遥か昔─鬼使いの中には、高遠と鬼同丸を疎ましく思うものはかなりいた。
代々伝われるものだから仕方なく庇護するものの、仕事を一切与えるでもなく屋敷に住まわせるものでもなく。分かりやすく言えば鬼なんて邪魔だから遠ざけようとする鬼使いも多かった。鬼だからと言うだけで怖がられることも邪険に扱われることも数え切れないほどあった。だがそんなのをいちいち気にしていたらやってられない。
そして今の鬼使いもそうであった。
長年反旗を翻すことなく使えてきたとはいえ、所詮鬼は鬼だ。怖いから側に寄るなというのが見え見えだ。
現に二人の今の棲家は、屋敷からも人里からも遠く離れた場所に建っている今にも壊れそうな荒ら屋だった。酒呑童子と住みなさい、用がある時はこちらから連絡すると言われ、この荒ら家に移されたのは、つい今しがた。明らかに邪魔者扱いと分かるが、しがみつく気も更々ないし、鬼同丸も屋敷よりましやと言うので素直に従ったが、それでも─。
「分かりやすい避け方だな」
高遠は誰に聞こえるでもないが、皮肉めいた言葉を溜息とともに漏らした。すると、ほんまやなーと言いながら、先に中に入った鬼同丸が出てきた。そして引き戸をコンコンと手の甲で軽く叩く。
「見た目もやけど中もほんまボロイで。吹雪が来たら一発で壊れそうや」
「不満か?もしここが嫌なら他に…」
「別に不満なんてないわ。高遠が居るしな」
鬼同丸がふわりと笑うと、高遠も無意識で口の端を上げた。
「…ああ、そうだな」
こうして二人はこの辺鄙な場所に住み始めた。
壊れた壁からは隙間風も入り込み、今のこの時期では日が落ちると建物の中にいるのに凍えるような寒さだった。おそらく普通の人間では一晩で凍死してしまうだろう。まあ鬼なのでそのくらいでは簡単には死なないが。
食料は週に一度、野菜をまとめて置いていくが義理のようなもの。足りるわけがない。衣食住に関して言えば基準値に全く達しておらず、はっきり言ってかなり不便だ。
それでも鬼同丸は、毎日楽しそうに暮らしていた。そのことだけでも高遠は救われていた。
料理に関しても、少ない材料だとしてもないよりはましやと言って、とても上手にやりくりしていた。それでも食料が足りなくなると姿が見えなくなり、数時間後に戻ってきたかと思えば鴨をぶら下げて帰って来たり。山育ちの酒呑童子―慣れているとはいえ、なにをやらせても器用だ。
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「今日も冷えるなあ」
鬼同丸が囲炉裏火にかけた鍋をかきまぜながら呟く。
「そうだな」
高遠が書物に目を通しながら返す。
するとふと鬼同丸が問いた。
「あれ?それって前も読んでなかったか?」
「ああ。ついでにいうともう4回目だ」
「…そんなにおもろいんか?」
「そうじゃない。新しい書物を頼んでいるが、持ってきてくれないだけだ」
「そういえばオレもいっつも酒を頼んどるのに、一度も持ってきた試しがないわ」
手を動かしながら口を尖らせて文句を言う鬼同丸。
「それは不必要と思ったんじゃないか?」
「失礼やな、酒は必要や!!特にこう寒かったら大いに必要や」
顔をあげて高遠を睨むが、すぐにまた元に戻る。
そして肩を下げて、はぁっと溜息を吐いた。
「なんやオレらほんまに邪魔者扱いやな」
「仕方ないだろう。今の当主にとっては邪魔そのものなのだろう」
「まあ邪魔扱いは慣れとるし、ずっとここに居れっちゅうなら別にいくらでも居るけど、せやったらせめて頼んだもんくらいは持ってきて欲しいな。まあオレは大江山で慣れとるから山で暮らすのは平気やけど、高遠は嫌やないか?狭いしボロいし寒いし」
そう言いながら鬼同丸は椀を手に取り、装い出した。
「そうだな。不便じゃないと言えば嘘になるが、嫌ではない」
「ほんまに?」
「ああ。顔をあげたらすぐお前の姿が目に入る。これは狭いならではの特権だな。だからこんな生活も悪くない」
「高遠…」
高遠の言葉に一瞬目を丸くしたが、鬼同丸は嬉しそうに頷いた。
「せやな。そう考えたら全然わるぅないな」
再び頷きながら、湯気の立つ椀を渡す。
「ほい。ごっつぅ熱いから気ぃ付けてな」
「ああ」
「なんたってこう寒い日はあったかいもん食ってさっさと寝てまうんが一番やな」
ふぅっと息を吹きかけて冷ましてから一口飲む。それでもあちっと舌を出す。身体の芯から温まりそうな熱さだ。
「なんやこう寒いと、明日は雪でも降るんやないか?」
「そうだな。じゃあさっさと食って……寝るか」
ほんの少し高遠の口の端が上がったのに、鬼同丸はすかさず気が付いた。
「言うとくけど、寝るゆうてもあっちの意味やないで?」
「ほぅ?あっち、とはどっちだ?」
澄ました顔で問うと、顔を赤くしながら鬼同丸は反論する。
「あっちはあっちや」
「お前が言っていることは意味が分からん」
そう言いながら全てを悟っているような含み笑いに鬼同丸は更に顔を赤くして焦る。
「せやからっ!」
「寒い日は寝るのが一番だと言ったのはお前だろう」
「そうやけど…」
「ほら、お前もさっさと食え。さっさと寝たいんだろう」
「せやからっ!」
言いくるめられてしまった鬼同丸は返す言葉が見つからない。それでも鬼同丸は必死に反論し、二人のやり取りはしばらく続いた。
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翌朝─。
戸を引き開けると、そこは360度一面純白の雪景色だった。しかもその純白に太陽の光が反射してキラキラと光っている。
「うわぁ〜」
遮るものは全くなく、どこまでも続く一面の白銀の世界。
あまりに綺麗な白銀の光景に、鬼同丸も言葉を失った。そして。
「高遠高遠!はよ、起きて」
「…なんだ」
「ええからはよう」
相変わらず朝からテンションの高い鬼同丸に起こされ、高遠は半纏(もちろん鬼同丸のお手製である)を引っ掛けると渋々外に出た。だがその見事な景色に高遠も一瞬言葉を失う。すると、な?と言って鬼同丸が笑顔で高遠の顔を覗き込んだ。
「ごっつぅ綺麗やろ」
「そうだな」
「こんな一面キラキラした雪景色っちゅうのは久し振りや。都でも積もるけど、ここまで綺麗なんは大江山以来や」
そしてなにを思ったのか、突然駈け出した。
「オレ、こうゆうまっさらなとこに足跡付けるのが大好きなんやあぁ〜」
そう叫びながら、足跡を付けていく。
はしゃぐ鬼同丸を見ながら高遠も思わず笑みを漏らすが、振り返った鬼同丸と目が合った途端、表情を変えた。
「犬か子供だな」
「ええやんか」
「俺は先に中に入っているから、風邪引かんうちに戻れよ」
そう言いながら踵を返す高遠だったが。
「なあ、高遠」
声を掛けられ、思わず振り返った。その頭に─。
ボスン。
雪玉がぶつかって落ちた。─犯人はもちろん。
「あははー!隙アリや、高遠」
「………」
「お?やる気か?掛かってこいや!勝負やー!!」
雪玉を手にファイティングポーズを取るが、高遠は何事もなかったかのように家に入ろうとする。
「なんやー。つまらん」
相手にして貰えず(貰えるとは思っていなかったが)、鬼同丸はいかにもガッカリといった様子でしゃがみ込むと、今度はいそいそと雪兎を作り始めた。すると─。
「鬼同丸」
名を呼ばれ、ん?と上げたその顔のど真ん中に─。
ボスン。
雪玉が見事に命中した。
「どうした?隙だらけだぞ」
「高…」
鼻の頭に残っている雪を払いながら鬼同丸は笑った。
「やったな!!」
嬉しさが溢れているような満面の笑みで、雪玉を投げ返してくる鬼同丸。
─(この笑顔を守りたい)
高遠は唐突にそう思った。
たとえどんな時代でも、どんな場所でも─。
鬼同丸が傍にいて笑っていてくれるだけで、その場所は光に溢れるのだから。
〜終〜
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