―失敗してしもたな………
鬼同丸の視線はうっすらと入る日の光を見つめていた。
仰向けのままの状態で、手を動かそうにも、指を動かすだけで激痛が全身を駆け巡った。
「っつ………」
―あかん…どないしょ
反省しても時、既に遅しで―その内意識も遠のいていく。痛みで呼吸すらままならない。
なんとか意識だけでも取り戻そうと必死で頭を振ろうとするが、痛みで全く力が入らない。
―心配してるやろな
脳内を過ぎったのは、喜怒哀楽の表情を全く変えない、鬼。
鬼同丸の相棒―。
そしてこの世にたったひとりの大切な―。
―かんにん…高遠
気力でのみ掴んでいた意識を手放すと、それっきり、鬼同丸の意識は一気に深い闇へと落ちていった。
* * * * * * * *
パチパチッと枯れ木が燃える音がした。
その音に導かれるように鬼同丸はゆっくり瞳を開くと、そのままのろのろと首を動かす。
痛みはまだかなり残ってはいたが、先程までの動かせないほどではなくなった。
そしてその視線の先には―。
「高…遠」
掠れる声で呟くと、呼ばれた本人は弄っていた木の枝を焚き火の中へと放り込み、近くに寄ってきた。そして鬼同丸の横に片膝を突くと、心配そうに顔を覗かせた。
「具合はどうだ?」
「具合?……オレ一体」
「それはこっちが聞きたい」
「高遠…」
「朝起きたらお前が居ないし、いくら待っても戻ってこないから心配したんだぞ?散々探し回って見付けた時、お前は崖下にいた」
「崖?」
「そうだ。一体何があったんだ?」
「崖ってことは…オレ、落ちたんか?」
「自分から好んで落ちるヤツはいないから、普通はそうだろうな」
冷たく言われ、鬼同丸は必死でその時の記憶を辿ってみた。
* * * * * * * *
事の発端は数日前に遡る。
高遠が夕食時、『そろそろ山菜の時期だな』とボソッと呟いた。
それは聞こえるか聞こえないかくらいの呟きだったが、鬼同丸には届いていた。なんせ山菜は高遠の好物のひとつだ。
鬼同丸は高遠の喜ぶ顔が見たくて、すぐにでも山菜を採りに行こうと考えた。だが、酷い雨が続き、なかなか行動を起こせなかった。
そしてようやく雨の上がったこの日―昨日の星空からすると、今日はよく晴れそうだ。
鬼同丸はまだ朝が明ける前に目を覚ますと、高遠を起こさぬようこっそり山菜を取りに来た。
そして沢山摘んで、さて帰ろうかと思ったとき辺り一帯は深い霧に覆われていて一寸先さえ見えない状態だった。しかも数日間降り続いた雨のせいで足元がぬかるんでいた。
だが、この辺の地理には慣れていることもあったし、なにより早く帰って高遠に山菜料理を作ってやりたかった。その一瞬の焦りが失敗したのだろう―。
気が付いたときには遅かった。
鬼同丸の身体は遙か彼方の崖下へと真っ逆様に落ちていった。
* * * * * * * *
「地形が変わってたんや…前はあんなとこに崖なんて無かったんに」
ボソッと呟いた後、鬼同丸はハッと目を見開き起き上がろうとした。―が。
「!!いっつっ……」
反射的に痛みの覚えた胸の辺りに手をやる。
「無理をするな…まだ骨にひびが入っているんだ」
「ひび…」
それで呼吸をするのが少し困難だったのだ。
「それに頭も強く打っている…しばらく安静にしていた方がいい」
高遠は再び静かに寝かせようとした。だが鬼同丸はそれどころではない。高遠の腕にすがりつき、必死で問いた。
「高遠…山菜…オレ、山菜持ってなかったか!?」
「山菜?」
「オレ、手に何か持ってなかったか!?」
「………これのことか?」
高遠は傍に置いてあった山菜を鬼同丸に渡した。
「せや!これやこれ!」
「崖下でお前を見付けた時、それだけはしっかり掴んでいた…。本当に馬鹿だな。そんなもののために落ちたのか?」
「そんなものってなんや!そないな言い方ないやろ!」
口を尖らせて文句を続けようとしたが、続けるのが何故だか躊躇われた。
それが何故だかは分からないが―。
なので直ぐに笑顔を繕うと、へらりと笑った。
「それに…大江山に居った時も、しょっちゅう崖から落ちてたし…」
まあさすがにあんな高さから落ちたのは初めてだったが、それは言わないことにした。
だが、高遠の表情は強張ったまま動かない。
「せやからこのくらいなんともない…」
「だったらあんな心配を掛けるな!馬鹿者!!」
突然、声を荒げる高遠。こんな感情を露わに見せる高遠は初めてである。
その迫力に圧倒され、何も言えなくなる鬼同丸。それどころかなんとなく高遠の瞳の奥が揺れている気がして―。
先ほど躊躇われた理由はこれだったのか―。
それが分かった途端、何故か急に悪いことをしてしまったような気がしてきた。
なので素直に謝る。
「……かんにん。かんにん…高遠。ほんまにかんにんや」
素直に何度も謝る鬼同丸。
「お前を崖下で見付けた時、どうしようかと思った…このまま目を覚まさないんじゃないかと思うと…怖かった」
「高遠…」
「謝るくらいなら、もう二度と無茶はするな、何処にも行くな、ずっと俺の傍に居ろ」
「高遠…」
「いいか?約束出来るか?」
「うん、分かった…」
高遠の真剣な表情に鬼同丸は素直に頷いてから、少し照れたような笑顔を高遠に向ける。
「約束するわ」
* * * * * * * *
それから二人、特に会話と言った会話をせず、枯れ木が焚き火に溶けていくパチパチと言う音を静かに聞いていた。
そして不意に口を開いたのは高遠の方だった。
「鬼同丸。腹…減らないか?」
「そういやごっつぅ減ったかも」
考えてみればずっと眠っていたので、しばらくなにも口にしていなかった。
「なら丁度良かった…。この前お前が作った芋の味噌汁が旨かったからそれを作ってみたが…どうだ?食うか?」
「味噌汁って…高遠が?」
「……ああ」
「ほんまに?」
「……ああ」
「ほんまのほんまに?」
「だからそうだと言っている」
「うわー…オレ、めちゃめちゃ嬉しい。ごっつぅ感激や〜」
崖下に落ちた自分を助けて看病してくれた上、味噌汁まで作ってくれた高遠に鬼同丸は満面の笑みで感激の気持ちを素直にぶつける。
「大したことじゃない…それにお前には借りがあったからな」
「借り?」
「晴明さまが亡くなられたあと、お前はずっと傍にいてくれた…。約束を守ってくれた…その借りを返しただけだ。いつか返そうとずっと思っていた」
「約束て、律儀なヤツやな?そんなんちっとも借りなんかやないけど…けどまあそこまで言うんならせっかくやし、返して貰うな?」
そして笑顔で、いただきますと元気良く叫ぶと、味噌汁を一口口に含む。
が、口に含んだ途端に顔をしかめて小首を傾けた。
「………ん?」
「…どうした?」
「え?いや、なんも…。………なあ、これ味噌汁か?」
「…さっきからそうだと言っているだろう」
怪訝そうな顔をしながら高遠も椀を手に取る。
「どうだ?旨いか?」
「え?あ、あぁ…まあそれなりに」
「はっきりしないヤツだ」
だが、大食漢なはずの鬼同丸の箸がちっとも進まない。
「なあ高遠…ひとつ聞いてもええ?」
「なんだ?」
「…味見とか、したんか?」
「いや?してないが、なぜだ?」
「…いや、別に。ちょっと聞いただけや」
「?相変わらずおかしなヤツだ」
はっきりしない態度なものだから、少し不機嫌そうに高遠も椀に口を付けた。
そして…。
「………」
普段は表情を微動だに変えないはずの高遠の眉が、ほんの少し歪んだ。
なので、鬼同丸は恐る恐る声を掛けた。
「た…高遠?」
高遠はなにも言わず椀を置いた。
「鬼同丸。これは旨かったか、まずかったか?おまえの意見を正直に言ってみろ」
「正直…にて、そんなん言うてもええの?」
「あぁ…俺に気を使わず言え」
「なら……まずかった」
気を使ったのか、一応一拍置いてから答えると、高遠はふぅ…と息を吐いた。
「他には?思ってることを全部言え」
言っていいのかなと思いつつ、鬼同丸は言葉を続けた。
「…この世の物とは思えん。傷が悪化しそうや」
「………それは言い過ぎだ」
「かんにん!…怒ったか?」
恐る恐る高遠を見るが、高遠の口元が緩んでいる。
「いや、怒ってなどいない。正直に言ってくれて感謝する。確かにこの世の物とは思えんな」
「高遠?」
「だが変だな…いつもお前が作るようにしたのだが」
「もしかして高遠、メシ作るの初めて…とか?」
「あぁ」
「意外や…高遠でも苦手なもんがあるんやな…?」
「いつもお前が作ってくれてたからな…お前のは旨い」
「それはおおきに。オレは大江山におった頃は順番に作っとったから慣れとるんやな、きっと」
「そうか…じゃあやはりこれからも料理はお前に任せるとするか」
「うん、ええよ!任せとき!いっつも飛びっ切り旨いの作ってやるな?」
「それは楽しみだな…ならこれは…」
鬼同丸の手から椀を取り上げようと手を差し出す高遠。
だが、鬼同丸はその手を制止し、再び椀に口を付ける。
「無理するな。傷が悪化したらどうする」
「あれは冗談に決まっとるやろ?それに無理やない。せっかく高遠が作ってくれたんや…気持ちが嬉しかったんや…せやから最後まで食う」
その言葉に高遠はそっと笑みを贈る。それが嬉しくて鬼同丸は満面の笑みで微笑むのだった。
〜了〜 |