それは成樹の突然の一言から始まった。
「そうそう!今日さぁ、授業で聖が出て来たんだ」
「オレが?なんでオレが成樹の授業に出てくるんや?」
「いや…聖っていうか、実際は酒呑童子だったんだけど」
「ならオレやないか」
でも自分が教科書に載るというのは、嬉しくもあり恥ずかしくもある―なんとも不思議な気分だ。
「で?教科書にはなんて載ってたんや?」
嬉しそうに身を乗り出す聖―。
「確かね、大江山に居た鬼のひとりで」
ふんふん、と聖は相づちを打つ。
「その鬼たちの中での頭領で」
ふんふん、と聖は再び相づちを打つ。
「都では恐れられてて」
ふんふん。
「盗みを働いては夜な夜な宴会してたって…」
ふんふん。
だが、そこまで言ってから成樹はなにか言いにくそうになった。
「なんや?それで終わりかいな?」
「ううん、まだ載ってたけどさ」
「なら言うてみい」
「いや、でもさ、ほら。教科書ってあってるとは限らないじゃん?」
「はあ?なに言うとんねん!今ゆうたのも全部あっとるやないか?だいたい教科書に間違ったこと載ってるわけないやんか」
そら週刊誌は嘘ばっかりやけどな、とも付け加える。だが、教科書と週刊誌を一緒にするなというのがこの場にいたものの心の声である。
そして成樹のどもりはまだ続く。
「そうなんだけどさ、これに限ってはその…」
「なんや?ええから言うてみい。違うてたらオレが教えたるさかい。なんせ本人やからな」
何故だか自慢げに胸をぽんと叩く聖。
「じゃあ言うけどさ、実は…その、身長が6メートル以上ある大男で」
「………は?なんやそれ。違うとるやんか!オレの何処が6メートルもあるねん!」
「だから言ったじゃんか、あってるとは限らないって」
「あってるあってへんの問題やない!普通どう考えても6メートルなんて人間やないやんか!」
「だって鬼じゃん」
「やかましい!大体なぁ…」
「聖」
それまで黙って本を読んでいた弓生が久し振りに声をあげた。その声で聖の怒りがピタリと収まる。
「けど…けど、ユミちゃん」
「馬鹿者。このくらいのことで泣くな」
「泣いてへん!せやけどなんか嫌やんか!悔しいやんか!化けもんみたいで…そら鬼は化けもんって思われてるかもしれんけど、せやけど」
「聖…お前は知らないだろうが、確かにあの頃、都では酒呑童子についてそう言われていた」
「…そうなんか?」
「ああ。だが、考えてもみろ。だからこそお前が京の都で暮らしていても、誰もお前が酒呑童子だと思わなかったのではないか」
確かに史実の通り、実際6メートルもあったら一発でバレるだろう。
「…ならええわい」
鼻を啜りながら頷く聖―どうやら弓生の一言が効いたらしい。
すると、おずおずと成樹が続けた。
「あと…」
「なんや、まだあるんかい」
「怒らない?」
「…ああ、怒らへん。ちゅうか、もうあれ以上怒りようがないわ。なんや?」
絶対怒るなよ、と念を押してから成樹は口を開いた。
「その…夜な夜な女性を浚っては…まあ所謂その……だって」
「はあ?なんやそれ」
成樹の言葉を濁した意味を悟った聖は、ダンッと机を拳で叩く。
「オレはあの時から女性は浚わんて決めたんや!それやのに…なんでっ!そんなデマ、一体何処の誰が流したんやっ!」
「興奮するな、聖。今流されてるわけではない」
「せやかてっ!」
「どうせ史実だ、事実ではない。それにお前がどういう人物かというのは俺がよく知っている…それで充分じゃないのか?」
「ユミちゃん…」
聖がすがるような瞳で弓生を見つめた。
すると、傍らから同じように明るい声が飛んできた。
「そうだよ、俺だって知ってるよ」
「確かに今のお前からはそんなの感じねぇな」
「成樹…三吾。おおきにな、お前ら」
聖がうるうると瞳を潤ませる。
「ああ、せや!成樹、明日学校いったらみんなにいうとけよ」
「何を?」
「6メートルは100歩、いや、1000歩譲って我慢したるわい…せやけど、夜な夜な女をってのは納得出来ん」
「だから?」
「せやから明日学校行ったら『酒呑童子はそないなことしてへん』って教えてやるんやで」
「えっ?そんなこと言うの?嫌だよ」
「何が嫌やや!友達にホンマのことを教える、それが真の友達やろ?試験に出たらどないするんや!」
―とはいうものの、成樹の友人で酒呑童子が夜な夜な女を…というのが間違いだと言ってもどうでもいいものが多いのではないか、というよりもそのようなことが試験に出るわけ無いだろう―というのが此処にいたものの意見である。
それからしばらくも話題は酒呑童子のままだった。そして成樹が抱いていた疑問をふと聖に投げ掛けた。
「でもさ、聖はなんで大江山を降りたの?仲間だったんだろ?やっぱり自分だけ年を取らないから?」
「お前、聞き難いことをあっさり聞くねぇ」
と言うのが三吾の意見である。だが、聖はなんの躊躇もなく答えた。
「ん〜、もちろんそれもあるで。当たり前や。周りがどんどん変わっていってオレだけ取り残される気ぃしたからな…落ち込んだり仲間に八つ当たりしてしもたり、そんな自分が嫌になったり…そないな時にユミちゃんに逢うたんや」
「へぇ」
「………」
最初は話を止めようとした弓生だったが、聖が自分との馴れ初めをどういう風に話すのかも少し気になった弓生は黙って聞いていた。
「最初にユミちゃんと会うたんは逢魔が辻っちゅう所でじーさんも一緒で、あっ…じーさんちゅうのは安倍晴明のことやで?」
―安倍晴明のことをじーさんと呼ぶのは世界中を探しても聖だけであろう。
「そん時はユミちゃんとはほとんど話さへんかったし、それどこかユミちゃんは鬼の気を全く消しててな、オレ、ユミちゃんが鬼やて全く気ぃ付かんかったんや」
「へぇ…」
「二回目に会うたんは、仲間がみんな掴まってしもて助けに行くときや…ユミちゃん、途中の道で待っててお守りやて言うて護符くれてな」
「あれは晴明様から頼まれたからだ」
此処で初めて弓生から訂正が入った。
「ま、細かいことはええやんか。その帰り際や、ユミちゃんにプロポーズされたんは」
「プロ…」
「…ポーズ?」
「そんなのした覚えない!」
二人の声と弓生の訂正が同時に入る。が、聖は少し傷付いた様子で弓生を見据えた。
「してくれたやんか、あん時や!六波羅で!忘れたんか?」
「だからあれは単に護符を…」
「一人が嫌なら俺の所に来い、言うたやんか!」
「俺の所、ではない!晴明様の所と言ったはずだ」
弓生からの幾度目化の訂正―だが聖はそんな訂正を無視するかのように真剣に弓生を見つめる。
「オレ、あん時のあの言葉、ごっつぅ嬉しかったんやで?そらまだ2回しか会うてへんから最初はビックリしたけど、せやけどホンマに嬉しかったんや!」
「聖…」
「言われてからずっとユミちゃんのこと考えとったし、忘れること出来んかったから最後はなんやつい…」
「つい、だったのか?」
「そらオレかて仲間居ったし、仲間は簡単には捨てられへんし、せやけどプロポーズは嬉しかったし…オレ、真剣に悩んだんやで!せやけどあん時に一番大きかったんはユミちゃんの言葉やったんや、胸に響いたんや!」
「聖」
弓生は聖の頭を抱えるように抱き寄せる。
「すまなかった」
ううん、というように首を振る。
「オレかてかんにんや、つい無気になってしもた」
「構わん、それがお前の可愛いところでもあるんだ」
「ユミちゃん」
微笑みあいながら抱き合っている弓生と聖。どうやらすっかり二人の世界に入ってしまっている。
そしてその傍らにいる三吾と成樹の存在を、どうやらすっかり忘れてしまっているようだ。
「あのさあ、俺達ってもう帰っていいの?」
「あぁ、出来ることなら帰りてぇな、マヂで」