暖かな日差しが振り込む昼食時。
「ユミちゃ〜ん。メシ出来たから机の上片付けといて」
台所から聞こえてきた声に「分かった」と答えると机上の本を横へと移動する。…と、タイミングよく聖が盆に丼を乗せてやってきた。
「今日は饂飩やで〜。昨日の残った天麩羅入れたから天麩羅饂飩や。豪勢やな」
ご機嫌な様子で弓生の目の前に饂飩と箸を置き、自分の前にも同じように置く。
「ほな、いただきま〜す」
手を合わせ、元気よく言った時─。
ガラリと玄関の引き戸が開かれた音がした。
「ん?」
二人で顔を見合わせる。
「今誰か来た?」
「らしいな」
弓生が呟いた直後。
「鬼同丸はいるか!!」
「げっ、あの声は桐子か?」
「またなにか怒らせることでもしたんじゃないか」
―(まあいつもしているが)
「えーっ、なんも思い当たらん。オレ、桐子を怒らせたことなんかないで?」
「……よく言えるな」
―(ありすぎて麻痺してるんじゃないのか)
「ほんまや!昨日も今日も今のところはないはずや」
「………」
聖の基準は短かった。
「それよりも当主を待たせるな、早く出ろ」
「えー、なんや怖いわ。ユミちゃん出て〜」
「そんな声を出しても駄目だ。第一お前を名指しだろう」
「それが怖いんやー。なあ、ユミちゃん」
「だから…」
二人であーだこーだと言い合っている内に、襖がガラリと開いた。
「わわっ、桐子!!」
聖は思わず丼を持ったまま背中を引き、弓生は思わず片膝立ちをした。
「なんだいるではないか。だったらさっさと出て来い」
「かんにん」
これ以上怒られるのを防ぐために素直に謝った。
「だいたい主がやってきたら直ぐに玄関に飛んで来い。こんな所まで来させるな」
「せやからかんにんて。えーと…オレになんぞ用か?」
「出掛ける。今すぐついてこい」
「えーっ、今から饂飩食うんやけど〜」
―(こんな状況でよく言えたもんだ)
というのが冷静な弓生の意見だ。
「いいからついて来い」
「えー、饂飩がぁ〜」
「そんなものは捨て置け!」
そして文句を言う聖の首根っこを掴み、無理矢理引っ張る。
「いややーっ!ユミちゃん助けてー」
「失礼なヤツだ。私を人浚いのように言うな!」
そして片膝立ちしたままの雷電をチラリと見た。
「…少し鬼同丸を借りるぞ」
「……はい」
事態を飲込めない弓生は狼狽えながらも答えた。
だが聖はまだ饂飩が諦められないらしい。
「いやや、とーこ」
このままだとずっと饂飩饂飩と言っているに違いない。
桐子はこれ見よがしに溜息を吐いた。
「仕方ない。なら特別に1分…いや、30秒待ってやる。その間に食え」
「30秒って、んな無茶な。せめて3分!!」
「…もう5秒経ったぞ」
「…っ!!」
どんなに願っても妥協など許されそうもないので、げほげほと噎せながらも饂飩をもの凄い勢いで啜り始めた。
******
「まさか食い切るとはな」
「食えゆうたんはお前やろ」
「私は食えとは言ったが、食い切れとは言っていない」
自分は少しも悪くない、といった様子でプイっと横を向く。
このあたりは昔─子供の頃とまるで変わらない桐子である。
「はいはい、そうですねー。……ところでこんな所までオレを付き合わせてなんかあるんか?」
聖はキョロキョロと店内を見回す。
そう、ここは賑やかな京の町にある一軒の呉服屋。
あのあと家臣に見付からぬよう、しかも家の車を使わずにこっそりと出ていった。
もちろん途中で疲れたというから、車を拾ってやってきた。
「別に。ただお前もたまには私のお供で買い物くらい付き合ってもいいと思っただけだ」
「買いもんやったんか。ほなあんなに慌てんでも」
「見付からない内に行きたかっただけだ」
「誰に?」
「…宇和野」
「なんで?そもそもなんでオレなんや?ユミちゃんの方が向いてる思うけどな。車も運転出来るし」
すると桐子は溜息を吐きながら答えた。
「馬鹿かお前は。第一、私と雷電と車が一気に消えたら、すぐにバレるに決まっているだろう」
「なるほどな」
聖は感心したように頷いた。
だが、普段迷惑なほど騒がしい鬼がいなくなるのが一番目立つと思うのだが。
「せやけどお前が居なくなったらすぐバレると思うけどな」
「疲れたから横になるから、誰も部屋に入って来るな。来たら屋敷から追い出すと命令しておいた」
そこは桐子だ。抜け目はないらしい。
「それにアイツ…雷電との買い物は駄目だ」
「なんで?」
「雷電は何を見せてもお似合いです、の繰り返しだからな。まるで参考にならん」
「ほなミキさんは?」
「ミキはあれも可愛いこれも可愛いと山のように買いすぎる。呉服屋でも開くのかというくらい買うしな。それに宇和野の趣味は話にならない。だから仕方なくお前にしたのだ」
「なんやそれ〜。せやけどユミちゃんは分かるわ。オレかてたまに一緒に買いもんして、“どっちがええ?”って聞いても、“自分で着る服なんだから自分で決めろ”やもんな。そういう意味やのうて、ちょっと聞きたいだけやのにーって思うとき、ぎょーさんあるわ」
「確かに雷電なら言いそうだ」
「せやろ?」
「なら今日はお前の趣味を試してやる。駄目だと思ったら調伏だ」
「それはないやろ」
肩を落とすもニッと笑うと、聖は反物を選び出した。
「これはどうや?」
「嫌だ」
「ほなこれは?」
「趣味じゃない」
「ほなこれは?」
「柄が派手だ」
次々に駄目出しされ、聖は口唇を尖らせる。
「もー!お前は文句言いすぎや!文句言うならお前も自分で探せや」
「今日はお前の趣味を試すと言った。私はここで待っている。いいから早く次のを持ってこい」
店内にある椅子に座り、不敵な笑みを浮かべる。
「くそー!ほなお前が気に入るヤツ選んで、ぎゃふんと言わせたる!!」
「なんだその下らん言葉は」
どうやら、ぎゃふんのことを言っているらしい。桐子には耳慣れない言葉だ。
「ええから!参ったら“ぎゃふん”って言うんやで!」
─(誰が言うものか!)
桐子は頬を膨らます。
視線の先には再び真剣に選び始めている聖がいる。そんな姿を見て少し笑みが零れる。
だが一瞬でも笑みを漏らしたことが悔しく、聖にバレぬよう視線を店内に飾ってある反物へと移した。すると─。
─(あ…)
一瞬ひとつの反物が桐子の目に飛び込んできた。─が。
「桐子桐子!」
聖の元気な呼び声に、すぐさま我に返る。
「じゃーん!桐子、これなんかどうや?」
「どれだ?」
聖が手にしていたものを受け取ると─。どうみても男物である。
「……鬼同丸。これは一体」
「これ、ユミちゃんに似合うと思わんか?絶対に今よりも男前になるわ」
満面の笑みで反物を抱き締める聖。
「お前は……いったい誰のを選びに来たんだ!!」
「かんにんやー。無意識でユミちゃんのを選んでしもただけや」
「この馬鹿者!痴れ鬼!もういい、帰れ!!」
「ほんの冗談やて」
「冗談だと?」
「当たり前や。ちゃんと桐子の分も選んだで?」
「……これでまた雷電の分だったらこの場で調伏だぞ」
はいはい、といいながら聖は桐子に反物を渡した。
「これなんかどうや?」
「………」
それは淡い桃色の反物。
その中に目立たぬように白い綺麗な模様が散りばめられている。
はっきり言って自分のイメージとはほど遠い。
だが、先ほどほんの一瞬自分も気になった反物─偶然にもそれを選んできた。
「どや?ええと思わんか?」
「………」
「桐子?」
「ふん、趣味が悪いな。宇和野といい勝負だ」
「うわ!酷いわ。頑張って選んだのに」
「ならその功績を称えてやって、今日はその反物にしてやる」
偉そうやなーと呟きつつも、聖は微笑んだ。まるで気分は、反抗期の子を持つ親だ。
「ほな、ぎゃふんか?」
「…別に気に入ったわけではない。ただ待ちくたびれたからそれで妥協してやっただけだ」
「ほんまに?」
「うるさい!じゃあこれを買ってさっさと帰るか」
「え?ひとつでええんか?」
「ああ。もう疲れたから早く帰る」
すると聖はその場に立ち止まった。
「なにしている鬼同丸。金は渡すからさっさと払ってこい」
「ちゃうて。なあなあ、桐子。オレ、あこにあるシャツ欲しいんやけど」
そう言いながら店内に飾っている売り出し品と書かれたシャツを指さす。呉服屋のくせになぜ洋物のシャツなど売っていると桐子は思ったが、それよりも今の鬼の言葉の意味が分からない。いや、意味は分かるが─。
そこで桐子は冷たくあしらうことにした。
「それがどうした」
「買うてや」
あっけらかんと答える聖。
冷たくあしらったつもりが、全く効果がなかったようだ。
「なぜ私が雷電の分を買わねばならない」
「ちゃうて。あれは正真正銘、オレの分や」
「同じことだ。なぜ私がお前に…」
「誕生日なんや」
「え?」
「今日はオレの誕生日なんや」
─(誕生日)
本気で知らなかった。というより知る気がなかった。
目の前にはふわりと笑っている鬼がいる。
この場合、何と言えばいいのだろう。…免疫がないので分からない。
「……そ、それがどうした。第一千年以上も、のほほんと生きてきたヤツが今さら誕生日などと口にすること自体が下らん。下らな過ぎる」
傷付けることを言った。それでも鬼は─。
「そんなことないで?何十回何百回祝っても下らなくなんかない。誕生日だけは特別や」
相も変わらずふわりと笑う。
なぜ怒らないのだろう。
それどころか、聖はそういえば…と続けた。
「桐子の誕生日はいつや?オレ、盛大に祝ってやるわ」
「え?」
「生まれてきてくれておおきにー、出会ってくれておおきにーって、パァ〜っと」
「……そ、そんな祝いなどいらん。第一使役鬼のくせに主の誕生日すら知らないとはな」
「ありゃ?それはかんにんや。ほな今日から覚えるから教えてくれんか?」
「……気が向いたらな」
「なんやそれー」
ボヤきつつも、まぁええか、気が向くのを待つわと頷く聖。
「それよりも欲しいのならさっさと持ってこい」
「え?」
「さっき言っていたヤツだ」
「ええんか?」
「言っておくが付き合わせた礼だ。誕生日の祝いではない」
それでも嬉しい。
気が変わらない内に聖は大慌てでシャツを持ってくる。
「おおきに、桐子」
「いいからさっさと払え」
「うん!」
押し付けられた桐子の巾着から財布を出すと、聖は代金を支払った。
そして店を出ようとしたとき。
「なぁなぁ、これの礼に奢ってやるからなんか食うて帰ろ?」
「お前は饂飩を食ってただろう」
「あんなんとっくに消化したわ。なあ、桐子」
「なにもいらん。早く帰るぞ」
「えーっ!オレ腹が減って死にそうや〜、汁粉でも食おうや。なぁとーこー」
「うるさい!」
「とぉーこぉー!」
「………」
結局、甘味処で汁粉を食べ、二人だけの始めてのお出掛けは終わるのだった。
そして文句を言いつつも楽しいと思ってしまった自分が、
少しだけ悔しかった桐子であった。
〜終〜
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