明日見る夢 〜Episode 6〜
新緑の季節―ベランダから入る暖かな風が心地よい。 そんな風に吹かれながら、二人の朝食は始まった。 |
「そういえばもうすぐ個人面談だな…確かお前は―」 「ん〜?金曜の最後の時間やで」 パンに被り付きながら聖が答えると、弓生は静かに珈琲を口に含んだ。 「そうだったな…この日はその、…誰か来るのか?」 聖に身内が居ないというのは赴任してきた当時、つまり付き合う前から知ってはいた弓生は、なるべく聖を傷付けないように言葉を選んで問いた。―が、聖は全く気にしていないと言った様子であっけらかんと答えた。 「ん〜…オレ、思い当たるヤツが誰も居らんから一人で出るつもりやけど…」 だが、急に不安げな表情へと変わる。 「それとも誰か居らんとあかんのか?せやったらどないしょ」 「いや、特例があるから平気だろう…それに、お前には俺が居る」 「ユミちゃんがオレの親代わりになってくれるんか?」 「…せめて兄といえ。いや、そういう意味ではないのだが」 「そか!担任とオレの身内と一人で二役は大変やな?宜しゅう頼むな?」 超が付くほどの鈍感の代名詞、聖が微笑む。 弓生は聖の鈍感さに、ああ…と呟き小さく溜息を吐く―が、静かに問いた。 「ひとりで寂しくないか?」 「なんで?」 「なんで…と言われても」 珍しく言葉が続かない弓生。だが、聖は満面の笑みで微笑んだ。 「オレにはユミちゃんが居る。今ユミちゃんがそう言うたやないか?オレはそれだけで充分や…せやろ?」 「…ああ、そうだな」 そっと瞳を伏せる弓生。二人の間を幸せな空気が流れ込む― 弓生は、自分を見つめ微笑んでいる聖に口付けでも贈ろうかと手を伸ばしたとき、ムードをぶち壊す聖の暢気な言葉が飛んだ。 「せや!どうせオレとユミちゃん二人でやるんなら、学校やなくて此処でやってもええんとちゃう?ほら、メシ食いながらとか」 「…朝から冗談言うな、馬鹿者」 口付けを贈る気分が一瞬にして消えた弓生は、聖の発言を冷たく一蹴してから立ち上がった。 「なんやユミちゃん、もう行くんか?」 「…ああ」 「今日も他のヤツの面談あるんか?」 「ああ。まだ始まったばかりだし、しばらく終わらんだろうな」 「そっか…」 「じゃあ行って来る」 玄関へと向かう弓生の後に、当たり前のように続く聖。そして靴を掃き終わった弓生に鞄を手渡す。 「はよ全部の面談終わらんかなー」 「何故だ?」 「せやかて面談ある日はユミちゃん帰り遅いんやもん…寂しいわ」 「…聖」 「ほな行ってらっしゃい」 「ああ」 やや寂しげに微笑む聖を見据え、弓生は躊躇するような仕草をしていたが、不意に口を開いた。 「どうやら忘れ物をしたようだ」 「えっ?部屋?リビング?取って来るから待っとって?」 そう言いながら慌てて振り返ろうとした聖の手を取り、自分の方へと向かせると、額に触れるだけの口付けを贈る。 「ユミちゃん…」 口付けをされた箇所に触れながら聖が嬉しげに微笑むと、急に恥ずかしくなってしまった弓生はさっさとドアに手を掛けた。 「じゃあ…行って来る」 「うん!気ぃ付けてな?」 先程までの寂しげな表情はもうない―聖の笑顔が満面の笑みへと変わった瞬間だった。 そして金曜日―聖の面談の時間だ。 だが、いくら待っても聖は現れない。教室を覗いたが、鞄はあるのだから忘れて帰ったわけではないらしい。それに弓生と二人だけの面談だ―忘れるわけはない。だが、何処に行ったのだろうと弓生は校内をゆっくりと徘徊する。すると校庭から聖の声が響いてきた。弓生は廊下を振り返るとそのまま校庭へと向かった。 すると探し人、聖は何故かサッカー部の連中とサッカーをしていた。楽しげにボールとじゃれあっていた聖だったが、弓生の姿を見付けた瞬間、脱兎の如くすっ飛んできた。 「どないしたん?ユ…じゃなくて志島」 あっけらかんとしている聖を見て弓生は呆れたように溜息を吐いた。 「今、何時だと思っている」 「今?」 小首を傾げながらそう呟いた後、しまったという顔をした。 「もしかして、もうそんな時間か?」 「もしかしなくとも、そんな時間だ」 「かんにんなー!オレの時間までまだ時間あったし、ちょっとだけのつもりやったんやけど…」 ごにょごにょと言葉を濁す聖だったが、顔の前で手を合わせた。 「ほんま、かんにんな?」 「構わん…今日はどうせお前で最後だ。じゃあ行くぞ?」 「うん!」 聖は頷いて、フェンスに掛けてあった学ランを手に取った。それからサッカー部のメンバーに声を掛けた。 「ほな、オレ面談やから行くな?」 聖が声を掛けると、グラウンドの方々から声が届く。 「ああ!面談頑張れよ!」 「またな、聖」 「日曜忘れんなよ!」 「おぅ!任せとき!」 聖は満面の笑みで手を振ると、弓生の後を付くように駆けていった。 「お邪魔しまぁす」 「会議室に入るのにそんなこと言うヤツが居るか」 「せやな!けど会議室てなんか緊張せんか?」 そして既にセッティングされてある、弓生の向かいの席に座る。 「あ〜、なんや緊張するわ…向かいに座っとるユミちゃんの姿は見慣れとるはずやのにな」 「バカなことを」 「あっ!学校やから志島の方がええか?」 「構わん。誰も居ないし面談中は誰も入って来れん…いつもと同じでいい」 そか、と言うように聖は笑顔で頷いた。 「ほなユミちゃん、今日は宜しゅうな」 「ああ、じゃあ始めるぞ…だがその前にさっき日曜がどうとか言っていたが、なにかあるのか?」 「あっ、その日な?サッカー部の試合があるんやて。そんで助っ人頼まれたんや」 「そうか…なら頑張れよ」 「うん!それで聞いときたいんやけど、ユミちゃんはチーズケーキとビターチョコケーキどっちがええ?」 脈絡も意図もないこの質問はなんなのだろう。 「簡潔過ぎだ。ちゃんと説明しろ」 「ありゃ?そか…。あのな?サッカー部の試合に出たら報酬貰えるんや」 「報酬?」 「もちろん金とかやないで?いつもは試合終わった後に報酬としてチャーシューメン大盛りとか奢って貰うんやけど、今回はケーキにして貰ったんや」 「何故だ?」 「なんでて…そんなんユミちゃんと食いたいからに決まっとるやろ?ケーキなら2個までええて言われたんや」 顔の横に2個と言う意味のVサインを笑顔で出す聖。 「………」 「その店はな、甘さ控えめやから甘いの苦手なユミちゃんでもイケると思うんや。因みにオレはその店のチーズケーキも好きなんやけど定番のショートケーキも捨て難いな、思うんや。ユミちゃんはどっちがええと思う?」 「さあな。食ったことないから知るわけないだろう」 「それもそやな!」 あははと笑う聖。だが、弓生はそんな聖の気持ちが心に響くほど嬉しかった。静かに微笑する。 「じゃあ俺はお前が食いたいと言ったチーズケーキでいい。…そして半分やる」 「ほんまか?せやったらオレはショートケーキにしとこかな…おおきにな、ユミちゃん♪」 ―御礼を言うのは此方の方なのに。 そんな思いを抱きながら、弓生はそっと瞳を伏せた。 「試合は日曜と言ってたな」 「うん、そうやけど…。もしかしてユミちゃん見に来てくれるんか?」 「その日は午前中までにまとめないといけない書類がある―」 「ほな、無理?」 「だが、―気が向いたらな」 弓生の言葉に嬉しそうに笑う聖。弓生はつられるようにフッと微笑むと、目の前の書類を開いた。 「じゃあ遅くなったが面談を始めるぞ?」 「うん!」 「まず聞くが、進学か就職。自分では決めているのか?」 「……う〜ん、別にないなあ」 「目標とかないのか?」 「目標?……特にないなあ」 「…なら、将来の夢は?」 「あっ!それやったらいっこある!」 「なんだ?」 「永久就職や♪好きなヤツとずーっと一緒に居るんや」 「……面談は終わりだ」 弓生はこれ以上無いと言うくらいの低い声音で目の前の書類を閉じた。もはや溜息を吐く価値もない。 「ユミちゃん!怒ったんか?」 ガタリ、と椅子を引き立ち上がる弓生を、聖は腕を掴んで必死に止めた。 「怒ってはない、呆れたんだ。お前が適当な人間だというのは知っていたが、自分の将来まで適当なヤツだとは思わなかった―俺はそんなお前は嫌いだ」 ピシリ、と言い放たれ、聖は掴んでいる手に力を込める。 「ユミちゃんっ!かんにん、今のはオレが悪い思うてる。ほんま、ふざけてかんにんや」 「………」 「実はな?いっこだけあるんや」 「またふざけた回答ではないか?」 「ちゃう。真面目な答えや!オレかて夢くらいある」 必死で訴えた後、居たたまれなくなったかのように、聖はそっと視線を反らす。すると弓生は口調を元に戻した。 「なら、それを聞こう」 弓生は聖の腕を静かに放すと、再び目の前に座った。 「なんだ?」 「まだ誰にも言うたことないんやけど…。オレな、オレ…ほんまは大学に行きたいんや」 「大学に?」 「うん。大学に行って保育士の免許取りたいんや」 「保育士になりたいのか?」 「ん〜、子供は好きやからそれもええんやけど、一番やりたいんは」 聖は一旦言葉を止めると、窓から見える景色に視線を預ける。 「一番やりたいんはな、世話になった孤児院で働きたいんや」 「孤児院で?」 「せや!オレが居った時からそこは人手不足やったから院を出てからも時々手伝いに行っとったけど、行っとるうちにやっぱ免許欲しいな、思て。持っとる持っとらんでやれる範囲が全然違うんや」 「そうだろうな」 「けど、そこは昔っから経営は火の車やったから、働いたとしてもほとんど金は貰えんと思う…せやけど、ボランティアでもええんや!オレは世話になった恩返しがしたいんや」 聖は目の前の弓生に視線を戻した。そして恥ずかしそうに照れ笑いをした。 「な?こんなん夢のまた夢やろ?せやから言うのも躊躇しとったんや」 「そうか…」 「もうええやろ?恥ずかしいからこんなん忘れてぇな」 「恥ずかしい?何故だ?」 「なんでて…絶対無理に決まっとるし」 「無理だと誰が決めたんだ?」 「ユミちゃん」 「良い夢じゃないか―俺は応援するから必ず実現してみろ」 「ユミちゃん」 想像していなかった言葉に聖は最初驚いていたが、瞬時に笑顔になる。 「うん!頑張る…オレ、頑張るな」 「ああ…だが、今の成績のままでは難しいぞ?」 聖は、げっ…と肩を竦める。 「やっぱ?」 「死ぬ気で頑張らないとな」 「死ぬ気…」 「骨くらいは拾ってやる」 「…ほな、ギリギリ死なん程度にしとくわ」 苦笑いをする聖に弓生はひとつ、笑みを贈った。 「まあ安心しろ。例えお前が余り金が貰えなくても、お前が食う分くらいは俺が稼ぐ」 その言葉に聖はキラキラとした瞳で弓生を見つめた。 「ユミちゃん…ごっつぅカッコええ。…あかん、キュン死にしそうや」 「下らないことを言うな―だが、これからはお前の大学資金も別にとって置かないといけないな」 「えっ、なんで?」 「聖?」 「もしかして払ってくれる気やったんか?」 「ああ、そのつもりだが」 「それはあかん!ユミちゃんの気持ちはほんまに有り難い思うけど、自分の学費くらい自分で稼ぐわ!それにそこまでユミちゃんに迷惑掛けとうないし…」 「俺がいつ迷惑だと言った?」 「ちゃうねん!オレがイヤなんや!何から何までユミちゃんの世話になるのはイヤや!」 「聖」 「それに生活費かて渡しても受け取ってくれないやんか…」 「またその話か…気持ちだけで構わん、と何度も言ったはずだ」 「せやけどオレは世話になりっぱなしはイヤなんや」 「聖」 「せやから自分の学費くらいは自分で出したいんや、お願いや!…それでもあかんか?」 貫かれるような瞳で見つめられ、弓生は観念するようにフウッと息を吐いた。 「分かった…まったくお前は一度言い出したら聞かない頑固者だからな」 「…かんにん。せやけど、気持ちはごっつぅ嬉しかった。ほんまおおきにな」 「いや」 「ほな、大学資金を稼ぐためにバイト頑張るでぇ〜!!」 ん〜と大きく伸びをする聖だったが、弓生の次の言葉にガックリと肩を落とした。 「それもいいが、バイト以上に勉強も忘れるな。いくら資金が溜まっても落ちたら意味がない」 「……今からやる気なくすようなこと言わんといてぇな」 情けなく呟きながら机に突っ伏す聖だったが、顔を上げて弓生を見つめてから、うん―と、ひとつ頷いた。 「見といて、ユミちゃん!オレ、頑張るから」 「…ああ」 弓生は優しく聖の頭の上に手を乗せるのだった。 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 聖の将来を考える、の巻。←ハッ○リくん風に(笑) でも聖は普通に保育士とか似合いそうなイメージじゃないですか? 今回は孤児院なのでちょっと違いますが、子供に囲まれる聖って良いですねv 因みに、本当はサッカーの試合エピソードまで入れたかったのですが、 なんか長くなりそうなのでカットしました。 まあ、二人仲良くケーキを突つき合ったことでしょうv 2006/02/18 |