明日見る夢 Episode 4






都内にある某都立高校―
此処に、一人の生徒が通っていた。生徒の名は戸倉聖。
明るく元気な裏表のない性格は学校でも人気者であった。
だが、彼には誰にも言っていない秘密があった。
それは……
担任の志島弓生と同棲していること。
そしてそれは彼らだけの秘密。






そして桜の華が満開の季節―聖は3年生に進級した。






「今日から新学期だな」
 弓生は新聞を閉じると、顔を上げた。視線の先には美味しそうにパンを頬張っている聖がいた。
「うん、ほんま進級出来てよかったわ〜…あっ、ユミちゃんそこのジャム取ってくれんか?」
 ほら…と言いながらジャムを差し出す弓生。聖は満面の笑みで2枚目のパンにそのジャムをたっぷりと塗る。
「朝からよくそんなに甘いのを食えるな」
「旨いで?ユミちゃんも塗るか?」
「いらん」
 素っ気なく言われ、旨いのにな〜、食わず嫌いはあかんのにな〜と文句をたれる。
 仕方がないので弓生は話を元に戻す。
「今日から3年になるんだから、分別ある行動を取れよ」
「なんや、先生みたいなこと言うなや」
「俺は担任だが?」
「ちゃうて!そう言う意味やのうて、二人っきりの時は先生と生徒やないて言うたんはユミちゃんやろ?」
 そうか?とはぐらかすように珈琲を飲む弓生。
「大体学校に行く前にユミちゃんが担任やて、バラしてもええんか?」
 クラスは2年からの持ち上がりなのでクラス替えはない。
 前の学年で副担任が付いた場合、その副担任が新しい学年の担任になることもこの学校では当たり前のこと。
 そんなこと聖にも分かっているが、少し反抗したくなるのも常である。
「ま、えっか。宜しゅう頼むな、志島せ〜んせ♪」
 バカにするような顔で微笑まれ、弓生は思いきりデコピンをした。
「っだ!なんすんねん!」
 額を押さえ涙目で抗議する聖を横目に、弓生は立ち上がり椅子に掛けてあった背広を手にする。
「どうする?一緒に出るか?」
「ええんか?せやったらちょっと待ってて?」
 聖はパアッと笑顔になると、慌てて残りのパンを流し込み、同じように椅子に掛けてあった学ランを手に取り腕を通す。―と、弓生が聖の額を押し、前進しようとする聖をストップさせる。
「冗談だ、何を本気にしている?…大体内緒で付き合っているのに一緒に登校できるわけないだろ」
「せやったらなんで思わせぶりなこと言うんや?」
 むーっと言うように頬を膨らまし抗議する聖。
「さっきの『志島先生』のお返しだ…じゃ、行って来る」
 弓生は、そんな聖の額にちゅっと口付けを落とした。それで聖の機嫌は直ぐに直る。
「今日は始業式なんだから遅刻するなよ?食事の後片付けは夜でもいいから」
「けど洗いもんが溜まると夕飯の支度ん時に邪魔やし…」
「だったら今日は外でメシでも食うか?」
「…ほんまに?ええんか?」
「ああ、お前の進級祝いだ…じゃあ行って来る」
「うん、気ぃ付けてな!」
 笑顔の聖に見送られ、一足早く弓生は出た。







「よ〜、おはよー」
「おはよう」
 校内の様々な箇所でそんな挨拶が交わされる中、教室では聖は窓に背を預けながら友人と他愛もない話をしていた。
「でも進級出来て良かったよな〜、特にお前が!」
 三吾にからかうように指を刺され、聖はむっとする。
「進級できるに決まっとるやんか!お前よかお利口やし」
「よく言うよ!俺の方が頭いいねー!」
「お前こそようゆうわ!」
「お前らどんぐりの背比べしてんなよ」
「なんやて!?」
「なんだと!?」
 二人から睨まれ、阿部は明後日の方を向く。
「なあなあ?それより担任はやっぱ志島だろ?」
「そうじゃね?だから去年志島が副担だったんだろ?」
 弓生の名前が出たのはたったそれだけなのに、それだけで聖の心臓がピョコンと跳ねる。


 2年の時の聖たちの担任は、引き抜かれ私立の有名高校へと異勤していった。
 その代わりに新しく聖たちの担任になるのが、弓生だった。


 そんなとき、不意に廊下から声が掛かった。
「聖ー!お前にお客さんだぞ?」
「客?」
 聖は凭れていた窓から身体を離すと首を傾げた。
「…誰やろ?」
「新入生みたいだ」
「新入生?」
 小首を傾げながら後ろ側のドアから出ると、そこには真新しい制服を着た成樹の姿があった。
「おー!成樹やないか?どないしたん」
「そんなの見りゃ分かるじゃん!俺、ここの新入生。昨日入学式だったんだよ」
「あ〜、そかそか!お前この高校受けたんやったな!…それが居るっちゅうことは、受かったんか?」
「当たり前じゃん!だからいるんだろ?ってゆうか俺、聖に受かったってこと言おうと思って何回電話したと思ってんだよ。でも全然繋がらないしアパート行っても居ないし」
 聖は変やな〜という表情で成樹に問いた。
「電話って…それっていつのことや?」
「2月の終わり頃だけど?」
―(あ〜、その頃はもうユミちゃんと付き合うてたから帰りが遅かったんや)
「しかも引っ越したみたいじゃん?今何処に居るんだよ?」
 文句の色が隠せない成樹は次々に質問責めし、聖はう〜と唸る。
「かんにんな…もう少し落ち着いたらお前に連絡しよ思うてたんや…」
 困ったようにポリポリと頭を掻いていた聖だが、ハッと気が付く。
「あっ、そや!お前なんか書くもんあるか?」
「書くもの?えっと…」
 ポケットをガサゴソする成樹。中からレシートを出す。
「これでもいい?」
「ああ、ええよ」
 笑顔で頷きレシートを受け取ると、傍に居た生徒からペンを借り、窓を机替わりにしながらサラサラとなにか書き記す。そしてそれを成樹に渡す。
「オレの携帯の番号とアドレスや!」
「携帯って…嘘!?携帯持ったの?聖が?マジで?」
「そや、やっぱ必要なんとちゃうかて思て買うたんや!しかも一昨日買うたばかりの出来立てのホヤホヤやで?」
―(肉まんかよ!)
 と、成樹は心の中でツッコミを入れた。
「これやるから許してくれるか?何かあったら連絡しいや?」
「うん、しょうがないから許してやるよ。俺のは前教えたから分かるよね?」
「おう!…多分」
「多分ってなんだよ、それ」
 成樹がプッと吹き出すと、聖はあはは―と笑った。
「あっ、俺そろそろ行かなきゃ…」
 じゃあ…と言って踵を返そうとする成樹を寸前で聖は止めた。
「ちょい待ち?まだ言うとらんかった」
「…なにを?」
「高校合格おめでとさん」
「…遅いよ」
「せやったら、入学おめでとさん」
「…うん、ありがと。じゃあこれから宜しく頼むね、聖先輩♪」
「あっ、こら!年上をからかうんやない、成樹」
「じゃーな、先輩」
 悪戯っぽい笑顔で『先輩』を繰り返した成樹は、やべっ!時間が―と言いながら廊下を駆けていった。
 すると三吾が背後から声を掛ける。
「誰だ?あの態度のでかい一年」
「ああ、アイツは中学ん時の後輩や…昨日入学式やったんやて」
「へぇ〜、新一年の割には3年の階に堂々と来れるなんて肝っ玉座ってんな」
「アイツはそう言うヤツやからな!神経図太いで」
 言って聖はニヤリと笑う。するとそこへ弓生がやって来た。聖は三吾に気付かれないように、愛しい人を見るような表情でそっと微笑んだ。だが、弓生は一向に表情を変えずに静かに口を開いた。
「なにしてる?HRが始まるぞ」
 気が付くとみな教室に戻っており、廊下には既に聖と三吾しか居なかった。
「早く教室に入れ。野坂、戸倉」
 はいはい―と言いながら教室に入る三吾の後ろを聖が、その横を弓生が続く。
 そして教室に入ろうとした聖の手を寸前で掴み、絡ませる。
 咄嗟に聖は弓生の顔を見た―すると弓生も聖を見ていた。
 時間にしてほんの数秒見つめ合ってから繋いでいた手を離し、二人は教室へと入った。






「ユミちゃん突然あないなことするんやもん…ビックリしたわ〜」
 そう言いながら聖は目の前のステーキをパクッと口に入れる。
「仕方がないだろう…あんな顔で微笑まれては堪えるものも堪えられん」
「あんな顔ってどんな顔や?」
「そうだな…好きで好きで溜まらない、と言った顔だ」
「嘘や〜!オレ、そんな顔してへん!」
「自分じゃ気付かないだけじゃないのか?」
 しれっとした顔でワインを呑む弓生。


 此処は高級レストラン―聖の進級祝いに弓生が選んだ店だ。
 約束通り弓生は早く帰って来て、二人は車で少し離れたこの店まで来た。
 この店を選んだ理由は高校のある街から離れていることと、せっかくの聖の進級祝いだから高級な店で祝いたいという弓生の思いからだった。その思いを行きの車内で聞かされ聖は上機嫌だ。現に今もビックリしたとは言うものの嬉しそうに微笑んでいる。


「それより今年こそは余り居残るようなことはするなよ?」
 現実的な問題を言われ、聖は頬を膨らませる。
「メシ食っとる時…いや、二人っきりの時にそういう話すんなや!」
 グビッと目の前のグラスに入った飲み物をあおる聖。
 因みに聖が飲んでいるのはノンアルコールのスパークリングワインである。
「けど、今年から少しは甘くしてくれるんかな〜」
「甘くって、なにをだ?」
「なにって、数学の点に決まっとるやんか」
 えへへ―という様に微笑む聖。すると弓生は呆れるような溜息を吐く。
「バカかお前は!そんなことあるわけないだろう…第一俺と付き合うのならもう少し出来るようになっておけ!お前の言葉を返すなら、これからはもっともっと厳しくなるだろうな」
「え〜、んな殺生な…」
「下らないこと言ってないで早く食え、冷めるぞ?」
 素っ気なく言われ、聖は肩を落としながら付け合わせのポテトを頬張る。―が、急にクスクスと笑い出す。
「急にどうした?」
「今な、『居残り』の話してたやろ?それで思い出したんやけどな、前、三吾がおもろいこと言うてたんや」
「面白いこと?」
「うん!」
 頷いて聖は思い出したのか、再びクスクスと笑う。
「あんな?ユミちゃんってよくオレのこと居残らせてたやんか?」
「それが?」
「それがな、ユミちゃんがオレのこと好きでわざと居残らせてるんじゃねーって言うてたんや!おもろいやろー?けど、アホやあいつー!」
 言いながら聖があはは―と笑う。だが、弓生は少しも笑わない。
「ユミちゃん?どないしたん?」
 いや―と言いながら弓生は食後の珈琲をテーブルに置いた。
「野坂もなかなか勘が鋭いな」
「へっ?」
 同じく珈琲を飲みながら聖は小首を傾げる。
「どういう意味や、それ」
「野坂の言ったことが…本当だとしたら?」
 弓生の言葉に驚いた聖は呼吸するのを忘れ、結果、珈琲が気管に詰まり、ごほごほっと盛大に噎せた。
「仕方のないヤツだ…ほら」
 水を渡され、それを一気に飲み干して聖はぷはーっと息を吐く。
「あー、ビックリした!死ぬかと思ったわ…」
「冗談だ。本気にするな、馬鹿者。第一教師が公私混同するわけないだろう」
「せやな。なんや〜、ユミちゃんでも冗談言うんやなー」
 あはは―と聖は笑う。すると弓生はそっと瞳を伏せる。
「………まあ、あながち冗談でもないが」
「えっ?それってどういう意味や?」
「そのくらい自分で考えろ……それよりおまえと野坂は随分仲がいいようだが、付き合いは長いのか?」
「それほどでもないで?知り合うたんは高1ん時やし、最初はあいつのこといけすかんヤツやったし喧嘩もようしとったわ」
「そうなのか?」
「うん。そんでついに一回思い切り殴り合いの喧嘩したんや」
「………」
―どのくらい凄まじい状況だったのか、容易く想像が付いてしまう弓生。だが、黙って続きを聞いている。
「そしたらなんかお互いスッキリしてな?それからは大の親友や」
―ひと昔前の青春ドラマのような体験である。
 だが弓生は懐かしむように頷いている聖を見つめてから、ポンッと頭に手を置いた。
「さて、食べ終わったのならそろそろ帰るか?」
「あっ、ユミちゃん!待って」
 伝票を手にし、立ち上がろうとする弓生を咄嗟に止める聖。そのまま真剣に弓生を見つめる。
「なんだ?」
 まだ話したいことがあるのだろうか―聖は弓生を見つめたままだ。それから急に顔をパアッと輝かせて、そして―
「オレ……食後にパフェ、食いたいなぁ…食ってもええ?」
 その言葉に弓生は眉を顰める。何故ならデザートを含めディナーコース2人前は軽く平らげたから…
「…食えるならな」
 弓生は小さく溜息を吐いた。だが嬉しそうにウェイトレスに注文する聖を見て、弓生は軽く微笑んだ。
 すると不意に聖の携帯が鳴る。聖は誰からやろー?と呟きながら携帯を手にする。
「成樹からか………なんやあいつ、ムカつくなー!しゃーないから返事返したろ」
 笑いながら携帯を見ている聖。だが、目の前の人物は余り面白くなさそうだ。
「聖」
「ん?」
 メールを打ちながら聖が応じる。
「お前、携帯を持ったことをどのくらい教えたんだ?」
「ん〜?まだそれほど教えてないで?三吾やろ、佐穂子やろ、あとは阿部と川上と…あと成樹。あっ、成樹っちゅうのは新入生や。オレの中学ん時の後輩でこの前入って来たばっかなんや!あとは………」
 指折り数えていた聖だが、ピタリと動きを止め、目の前の人物を見据える。
「あとはユミちゃんや!」
 そうしてニッコリと微笑む。―たったそれだけで心が晴れていくのが悔しく思いつつも弓生は微笑んだ。
「その成樹は何と言ってメールして来たんだ?」
「聞いてや、ユミちゃん!それがな?オレの字が汚くて読めないからあってるか確かめるために送るって言うんや!可愛くないやろ?」
 抗議する聖にフッと笑みを漏らす弓生。
「まあ可愛くないんやけど、可愛い後輩や」
 言ってることの矛盾に自分では気付いていない。
「中学か…そう言えばお前の中学時代の話は聞いたことなかったな…」
 弓生の何気ない一言に聖の肩が一瞬がピクリと不自然に動いた。―が、そのままメールを打ち続ける。
「聖?」
「よし!送信…っと。これでOKや!……それよか、今なんか言うたか?」
 中学という響きの時に見せた一瞬の動揺―弓生は見逃さなかった。
 けれども誰にだって触れられたくない過去はある。
「いや、別に…」
 そこへ先ほど注文したチョコレートパフェが届いた。
「旨そ〜、いっただきまーす!」
 パクッと食いつき幸せそうに聖は微笑む。
「うま〜、ユミちゃんも食うか?」
 ほい!と言いながら生クリームとアイスクリームとチョコレートが程良く混ざり合った、聖にとっては最高の場所を一掬いすると弓生に差し出した。だが、弓生は手で制止した。
「いや、甘いものは苦手だ…食っていいぞ」
「そか?」
 弓生はそれ以上特に追求することはなく、嬉しそうな笑顔でパフェを頬張り続ける聖を見つめるのだった。


―かんにん…ユミちゃん


 その笑顔の奥底にある聖の悲しみに未だ弓生は気付いていなかった。






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やっと本格的に本編が始まりました。
冒頭では二人のバカップル加減を表してみました(笑)
これから物語が進むに連れ色々な出来事があるわけですが、
なにがあっても二人の絆は崩れないです、はい。
聖の中学時代になにがあったのかも……はい。
これは後半に向けての伏線になるはずなので、
頭の隅っこの方にでも覚えていて下されば嬉しいです


2005/10/22