晴明が鬼を飼っているという噂が屋敷に広がる。
そしてそれは最近来た新入りの野性児、鬼同丸ではないかとも。
噂は当然のことながら、すぐに鬼同丸の耳にも入る。
バケモノを見るような眼でジロジロと見られ、何度も喰って掛かりそうな鬼同丸を止めるのは高遠の仕事。
こんなことなら大江山を捨てて来なきゃよかった、なんてことは口が裂けても言わないが、だが…。
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そんなある日の昼下がり─。
その日もなにもすることがなく、プラプラと庭を散歩していた鬼同丸だが、突然足を止める。
「あ」
鬼同丸の視線の先にいるのは自分のことを良く思ってないものたちだ。どうせ自分を見ても蔑んだ偏見の目で見るだろう。気分を害するのをするのもイヤなので、そそくさとその場を去ろうとした。─が。
「晴明様もどうしてあんな子を拾ったのかね」
思わず足を止めてそばにあった樹木に隠れてしまう。
「そこだけは気がしれないね」
「しかも鬼だという話だよ」
「それが誠なら、本当に迷惑な話だよ。お〜、嫌だ嫌だ」
「ここの生活が気に入らないなら出て行けばいいものを」
大人しく聞いていた鬼同丸だが、遂に臨界点を突破してしまった。
「さっきから言わせておけばっ!!」
思わず潜めていた樹木の影から飛び出しそうになる。だが自分よりも背の高い鬼に羽交い絞めにされる。
「なんや、高遠っ!止めんなや」
「鬼同丸!」
「確かにオレは鬼や!せやけど鬼のどこが悪いんや!」
「いいからこらえろ!」
「もうイヤや!我慢出来ん!あいつらいっつも陰でコソコソ言いよってっ、殴ってやらなきゃ気が済まん!せやから放せや、高遠っ!!」
「晴明様に迷惑掛ける気か!」
今にも振りほどきそうなほど暴れていたのに、その言葉でピタリと止まる。
「ずるいわ。そんなん…反則や」
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屋根の上でボーッと空を見ている鬼同丸。すると。
「そんな所にいたのかい」
「じーさん」
「少し話をせぬか」
「ええよ。なんや?」
「そこでは話し難い。下りておいで」
優しい声音に鬼同丸は素直に従う。
ひらりと宙を舞うと、物の見事に綺麗に着地した。
背の丈は随分とあるのに、しょげていると晴明よりも小さく見える。
そんな鬼同丸に晴明は優しく問い掛けた。
「近頃元気がないようだが、なにかあったのかい?」
すると鬼同丸はポツリと口を開いた。
「じーさん…。オレ、じーさんに迷惑掛けとるんやろか。オレがここに居るのはやっぱり場違いなんやろか」
「どうしてそう思うんだい?」
「…なんとなくや」
「なぜだい?ひょっとして誰かにそう言われたのかい?」
「……」
その質問には答えず俯いたままだが、それはそのまま肯定を意味している。
「誰がそんなことを言うんだい?」
「そんなこと言えんわ…告げ口しとるみたいでイヤやんか」
「そうか。…やっぱりお前は良い子だね」
髪を優しく撫でる。
「私は鬼同丸の事を迷惑だとは一度も思ったことはないよ。大切だし、お前が必要なのだよ」
「ほんまに?」
「あぁ、本当だとも。だからなにも気に病むことはない。お前らしく生きなさい」
「うん」
晴明はなおも頭を優しく撫で続ける。
まるで元気のない子供を慰めるかのように。
子供扱いされるのは苦手というか嫌いだった鬼同丸だが、温くて優しい手のこの人だけは別だった。
おそらく晴明はすべて分かっているのだろう。それでもあえて無理に問いださないのは生命の優しさだ。
鬼同丸はしばらく撫でられたままだった。すると段々気持ちが軽くなっていくのが分かった。
「せや、じーさん。酒でも飲まんか?聞いてくれた礼や」
「酒?」
「とっておきのがあるんや」
鬼同丸は無邪気な笑顔を向けた。
「ほぅ、とっておき?」
「大丈夫や。ちゃんと買うてきたもんやから安心してや」
「少しも疑ってなどいないよ。私は鬼同丸、お前を信用しているからのう」
「じーさん…」
その言葉に、うんと頷く。
「もう二度と勝手に持ってくることはせん。じーさん困るし、高遠怒るしな」
そして元気よく立ち上がった。
その姿に先ほどまでの面影はない。立ち直りの早さは天下一品である。
「ほなちょっとここで待っててな。ついでになんかつまみでも貰ってくるわ」
鬼同丸はバタバタと足音を立てながら笑顔で走って行った。
そして。
「見ていたかい」
晴明が小さく呟いた。すると。
「はい」
今までなにもなかったそこに、すうっと人影が現れた。
「あの子は強い子だよ。たくさん傷付いて来たはずなのに乗り越える力がある。だが時々ああやって自分を責めて迷ってしまうことがある。だからあの子が迷子になった時には、これからはお前が手を引いておやり」
「私が…ですか?」
「そしてお前が迷った時には手を引いて貰いなさい」
「失礼ながら私は迷子になるような子供ではありません」
「それは悪かったね。だがね、どちらかが迷った時にどちらかが道を示す。私はそういう存在そのものが宝物だと思うよ」
「……」
「分かるかい?」
「…はい」
「それはよかった。実は前に鬼同丸にも同じことを言ったら、意味が分からないと首を傾げていたからね」
「全くあいつは…」
ほんの少し微笑む。その笑顔を晴明は嬉しげに見つめた。
「聞いていたから分かると思うが、今から鬼同丸と酒を飲むのだが、高遠も一緒にどうだい?」
「いえ、私は」
断わろうと思えば出来たが、なせだか今は断る気がしなかった。
「ですが、あいつは晴明様とサシで飲みたいのではないかと」
「そんなことないよ。お前もいたら、きっとあの子も喜ぶ」
「そうなら良いのですが…」
そこにバタバタと言う元気な足音が近付いてきた。
─(自分を見て鬼同丸はどう思うのだろう)
高遠は落ち着かない様子で座している。そこに鬼同丸が到着した。鬼同丸は勢いよく部屋に入ると、晴明といつしか増えていた高遠を交互に見てから酒瓶を掲げ、満面の笑みで叫んだ。
「お待たせー!」
〜終〜
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