明日見る夢 
〜Episode 1〜






 聖の通っている高校に弓生が赴任してきたのは、聖が高校2年の時―季節は秋から冬へと変わる頃だった。
 季節外れの赴任と言うことや、ブランドモノのスーツで身を纏い、モデルのような長身と美貌で、学校では噂の的だった。
 特に女生徒は影のある大人の男に興味があるのか、彼の周りにはいつも女性の姿で溢れていた。
 そう言う理由もあってか、男子生徒からは反感がほとんどだった。
 また、何があっても表情を変えたことがないため、『冷血鉄仮面』と影で言われていることも知っているのか知らないのか―まあ知っていてもどうでもいいのだろうが―そして聖も余り良い印象を抱いていなかったひとりであった。
 まあ聖に至っては、女性にモテると言うのが反感の理由ではなく、単に―






「じゃあ次の問題を…戸倉、やってみろ」
「え〜…」
「え〜…じゃない!早くしろ!」
 低い声音で言われ、聖は渋々席を立つ。
―なんでオレばっかりいっつも当てるんや!
 心の中で悪態を吐きながら、聖は黒板に書かれている数式と睨めっこをする。
 睨めっこをすること数分―その内スピーカーからチャイムが流れてくる。
 弓生はフウッと小さく溜息を漏らすと聖の横に立つ。
「授業は終わりだ…席に戻って良いぞ、戸倉」
 パアッと顔を輝かせる聖―だが、いつも次の瞬間、一気に顔が曇る。
「その代わり、放課後、数学準備室に来い」
「え〜、いやや」
「いやじゃない!今の問題は今日の授業を聞いていれば分かるはずだ…ちゃんと聞いていないお前が悪い」
 キッパリと言い切られ、返す言葉がない聖。教室を出ていく弓生を恨みがましく見つめる。
「災難だったな、聖」
「お前、運がないよな〜」
 クラスの友人からからかうように言われ、聖は頬を膨らませる。
「なんでいっつもオレばっか居残らせるんや、アイツは!」
「そりゃお前がアホだからだろ?」
 親友である三吾に言われ、聖はビシリと指を差す。
「せやかてお前かてアホやんか!ずるいわ!」
「ムカつく言い方だな、ヲイ!」
 そんなやりとりが日常であった。
「せやからオレはアイツが嫌いなんや…」
 聖は口を尖らせて小さく呟く。
 そう、聖は単に自分ばかり居残らせて補習させるという理由だけで、弓生のことを良くは思っていなかった。
 そんな聖の気持ちが変わるのは、2月の半ばのことだった。






 この日もいつものように居残りを命じられる聖。文句を言いながらも数学準備室の扉の前に立つ。
「はあ…また今日も居残りかいな…」
 ガックリと落とした聖の肩に、三吾はポンッと手を乗せる。
「授業を聞いてないお前が悪いんだろ?」
「せやから、なんでオレばっかって言いたいんや…オレよかお前の方がアホやんか」
「相変わらずムカつく言い方だな…俺は運がいいんだよ!それになんだかんだ言いつつ、ちゃんとお前、来てんじゃねえか」
―イヤならサボればいいのに
 そう言う意味が含まれているのだろう。聖は三吾の言葉に動きが止まる。
「ほんまや…なんでサボらんと来るんやろ」
 自分でも理由が分からない。
「ほら、オレが行かんと志島のヤツ、ずっと待っとるやろ?それはやっぱ悪い気するし…」
「でもマジでなんでお前限定なんだろうな?」
「そこや!そこが一番の問題なんや」
「もしかすると…アレかもよ?」
「アレ?」
「お前のことが好きでワザと残らせるとか―?」
「アホか!そないなワケがあるか!その逆や、逆!アイツはオレのこと好かんから意地悪するんや」
 絶対そうに違いない―と納得しながらうんうん、と頷く聖。
「ま、どっちにしろ頑張れよ!俺バイトあるから先、帰るな」
「おう!ちゃきちゃき働きや!」
 片手を上げ、去っていく三吾を見送った後、聖は2度ほど深呼吸をしてからドアを開けた。
 すると既に待っていた弓生がゆっくりと振り返る。
「来たな…早くこっちに来て座れ、始めるぞ」
「うん…」
 三吾の言葉のせいか、聖は戸惑うように頷く。
「どうした?早くしろ」
 いつもと変わらぬ態度に、聖は小さく息を吐く。
「ほら、授業中と同じやんか…三吾が変なこと言うから意識してもうたやんか…ほんまあいつはアホやな」
「なにブツブツ言っている…早くしないか」
 はいはい…と言いながら聖はパイプ椅子に腰掛ける。そんな聖の前に弓生は一枚のプリントを差し出す。
「やってみろ」
 素っ気なく言われ、仕方なく聖は鞄から筆記用具を取りだし、カチカチっとシャープペンをノックする。
「大体この“X=Y+1”ってなんなんや…意味が分からん」
 文句をたれながら持っているシャープペンでカリカリと頭を掻く。
「それに方程式や関数なんぞ出来なくても、計算さえ出来れば生きていけるっちゅうんや…オレはこんなんが出来なくても困らんのや」
「…だが実際、今、かなり困っているようだが?」
 尤もなことを言われ、むーっと口を尖らせる。
「それより早くしないと帰るのが遅くなるだけだぞ?」
 弓生に言われ、確かにそうだなと思った聖は真面目に解くことにした。
「なあ、志島?この場合はどの数式使こうたらええんや?」
 ようやくやる気になった様子の聖の隣に椅子を移動させ、弓生はスッと指さした。
「ああ、この場合は…」
「うんうん……あ〜、なるほど!そっか」
 教えられたことを忘れないようにと、聖は必死に解いた。






 そう―ここまではいつもとなんら変わらない日常だった。
 だが、今日はここからがいつもと少し、違ったのだった。






「出来た!」
 そう叫ぶと聖はシャープペンを放り出し、思い切り背もたれに寄り掛かる。
「あ〜、しんどかった」
「出来たか…どれ、見せてみろ?」
 聖の傍らに立つ弓生に、ほいっ―と言いながらプリントを渡す。
「どうや?」
「…ああ、出来ている。お前もやれば出来るじゃないか」
 初めての褒め言葉に一瞬驚きつつも、聖は嬉しそうにふわりと笑った。
「当たり前や!それに志島の教え方も上手いしな」
―あれ?オレ、何言うとるんや?
 自分で言いながら意味が分からない。
―初めて褒められて嬉しかったから、言うてしもたんか?
 自問自答しながら頭を抱えている聖。そんな聖のお腹からぐーっという音が聞こえてきた。
「あ〜…腹減った」
 机の上に突っ伏して情けない声を出す聖。もう先ほどの自問自答はどうでも良いらしい。
 そんな聖を横目に、弓生はフッと笑みを漏らす。
「なら、メシでも食いに行くか?」
「え〜、志島と2人でか?」
「奢るぞ?」
「行く!行く行く!」
 奢りと聞き、顔を輝かせて喜ぶ聖。
「オレな、ラーメンがええな」
「……ラーメン?」
 聖の発言に、弓生は怪訝そうに眉を顰める。
「うん、そや!オレんちの近くにごっつぅ旨い店があるんや…オレそこがええな、ラーメン食いたい」
 躊躇するような表情の弓生を、聖は下から覗き込む。
「もしかして…志島、ラーメン嫌いなんか?」
「いや、嫌いではない…」
「せやったら、あんま食ったことないとか?」
「…ああ、今までにも数えるほどしかない」
「そうなんか…そう言うたらイメージ沸かんもんな」
 聖は、ん〜…と考え込む。確かに弓生が丼を啜るイメージは全く沸かない―というか、似合わない。
「せやったら他のでええよ?」
「いや、ラーメンにしよう…お前の薦める店に案内しろ」
「ええんか?」
「構わない…行くぞ」
 弓生はそう言うと、椅子に掛けてあった背広を腕に掛けて踵を返し、聖は机の上に出しっ放しだった筆記用具を慌てて鞄の中に押し込めてその後を追った。






 カラカラと扉を引き開けると、中からは活気のある声が響いてくる。
「らっしゃい!おぉ、聖、久し振りだな」
「おっちゃん、えらい久し振りやな♪元気やったか?」
 聖は店長らしき人と親しげに話しながらカウンターに座る。その横に無言で弓生も腰を掛ける。
 ラーメン店に似つかわしくない装いの存在に、店長はそっと聖に声を掛けた。
「聖の知り合いか?」
「うん、オレの副担の志島や」
「学校の先生か!聖はどうだい?周りに着いていけてるか?」
「…数学以外は人並みに」
「いらんこと言うなや!…それよりおっちゃん、オレ、味噌チャーシュー大盛りな!…志島は?」
「俺も同じものを貰おうか」
 その言葉に店長は元気良く応えた。
「あいよ!」
「この店はなどれも旨いんやけど、味噌がいっちゃん旨いんや」
 そして手際よくラーメンを作っていく様を見ながら、聖は段々と笑顔になる。
 そんな聖の様を弓生は何も言わず、ただ見つめていた。それから数分後―
「へい、お待ち!」
 二人の目の前に出された湯気たっぷりのラーメンを見つめ、聖は輝くような笑顔になる。
「旨そ〜、いっただっきまーす」
 顔の前で両手を合わせ、元気良く節を付けながらそう言うと、ずるずると啜り出す。
「旨〜!やっぱおっちゃんのラーメンは世界一や!」
「嬉しいこと言ってくれるね〜…ええい!チャーシューおまけだ!」
「おおきにー、おっちゃん」
 幸せそうにラーメンをパクつく聖を弓生はただ、眩しそうに見つめていた。
 …と、聖もその視線に気付く。
「どないした?志島、早よ食わんとのびるで?」
「いや、随分と幸せそうに食うなと思って見ていた」
「そりゃ旨いし幸せやもん…旨いときは旨い顔せんとバチが当たるで?」
 よく分からない聖論だが、本人が納得しているので良しとしたらしい様子の弓生は、ようやくラーメンに口を付けた。
 そんな弓生を聖は見つめる―そしてドキドキしながら聞いた。
「どうや?旨いか?」
 その問いに弓生は静かに頷いた。
「ああ、旨い」
「ほんまか?良かった〜、ホッとしたわ〜」
 安堵の笑みで胸を撫で下ろす聖を見た弓生は、そっと口の端を上げる。
「面白いヤツだ…まるで自分が作ったようだな」
「ほんまやな」
 あはは―と笑う聖を横目に見ながら、今度は聖にも分かるように微笑する。
 すると聖は驚いたように目を丸くさせた。それからふわりと笑う。
「…ホッとしたわ」
 微笑みながら呟く聖の言葉に、弓生の動きが止まる。
「…なにがだ?」
「志島でも笑うんやなー、思うて」
 何も隠そうとしない素直な言葉に、弓生も思わず苦笑する。
「でもその方がええ、うん、ええよ」
 一人納得するように聖は頷くと、ラーメンを食べ続けた。
 それからしばらくして食事も終わり、満足げに水を飲む聖に弓生はそっと問いた。
「そろそろ行くか?」
「うん、そやな」
「じゃあ金を払ってから行くから、先に店を出ていてくれ」
「うん、分かったわ…おおきに、ご馳走さん」
 弓生に微笑んで見せてから聖は席を立った。
「ほな、おっちゃん!またな」
「おう!またいつでも来な、ラーメン食わしてやるからな!」
「うん、おおきに!おっちゃんも身体大事にしいや?」
 ほな!と手を振り、聖が一足先に店を出た。
「勘定を…」
「金ならいいよ、いつも聖が世話になっているようだからな」
「いえ、そういうわけにはいきませんから」
「そうかい?…じゃあ」
 店長はお金を渋々受け取ると、店を出ようとした弓生を引き留めた。
「先生!アイツ…聖のこと、宜しく頼みます」
「………」
 思いがけない言葉に弓生の動きが一瞬止まる。
「アイツは良いヤツなんですよ…親を亡くして天涯孤独だってのに明るさを決して忘れねぇ。それにアイツは人の気持ちの分かる優しいヤツだ…だから」
「大丈夫」
 店長の言葉を遮ったのは、思いも寄らぬ優しい声音だった。
「大丈夫、全て分かっていますから」
 弓生はそう答えると静かに微笑んだ。そして軽く一礼すると外で待っている聖の元へと出ていった。
 その姿を見てから安堵の表情で店長は微笑んだ。
「いい人に出逢えたじゃねぇか…良かったな、聖」






「随分と好かれているようだな?」
 店を出た開口一番の言葉に、聖はきょとんとしながら弓生を振り返った。
「えっ!?なにが?」
「今の店の店長だ」
 ああ…と聖は呟きながら、想い出話をするように言葉を紡いだ。
「オレな、あのおっちゃんにはごっつぅ世話になっとるんや…親が死んで独りになって今のアパートに住むようになって直ぐの頃や…腹減って、でも金なくて困っとった時に、おっちゃんは何も言わんとラーメン食わしてくれた…またいつでも食わしてやるから遠慮せんと来い…って」
 聖は一旦言葉を止めると、満面の笑みでキッパリと言った。
「オレはいつかあのおっちゃんに恩返ししたい―あのおっちゃんは大好きや」
 迷いのない言葉に弓生は目を細めた。
「そうか」
「うん、そうや!……あっ、もうここでええよ?あれがオレのアパートや」
 聖は歩みを止めると指を差した。続いて弓生も歩みを止め、その方向を見る。
「送ってくれておおきにな…ラーメンもおおきにな!車、学校やろ?今から取りに行くんか?」
「ああ。このあとも未だ仕事が残っているからな」
「せやったらオレのために……」
「別にお前のためじゃない…ラーメン、旨かった」
「うん」
「じゃあまた明日、学校で…ちゃんと復習しとけよ?」
「分かっとる」
 じゃ…と言って歩み出す弓生の腕を掴み、聖は無意識で止めていた。
「どうした?」
「えっ、いやその……そう!ラーメン、おおきに!」
「それはさっき聞いた」
「それやったら…送ってくれて、おおきに!」
「それもさっき聞いた」
「そうやったっけ…?それやったら……ん〜」
 必死で言葉を探している様子の聖。そんな聖を見て弓生は微笑する。
「どうした?そんなに別れたくないのか?」
 からかうような口調に、思わず聖は顔を上げた。
「ちっ、ちがっ……」
―違うとは言えなかった。
 そんな聖の頭に手を乗せ、ポンポンッと優しく撫でた。
「そうだ、今日のことは他のヤツには秘密にしておけよ」
「なんで?」
「特定の生徒だけ特別扱いすると五月蠅いヤツがいるからな」
「そっか…うん!分かったわ」
 先生も色々大変なんやなぁ…としみじみと言う聖を見て弓生は再び微笑する。そして――
「また明日」
 再び言われた言葉に、今度は素直に頷く聖。
「うん、また明日」
 去っていく後ろ姿をしばし見つめてから、聖も帰路についた。






 だが、アパートに戻ってからも、机の上には形だけはプリントを広げているたものの、聖はベランダから入ってくる風に当たりながら弓生の事ばかり考えた。心、此処にあらず―の典型的な図である。
―そうや。気のせいや、気のせい…せやなかったらラーメンや。ラーメン奢ってくれたから、良う見えただけや
「そうや、そうに違いない!」
 そう結論付けた聖は手を伸ばし煎餅を手に取り、口にくわえる―バリンという音と共に煎餅が砕かれた。
「けど…けどせやったら…なんで―なんであいつのことがこんなに気になるんや」
 別れてから何故だか胸が痛かった―
 何故だかもっと一緒に居たかった―
「よう分からん」
 聖はゴロンと寝転がった。そして自分の目の前に手を翳す。
 天井へと伸ばした手を見つめながら聖は呟く。
「明日…学校行ったら分かるやろか」
 フウッと小さく息を吐いてから、腹筋の要領で起き上がる。
「よし!しゃーないから復習するか…」
 カチカチっとシャープペンのノックをしながら、聖は机へと向かった。






この時、自分の心の奥に芽生えていた思い―
その思いが、愛と呼ばれているモノだと言うことに、この時の聖は全く気付いてはいなかった。










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いきなり初めてしまった新連載。
しかもパラレルかよ!(笑)
でも書いてる本人はとても楽しいので、
読んで下さる方も楽しんで頂けたら嬉しいですvv


2005/05/03