詰めていく。そしてそっと鬼同丸の頬へと手を伸ばす。
「そうや…お前が茨木なはずないんや…」
 鬼同丸は俯き、両脇で拳をギュッと握る。
―(分かっとったんに)
「鬼同丸」
「お前は茨木やない…せやかて」
「鬼同丸…言うな。言わなければずっと皆と一緒に此処に居られる」
「そう言うわけにはあかん…せやかてお前はっ!」
「鬼同丸!頼むから言わないでくれ」
 ついに堪えきれなくなったかのように鬼同丸は顔をあげた。そして茨木の叫びを制止するかのように首を横に振る。そして、寂しそうに―辛そうに答えた。
「せやかて此処にいるお前もあいつらも…オレが作り出した」
 鬼同丸の頬をツウッと涙が零れる。
「オレが作り出した、幻や」
 その途端、目の前の焚火が消え、宴会をしていた仲間たちも一瞬にして消えた。
 いつも優しく微笑んでいてくれた茨木も―目の前から消えた。
 そして辺りは一瞬にして闇に閉ざされた。
―(いつからやろ、あいつらに矛盾を感じたのは)
 鬼同丸は最初に背中を預けた樹に再び背中を預けた。
 恐らく最初からであろう。最初に虎熊が現れた時点で、心の片隅では分かっていた。
 高遠の言った真実―みんな死んだこと―いくら待ってももうここには誰も戻って来ないことを―
 その全てを自分は気付いているはずだったのに、気付いていない振りをしていただけ…
 鬼同丸の瞳から再び涙が溢れる。
―(会いたい、みんなに会いたい)
 次から次へと溢れ出る涙は、もはや拭っても拭っても間に合わない。
―(大江山が壊滅するて分かっとったら絶対に山を降りんかったんに…)
 悔いても悔やみきれない後悔の念が、次第に鬼同丸の心を押し潰していく。
「なんでこないなことになってしもたんや…なんで鬼だからって殺されなならんのや…」
 鬼同丸の嘆きは吹雪の音に掻き消されていく―
「痛かったんやろな、苦しかったんやろな、…助けてやれんで、ほんまかんにんな」
 鬼同丸は涙が枯れるまで泣き続けた。
 まるでその心と比例するように、空から降る雪が激しさを増してきた。






 鬼同丸にとって長く辛い夜が明けた―
 一体どのくらいの間、泣き続けたのだろう―
 泣き崩れ目を真っ赤に腫らした鬼同丸の目にあるものが映って来た。
 その目に映っているのは刀。その刀には誰のものかは分からないが血がこびり付いていた。鬼同丸は立ち上がると、のろのろとその刀を拾い上げた。雪の積もった刀はズシリと心にも重く感じる。
―(今、死んだらお前等ん所に行けるやろか…追い付けるやろか…)
 鬼同丸は虚ろな瞳で刀を見つめる。そしてそのまま刃を首筋に当てる。
 雲の切れ間から僅かに零れる朝陽に切っ先が光った―。






+続+






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今回は辛かった!書いててこんなに切なくなるのは久し振りです!
鬼同丸と気持ちがシンクロし過ぎました。
シンクロ率高すぎて暴走しそうです…(苦笑)
さすがに書きながら泣きはしないけど辛かった!切なかった!
幻を見る辺りは上手く表現できなくて何度も書き直してしまいました。
ラストは『鬼同丸早まっちゃダメ!?』…な続きにしてみました。

最後に、茨木×酒呑童子ってのも美味しいなあv(笑)←ヲイ!


作:2005/06/02