桜も散り始めた季節―。
玄関を開けた途端、仁王立ちに立つ鬼の姿を認め、三吾はいつものように脱力した。
「ユミちゃんと喧嘩した…。入るで?」
「お前なぁ…」
三吾は頭を抱え、深い溜息を吐く。
「来るなら来るで、ちょっとは時間を考えろ!」
「なにゆうてんねん、もう11時やで?世間様は仕事をしている時間や」
「何時に起きようと俺の勝手だろ」
「ごちゃごちゃ五月蠅いやっちゃ。それよりそこどけや、入れんやろ?」
口を尖らせながら、入口で突っ立ったままの三吾に文句を言う聖。
―(八つ当たりだ…絶対八つ当たりだ!)
三吾は何度目かの溜息を吐いてから聖を招き入れた。
「どーぞ。適当にその辺座ってくれ」
その言葉に聖はぐるりと部屋を見回す。
「その辺って…。座るとこないやんか」
「うるえーな、なけりゃ作ればいいだろ?」
しゃーないなぁ…と呟きながら、部屋に散らかっているゴミや空き缶をテキパキと手早くゴミ袋に入れていく。―勿論ゴミを分別するのは忘れない。
「ええ天気やで?布団干したらどうや?」
「…メンドくせぇ」
「じゃあオレが干したるから取り込むのはお前がやりや?」
そう言うと三吾の答えも聞かずに聖は布団を干しだした。
「ついでやから洗濯もしたるわ。…洗濯もん何処や?」
「ここにあるやつだけど…」
三吾が指を差すと、聖は随分溜めたなぁ〜と呟きながら洗濯機へと放り込み、意気揚々と回し始めた。なぜだか鼻歌まで歌っている。
―(で、結局コイツはなにをしに来たんだっけ?)
三吾の疑問も尤もであろう。その後も聖は掃除機を掛けたり、三吾の朝食兼昼食を作ったりと目まぐるしく動いていた。そして聖が静かになったのは、既に日が高くなった頃だった。
******
「ところで今日は何が理由で喧嘩したんだ?」
ようやく聖が喧嘩して家出して来たことを思い出した三吾は、珈琲を手渡しながら聞いた。
―(ま、どーせ下らない理由だろうけどよ)
口にすると怒るので、三吾は心の中でツッコんだ。当の聖はと言えば、珈琲を口へとそっと運んでいる。来た早々、忙しなく動いていた時とは打って代わって、今は一言も口をきかずに―怖いくらいに静かだ。
「聖?」
三吾が呼び掛けると、聖は三吾をチラッと見た。そして―。
「実は……」
と言ったあと、再び黙り、ポツリと口を開く。
「…やっぱり言いたない」
「はぁ?」
「言いたないねん!言うたらまた思い出して頭来るやろ?」
口を尖らせてプイッと顔だけ横を向く聖。膝を抱えた姿勢で背中を丸め、ただ珈琲を黙々と飲んでいる。
「まあ言いたくないなら別に良いけど…」
何故いつも自分だけ聖に振り回されるのであろう。もはや貧乏くじとかそういう次元ではないような気がする。そんな三吾の頭に、前から聞こうと思っていたひとつの疑問が生じた。
「そう言えば前から聞きたかったんだけどよ…」
煙草に火を点けながら、三吾は抱えていた疑問を切り出した。
「ん?なんや?」
「いや、大したことじゃないんだけどよ…。例えばほらっ、お前って弓生と喧嘩したらよく俺ん所来るじゃねえか?でも昔とかはどうしてたんだ?いつの時代にも俺みたいなヤツがいるワケじゃねぇだろ?」
すると聖は、ん〜と小首を傾げながら答えた。
「…街をブラ付いたり映画見たりして時間潰してから帰るけど、夜になっても帰りずらい時とかは公園で野宿したこともあったな」
「マジかよ?」
「せやかてお前みたいなヤツ、そうそうおらんしな」
そう言うと聖はニッコリと微笑む。
それは褒めているのだろうか、それともけなしているのだろうか。
「あっ、でもそう言えば昔もおったわ!」
「へぇ〜…」
「早臣っちゅうヤツなんやけど、桐子が当主になりたての頃やったかいな…」
聖は懐かしそうに微笑みながら目を細めた。
******
「なんだい?また来たのか」
そんな声に迎えられながら、聖は家主に断りもなく、縁側にドカッと腰を掛ける。
「…ユミちゃんとケンカした」
一言だけ簡潔にそう述べると聖は頬を膨らませる。早臣はそんな聖をチラッと見ると、カリカリと頭を掻いた。
「まあ理由は聞くつもりは無いが…。丁度今、夕飯の支度に掛かろうとしていたんだ。悪いけど茶なら勝手に飲んでくれ」
その言葉に聖は身体ごと振り返り、早臣を見つめる。
「メシの支度しとったんか?そりゃ悪いことしたなぁ…」
「別に構わんさ」
そう言って台所に立つ早臣を見て、聖はそう言えば…と思い出した。
「そういやお前料理下手やなかったか?」
「そうか?」
「そうやで?確かユミちゃんと大差なかったわ!」
―まあ下手は下手なりに台所に立とうとする努力だけは、あの鬼よりましか…。
そんなことを考えながら聖は勢いよく立ち上がり、部屋へと上がる。
「よぉ〜し!オレが作ったるから、お前が茶でも飲んどれ」
相手の答えも聞かずに聖はそそくさと台所に立つと、小気味よくトントンと包丁を滑らせる。邪魔だというように追い立てられた早臣は、居間に上がり湯呑みを2つ取り出す。そして茶を口に含みながら、テンポよく食事の支度をしている聖の後ろ姿を見つめる。鼻歌混じりで火の調節をしたり、煮物の味を見たりしている聖の後ろ姿を―。
「…そうしていると、なんかまるで―」
「ん、なんや?なんかゆうたか?」
「いや、なんでもない」
早臣はその後の言葉を、茶と一緒に飲み込んだ。
それからしばらくして―。
「よし!これでバッチリや。早臣、出来たで?あとは食う時にちゃんと温めるんやで?」
「ああ、ありがとう。助かった。礼というほどではないが、よかったらこっちに来て茶でも飲まないか?貰い物だが饅頭がある」
「饅頭か?」
聖は顔をパアッと輝かせる。酒にも目がないが、甘いものにも目がない聖。差し出された饅頭を嬉しそうに満面の笑みで見つめる。
「旨そうやな〜、オレ、腹減っとったんや…」
「今熱い茶を煎れ直すから先に食べててくれ」
「ほな、遠慮無く」
笑顔でパクつく聖。
「旨!めっちゃ旨いやん」
「そうか?」
「どこの店のやろ?ユミちゃんにお土産に買うていこかな?」
満足げに饅頭を頬張りながら、包み紙に書いてある店名を見続ける聖の横に熱い茶の入った湯呑みを置き、早臣は聖の傍らに腰を下ろした。
「その店ならこの近所だ。…教えるからなんなら帰りに寄るといい」
うん、頼むわ―と言いながら、最後の一口をポイッと口の中に放り込む。
「実はな、さっき煮物作っとったら腹減ってきて味見でちょっと食うてもうたんや…」
自白したんやから無実やろ?などと自分で解決している聖を見て、早臣は小さく笑う。因みにこの場合の聖が言うところの“ちょっと”は、普通の人の一人前とは思っていない。
「…なら食ってくか?」
「いや、ええ。ユミちゃんが待っとると思うし」
「…喧嘩してたんじゃないのか?」
「ん〜…そうなんやけど。けどユミちゃん腹減らしてるかもしれんし…」
それに―と聖は言葉を続ける。
「オレがユミちゃんに会いたなってしもたし…」
照れるように笑う聖。
「あんた、良い奥さんだな」
突然の言葉に、聖は口に含んでいた茶を危うく吹き出しそうになる。それから目を丸くさせ、焦りながら否定の意味の手を振る。
「アホか!お前なに言うてんねんっ!」
「おや?隠しているつもりだったのかい?あの相棒とは良い仲なんだろう?」
「あっ、いや…その……」
度盛りながら慌てて手を振り、それから上目遣いでチラッと早臣を見る。
「…やっぱ変やろ?」
「何故?」
「何故って…。せやかて、その……男同士やし」
「別にそんなの構わないんじゃないのかな?好きになるのに男とか女とか関係ない。…例え世間が何と言おうと関係ないと俺は思う」
その言葉に聖は一気に満面の笑みになる。
「早臣。…おおきに、ほんまにおおきにな!そかそか、なんや嬉しいな…」
一気に上機嫌になる聖。そしてフワリとした満面の笑みを保ちながら早臣を見つめる。
「お前ええヤツやな」
「そうか?余り言われた事はないな」
「大丈夫や!お前はええヤツや。オレが保証したるわ!」
なにが大丈夫なのだか、何故だかそこでドンッと胸を張る聖を見てフッと微笑む早臣。
そして満面の笑みで見つめている聖の頬にそっと触れた。―と同時に真面目な表情で近付いてくる早臣を見て、聖はきょとんとする。
「…早臣?」
呟くように名を呼ばれ、早臣はハッと我に返った。そして―。
「餡子…、ついてたぞ?」
「ほんまか?おおきにな」
早臣の手の中の餡子を見せられ、再び満面の笑みで聖は礼を言った。
その時、風に乗って豆腐屋のラッパの音が聞こえてきた。
「あっ!せや。御礼にもう一品作ったる」
「いいよ、あれだけあれば充分だ」
「遠慮すなて。煮物で使うた人参と蒟蒻が少し残ったから…。よし!白和えにでもするか。お前白和え好きか?」
「好きとか嫌いとか考えたことはないな」
「なんや、煮え切らんやっちゃ。…まあええわ。オレの白和えは他とは違うねん、ユミちゃんも好きなんや!旨いで?」
「へぇ〜、他とは違うのか…」
「おぅ!なんたって隠し味がポイントなんや」
「一体なにを入れるんだい?」
「アホか!それ言うてしもたら隠してないやんか?こっそりバレんように入れるから隠し味なんや」
―微妙に捉え方が違うが、聖はこれで至って真面目である。
「成る程。そう言うものか」
「そういうもんや」
うんうん―と満足げに頷く聖。
「あっ、せや!ようけ作るからオレも持って帰ってもええか?」
「ああ、ついでに煮物も持っていけばいい…。あんなに沢山あったら食うのに3日は掛かる」
「ええのか?ほんまのこというと助かるわ」
―実を言うと、帰ってから夕飯の支度をしたら何時に食事にありつけるか分からないので、正直本気で助かる。
「ほんまおおきにな!ほな、ちょっと豆腐買うてくるわ」
桶を手に、どたばたと慌ただしく去っていく鬼を見送ってから、早臣は小さく微笑んだ。
******
「へぇ〜…じゃあ昔も居たんだ?お前に振り回される運のないヤツ」
「なんやその言い方。失敬なヤツやな」
「…で?そいつはどうしたんだ?今も健在なのか?」
―(まあ神島桐子が当主になりたてって言ったらかなり前だしな。生きてるとしても年だよな)
三吾の問いに、聖は手にしているカップへと視線を落とす。
「いや、もうこの世にはおらん」
「死んだのか?」
とは言うものの、普通に人生を送り普通に亡くなったんだろうなと思っていた三吾だが、聖の次の言葉に思わず言葉を失った。
「殺されたんや。そのあとすぐに」
「殺され…」
驚いたように三吾は聖の顔を見つめ、それからカリカリと頭を掻いた。
「悪い。…変なこと聞いた」
「別にええよ、気にするなや」
そう言いながらも寂しげに微笑む聖が急にほっておけなくなって…。
気が付いたら思わず聖の頬に触れようとしていた。
「…三吾?」
呟くように名を呼ばれ、ハッとした三吾は頬に触れようとしていた手を止めた。
そしてその手を握り締め、それから子供を宥めるように聖の頭をポンポンっと優しく叩いた。
「元気出せ」
「オレはいつも元気やで?せやけど、心配してくれておおきにな」
フワリと笑顔で三吾に頷いてみせてから、聖は立ち上がり、んーっと伸びをした。
「さて…と。そろそろ帰るわ」
「もう帰るのか?つぅか喧嘩してたんじゃないのか?」
「ん〜…そうなんやけど。けど、干してきた布団も気になるし、昼メシしか作って来てへんからユミちゃん腹減らしてるかもしれんし…」
それに―と聖は言葉を続ける。
「オレがユミちゃんに会いたなってしもたし…」
照れるように笑う聖。
―(あれ?せやけど、今の台詞…どっかで聞いたことあるような……ま、えっか!)
簡潔に答えを出し、聖は靴を履き始めた。
「車で送ってやろうか?」
「大丈夫や。途中で晩メシの材料も買わなあかんしな。…それより布団取り込むの忘れるなや?」
「ああ、分かってるよ」
「ほなな」
嵐のように現れて嵐のように去っていく鬼を見送ってから、三吾は小さく微笑んだ。
******
「ただいまぁ…」
両手一杯の荷物をガサガサしながらリビングに入ると、ソファで弓生が本を読んでいた。そして聖に気付くと本を閉じ、立ち上がった。
「ああ、…お帰り」
聖を見つめ小さく微笑すると、ホッとしたように聖も微笑む。それから弾かれるようにベランダを振り返る。
「せや!布団取り込まんとっ!」
「それなら取り込んでおいた」
「ほんまに?」
「ああ。ついでに洗濯物も取り込んで置いた。畳むのはこれからだが…。畳み方がよく分からん」
「それはオレがやるけど…。でもなんで?」
―家事は滅多にやらないのに、珍しいこともあるもんだ。
「特に理由はない。…ただ当たり前のようにお前に家事を任せているからな」
「そんなんオレが好きでやっとるからええのに。…せやけど、おおきにな。急に曇って来たから気になっとったんや」
満面の笑みで弓生を見つめる。そしてそそくさと洗濯物を畳み始める。
「せや!今日な?三吾と話しとったら早臣のこと思い出してん」
「早臣…?それは随分懐かしいな」
「せやろ?オレも話しとってめちゃめちゃ懐かしかったわ。…アイツええヤツやったしな」
弓生に背中を向けたままなので、聖が今どんな表情をしているかは分からない。だが、こんな時の聖の表情は容易に想像が付く。弓生は子供を宥めるように聖の頭をポンポンっと優しく叩いた。
「それが畳み終わったらメシでも食いに行くか?」
「えっ!?せやけど晩メシの材料、買うて来てしもたし…」
「それは明日に廻せば良いだろう…。どれ、手伝おう」
そう言いながら聖の真向かいに座り、洗濯物を手に取る弓生。そして聖をお手本にしながら弓生も畳み始める。そんな仕草を目にしながら、聖はそっと瞳を閉じた。
「ユミちゃん…。オレな、ユミちゃんに会いたかった」
噛み締めるように呟きながら、それからそっと再び瞳を開く。
「聖?」
「会いたかったから帰って来たんや」
フワリとした笑顔で繰り返す聖の言葉に、弓生は静かに微笑む。そして―。
「俺も…」
「ん?」
「俺もお前に会いたかった。…帰って来てくれてありがとう」
「ユミちゃん…」
その言葉に聖はこの上無く幸せそうに微笑んだのだった。
〜終〜
|