今日は2月14日。言わずと知れたバレンタインである。
聖は朝食の後片付けを終えると、いそいそとチョコレート作りを始めた。今年はシャンパントリュフを作ると豪語していた聖は、ご機嫌な様子で作っている。いつも以上に機嫌が良いのは、きっと今日は弓生がいるからだろう。
そんな聖を時折横目で見ながら弓生は新聞を読んでいた。テレビからはデパ地下を始め、各チョコレート会場からの生中継で賑わっている。─と、場面がスタジオに戻り、今年は逆チョコが流行っているとか言っているが、弓生には全く興味がない。その内に女子アナがバレンタインの由来を笑顔で説明し始め、最後に外国でのバレンタインを笑顔で伝え始める。
「なんと女性から男性にチョコレートをあげるのは日本独自のもので、ヨーロッパでは男性が女性に花やワインを贈るらしいんですよ」
「そうなんですよねー。ロマンチックで羨ましいですよね」
メインキャスターと女子アナが、その話題に花を咲かせている。だが─。
─(そうなのか?)
相棒と違ってイベント事には全くの無知で無頓着な弓生は、外国のバレンタイン事情など知る由もなかった。思わず新聞を読む手を止めてテレビを見てからキッチンでチョコレートの甘い香りを醸し出している聖を見つめた。恐らくイベント事には詳しい聖は当の昔に知っているのだろう。
─(花かワイン…)
だがどちらも聖には似合わないような気がする。どちらかというと花よりも団子。ワインよりも日本酒かビールというイメージだ。
すると自分を見ているのが分かったのか、聖がん?と顔を上げた。その目と目が合う。
「なんやユミちゃん?なんぞ用か?」
「いや、別に」
もう次の芸能ニュースに話題が変わっているものの、何故か慌ててテレビを消してしまう弓生。そして立ち上がる。
─(たまには花でも買ってやるか)
「ユミちゃん、珈琲か?」
「いや違う。ちょっと出掛けてくる」
「え?出掛けるんか?」
「すぐ戻ってくる」
「うん、分かったわ。ほないってらっしゃい」
聖は笑顔で手を振った。
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その後、弓生は約束通り早めに帰ってきた。それだけで聖は嬉しそうである。そして夕飯前に早々と出来立てのチョコレートを渡し、それをつまみに二人で珈琲を飲んでいた。
「うん!初めて作ったけど、なかなかイケるやん」
「そうだな。甘くなくて旨い」
「よかったわー。そう言うて貰えると作り甲斐あるわ」
聖が笑顔で見つめる。そんな聖の肩に手を乗せて優しく抱き寄せる。
「チョコレートの匂いがするな」
「え?まだするか?ユミちゃん甘い匂い好きやないから、さっきシャワー浴びたんやけどな」
自分でクンクンと腕の辺りを嗅いでみる。
「いや、別に平気だ」
「そか」
肩を抱いていた手を髪の毛へと移動し優しく掻き混ぜる。そして自然な動作で顔を自分の方へと向かせると、聖も待っていたかのようにそっと瞳を閉じる。そして口唇と口唇が触れようとしたまさにその時─。
─ピンポーン
ムードをぶち壊すかのように玄関のチャイムが鳴った。
「もう誰や~!ええ所で邪魔すんなやー!!」
「いいから早く出ろ」
むーっと口をへの字に曲げながら聖は渋々立ち上がった。
「三吾やったらしばいたる!!」
突然名前を出され、新宿辺りでくしゃみをする声が聞こえてきそうだが。
「どちらさんですか?」
聖が口を尖らせながらドア越しに聞くと、そこには─。
「吉川フラワーショップです」
「え?ふらわぁ…しょっぷ?」
─(え?フラワーってことは…花屋?)
自分たちとは全く縁のないジャンルの名前に聖はきょとんとした。そして不思議そうにドアを開けると、真紅の薔薇の花束が目の前に広がる。もはや花束というより大群である。状況がまるで分からない聖はただ、狼狽えるばかり。
「え?え?ええっ!?」
だがひとつの結論に辿り着く。
「間違えてへんやろか?ここは志島と戸倉んちやけど」
「戸倉聖様宛なのですが」
「ええっ!?」
ますます分からない。
「え?え?…ちょお待って………」
ぐるぐるする頭を必死で落ち着かせようとする。
そして大事なことに気付いた。それは。
「誰から?」
「志島様からです」
その答えにマッハの勢いで振り返る。
リビングのドアは閉まっているため、弓生の姿は見えないが─。
「あのぅ…こちらでよろしいのでしょうか?もしかして間違いでしたでしょうか?」
困り果てた様子の配達の女性の声に、聖は慌てて反応した。
「ああ、かんにん。ここで合うとるわ」
「よかったです。これでイタズラだったらどうしようかと思ってしまいました」
「かんにんなー。なんも聞いとらんかったから、びっくりしてしもて」
「いいえ、こちらこそ花を揃えるのにお時間が掛かってしまって申し訳ありません」
「ほな貰うわ。おおきにな」
聖は女性から花束を受け取った。
「それではこちらにサインを」
「あー、はいはい」
伝票に受取サインを書きながら、聖は最後に問いた。
「ところでこれ、何本あるんや?」
「全部で百本の薔薇の花束でございます」
「ひゃっ!!」
─(百本!?)
再び振り返ってリビングを見る。ドアが閉まっているので、当然弓生は見えないが。
「素敵ですね。こんな花束を貰えて羨ましいです」
「あ、うん。そうやな」
照れたのか、人差し指でカリカリと頭を掻く。
「それでは本当にありがとうございました」
「おおきに、ご苦労さんです」
そしてドアが閉まった後、聖は薔薇を抱えたままマッハの勢いでリビングへと戻ってきた。
「ユミちゃんユミちゃん!今、花!薔薇!百本!!」
「落ち着け」
「せやかてっ!薔薇の大群が来た!!」
「だから落ち着け」
「せやかてこれ、これ!!」
狼狽えながら自分が抱えている真紅の薔薇の花束を指さす聖を横目に、弓生はフウッと息を吐いた。
─(ようやく来たか。まあ「夕方にはお届けします」と言っていたので、こんなものだろうか)
一方相変わらず先ほどから聖は薔薇の花束を抱えたまま、オロオロしている。予想を裏切らない反応に思わず笑みを零す。といいつつ聖の側に立てば、花束を貰うなんて1000年以上生きてきて初めてのこと─免疫がないため狼狽えるのは仕方ない。
「あまり可愛い反応をするな」
「アホか、可愛いとか言うなや。せやけどなんで急に?」
「別に…。ただヨーロッパでは男性があげるものだと言ってたから、お前に見習って流行に乗ってやっただけだ」
「ユミちゃん知っとったんか?」
「それといつもチョコレートを貰ってる礼だ」
「そんなのオレがあげたいだけやからええのに」
だが、思い掛けない弓生からのサプライズプレゼント。─聖は満面の笑みになる。
「せやけどほんまむっちゃ嬉しい」
「大袈裟だな」
「ほんまやて。ごっつぅ感動しとるし、ごっつぅ幸せや」
「そこまで喜ぶとは思わんかった」
「なんで?」
「おまえはどちらかというと花より団子だから、花は喜ばんと思ったけどな」
「花が嫌いなヤツなんて居らんわ。オレかてほんまは花、好きやで」
「そうだったのか」
「実はそうやったんや。まあ似合わんけどな」
あははと照れ笑いをする。
「ところでさっき、俺が知っていたのかとか言っていたが、お前は知っていたのか?」
「なにを?」
「ヨーロッパでは男性から贈るものだということだ」
「ああそれか。うん、知っとった」
─(やはりな)
思った通りだった。
「いつ頃から知っていた?」
「そんなんいちいち覚えとらんわ。せやけど4~5年前とちゃうかな?」
「ならどうして早く言わん」
「そんなん言うたら、催促しとるみたいやんか」
言ったらきっと弓生は無理にでもくれるに違いない、と変なところで気を遣ってしまう聖だ。だから言えなかったのだろう。
「せやからほんまにこれ、嬉しかった」
「そうか」
「ほな、早速活けてやらんと。どこに飾ろうかな…。まずリビングやろ、玄関やろ」
「お前にやったんだから、自分の部屋に飾るといい」
「せやけどここやと二人で見れるやんか。オレはその方が嬉しいわ」
「まったくお前は…」
「ん?」
「どこまで可愛いことを言えば気が済むんだ。狙ってるとしか思えん」
「え、可愛いってなんやそれ?ちゅうか狙うってなんや?」
「無自覚なのも困ったもんだ」
「せやからオレ、狙ってなんか…」
むっと顔を上げると、つい数秒前まで数メートルあった距離が、気付くと鼻と鼻とがくっつく距離まで接近している。そして─。
「少しは黙っていろ」
そう言うと、グイッと頭を引き寄せて強引に口唇を奪う。
「っん。っふ…ユミちゃん、花っ…潰れてまう、可哀想や」
思わず空いた手で押し返すが、弓生も負けじと再び頭を引き寄せる。
「大丈夫だ。花も少しくらい我慢してくれるだろう」
「またそんなこと言うてからに…」
冗談なのか本気なのか分からない弓生の言葉に、聖も思わずプッと噴き出した。
─(まあええか。薔薇さんかんにんな、後でちゃんと活けたるからな)
そして今度はどちらからともなく口唇を重ね合わせる。
今日のキスは、噎せ返る様な薔薇の香りがした。
~終~
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