その日も聖は朝起きてリビングに入り暖房のスイッチを入れると、いつものように飾り付けてあるクリスマスツリーのスイッチを入れた。
するとツリーの彼方此方に付いている電飾がキラキラと光り輝き始める。そして天辺に付いている大きな星をツンッとつついてから聖は満足げにうんっと言うように頷いた。
それからクリスマスの曲を鼻歌混じりで口ずさみながらいそいそと朝食の用意をし始めた。―どうやら気分はかなりの上機嫌のようだ。
そう―今日は待ちに待ったクリスマスイブ。
部屋もだいぶ暖まり朝食の準備も整った頃、弓生が起きてきた。
「ユミちゃん、おはようさん」
「ああ、おはよう…今日は随分と早いな?」
いつものようにソファに腰掛け新聞を開いた弓生の前に珈琲を置き、自分もカップを手にしたまま隣へと腰掛ける。
「なあなあ、ユミちゃん知っとるか?」
「なにがだ?」
「今日はクリスマスイブや…知っとったか?」
「………」
弓生の表情が、知らない―と言うことを物語っている。予想通りの態度に聖はフウッと肩を竦めた。
「やっぱりなー…絶対に知らんと思ったわ」
ええけど別にー、とぼやく聖。
「それでな?ユミちゃんは普通の苺のヤツとブッシュドノエルどっちがええ?」
「意味も脈絡もないその質問の意図はなんだ?」
「なにて、クリスマスケーキに決まってるやん。普通の苺の乗った生クリームもええけど、ブッシュドノエルもクリスマスっぽいやんか?まあ甘さ控えたチョコレートケーキとかチーズケーキでもええねんけど、やっぱりせっかくのクリスマスやしな…ユミちゃん食いたいのを焼くから朝飯終わるまでには決めといてな?」
「………」
聖は頬杖を付きながら満面の笑みで微笑む。
「クリスマスはな、好きなヤツと一緒に過ごすもんなんやて…せやからオレご馳走い〜っぱい作るから楽しみにしといてや?せや!ユミちゃん今日は居るんやろ?」
「…せっかくで悪いが今日は仕事だ。だから俺の分は作らなくていい」
その言葉に聖は組んでいた頬杖を解き、新聞を読んでいる腕を押しのけ弓生の顔を覗き込む。
「ちょっ…待てや!仕事なんてオレ聞いてないわ!」
「今言っている」
「今日はイブやで?恋人同士にはごっつぅ大事な日なんやで?」
「前から言おうと思っていたのだが、お前は世の中の風習に染まりすぎている。俺達は使役鬼だということを忘れるな」
「なんや、それ!今は使役鬼とかはちぃとも関係ないやんか!」
「静かにしろ…それに邪魔で新聞が読めん」
邪魔だというように弓生はグイッと聖を押しのける。押しのけられた腕を一睨みしてから聖は立ち上がった。
「クッソー、ムカつくわ!ユミちゃんの阿呆!いっつもいっつもいっっっつもそうや!もう頭来た!こうなったら家出してやるからな!」
聖はそう言い放つと部屋へと戻った。
第一、宣言して家出する者など居るのだろうか…まあいつもの展開であることには違いない。
そのため弓生はなにも気に止めることもなく涼しい顔で珈琲を飲んでいる。
そしてその数分後―再び聖の部屋のドアが開かれた。手には大きな荷物を持って―。
「ほなユミちゃん、オレ今から家出するからな?止めても無駄やで?」
「誰も止めん」
「くっ!ほんまに止めるなら今やで?」
「…外は雪が降りそうだ。暖かい格好をしていけよ?」
そう言いながらブルゾンを手渡す。
「鍵はポストに入れて置くから気を付けろよ」
まるで買い物に行く聖を送るような口調だ―。
聖はわなわなと言うように身体の横に作った拳を握り締める。そして弓生の前に大きな音を立てて朝食を置く。
「ほな、さいなら」
聖は鞄を持つとバタリと大きな音を立ててドアを閉めた。
―が、家出するときもきちんと食事の用意をしていく良くできた妻の姿に弓生はそっと笑みを漏らした。
「あー、ムカつく!どうせ直ぐに帰ると思ってるんや!せやけど絶対帰らんからな!今回だけは絶っっっ対に謝っても帰ってやらん」
文句を垂れながら聖はいつものように三吾のアパートへとやって来た。そしてダンダンっと叩き壊すような音でノックする。―が、中からは何の返答もない。
聖は小首を傾げると、チャイムを鳴らした。―が、相変わらず中は静かだ。
「あれ〜?おーい三吾!ほんまに居らんのか〜?おーい!」
もう一度ダンダンとノックするが、本当に留守のようだ。
「なんやー!こないなときに居らんなんて使えんやっちゃ」
だが、新宿のいつもの場所にもいなかったため、絶対に此処だと思ったのに―当てが外れた聖は途方に暮れるようにその場にしゃがみ込んだ。
「あーもう…どないしょ」
遮るものがなにもないため、吹きっさらしの風が吹いている。
いくら寒いのには慣れている聖でも思わず身震いしてしまうほどの寒さだ。
取り敢えず何処か店にでも入って暖を取ろうと思い、ブルゾンのポケットの中を探ったが小銭しか入っていなかった。
どうやら怒りのまま飛び出してしまったため、財布を持つのを忘れてしまったらしい。―しかも考えてみたら朝食も食べずに出て来てしまったため空腹だった。
「帰ろかな…」
聖は無意識に呟いてから首を横に振った。
「なに言うてるんや、オレは!」
行く宛がないからと言ってもこのまま帰るのだけは癪だ―。
第一もしこのまま帰って弓生と鉢合わせでもしたら何を言われるか分からない。恐らく「随分早い家出だな」などと嫌味を言われるのは確実だ。
聖は思いを振り切るかのようにすっくと立ち上がった。
「せや!家出するて決めたんやんか!なに弱気になっとるんや、オレ!」
自分に言い聞かせるというより渇を入れるかのように聖は歩き始めた。
そして取り敢えずファーストフードの店に入った。
だが、何処の駅前にもファーストフードはあるのだろうが、思わずマンションのある駅前の店にしてしまう辺りが情けなくもあるが、取り敢えず聖はハンバーガーとポテトを買えるだけ買うと窓際の席へ座った。
目に映るのはクリスマス色の街並みと楽しげに歩く人々―
そんな景色を窓から見ながら機械的に黙々とポテトやハンバーガーを口に運んでいた聖だが、不意にその手が止まる。
そしてただそのままその景色を眺めていた。
一時間ほど時間を潰しただろうか―すっかり冷め切った珈琲を飲み干してから、聖はフウッと息を吐き小さく呟いた。
「……やっぱもう帰ろ」
仕方なくマンションに戻ってきた聖。ポストには弓生の言った通り鍵が入っていた。
その鍵を使い部屋へと入ると、既に弓生は居なかった。
ひとりだと昼飯さえ作る気がせず、聖は適当に頼んだ宅配ピザをつまみにビールをかっこんだ。
テレビからはこの時期特有の特別番組がやっているが特に見るわけでもなく、聖は愛用のクッションを抱き抱えながら、ただ、ボーっとテレビの画面を見つめる。
「なんや…寂しいなあ」
カリカリと人差し指で頭を掻いてから、ドッという笑い声の聞こえるテレビを消し、聖はゴロンとソファに寝転がった。
それからしばらくして弓生が帰ってきた。
リビングに入ると、不貞寝続行中なのか―。聖がソファですやすやと眠っていた。弓生は着替えるために一端部屋へと戻り、再びリビングへと戻ってきたが聖は起きる気配がなかった。
取り敢えずブランケットを掛けてやり、ビールを取り出そうと冷蔵庫を開けた―。
すると中には下拵えの終わった様子の様々な料理が入っていた。
―オレご馳走い〜っぱい作るから楽しみにしといてや?
今朝、笑顔で言っていた聖の言葉が頭をよぎり、思わず弓生は振り返った。
―(もしかして今日、いつもより早く起きたのは、この準備をするためだったのか)
弓生は複雑な思いで冷蔵庫を静かに閉めると、聖の傍らまで来ると寝顔に語り掛けた。
「今日はすまなかったな」
そして起こさないようにそっと聖の髪の毛を掻き上げる―。すると、聖がもぞもぞと動いた。
「なんや、ユミちゃんやんか…あー!しもた、寝てしもたんか」
「すまん。起こしてしまったか」
「別にええよ。それよか早かったやないか」
「ああ。“クリスマスは好きな人と過ごすもの”…そう言ったのはお前だろう?」
「………」
「だから早く終わらせて帰ってきた」
「ユミちゃんっ、今のほんまか?」
思いがけない弓生の台詞に聖の目がまん丸くなる。
「どうした?なにを驚いている」
「せやかてユミちゃんがそないなこと言うなんて、なんやビックリしてしもて…」
「馬鹿なことを…それより一緒に祝おうと思ってシャンパンを買って来た。…どうする?呑むか?」
「うん、当たり前やないか」
笑顔で起き上がり、テーブルの上に置いてあるシャンパンボトルを見て聖は再び目を丸くした。
「ユっ、ユミちゃん!これってドンペリやないか?ごっつぅ高かったやろ?」
「別に構わん…せっかくの祝いだからな」
その言葉に聖は嬉しそうに微笑んだ―だが、その雰囲気を壊すかのようにくしゅん…とくしゃみをする。
「大丈夫か?風邪でも引いたんじゃないか?」
「平気や」
「そんな薄着で、しかもなにも掛けないで寝てるからだ」
「しゃーないやろ?リビング暖かかったし、ついウトウトしてしもたんや…寝るつもりなんかなかったんやけどな」
ふぁ〜と大欠伸をひとつかましてから聖は微笑んだ。
「ユミちゃん、おおきにな?オレ、ごっつぅ嬉しい!」
「なにがだ?」
「なにて、ドンペリ買うて来てくれたことや…ううん、ドンペリやなくても一緒に祝おうって言うてくれたことが何より嬉しいんや」
「…そうか」
素直な聖の言葉に弓生はそっと目を伏せて微笑んだ。
「あっ!せや、メシ食ったか?」
「ああ…お前には悪いが済ませて来てしまった」
「ええよ、気にせんでも…ほな、つまみでも作ろうか?」
「いや、それでいい」
弓生が指したのは聖のヤケ食いのピザの残り。
「えっ!?これでええんか?」
「ああ」
「ほな温めて来るから、ちょい待ってて」
だが弓生は、笑顔で立ち上がろうとする聖の腕を掴むと、再びソファへと戻した。そしてそのまま押し倒す。
「ユミちゃん?どないしたんや?」
「暖めるなら俺が暖めてやる」
「ユミちゃんっ、温めるもんが違っ…んんっ」
「黙っていろ」
深く口付けられた後、素早く衣服を脱ぎ取られ露わになる聖の身体。そこに這う弓生の口唇と舌。
「あっ…ユミちゃ…」
聖の声が甘い声へと変わるのも時間の問題だった―。
「あっ!ユミちゃん」
愛撫している動きを止め弓生が怪訝そうに眉を顰める。
「…また待ったを掛ける気か?」
「ちゃうねん!ほら、外見てみい」
「…外?」
聖に促され、弓生は聖の裸体から窓へと視線を移す。
するとそこから見えたのは―
「………」
「雪やな」
「そうだな」
「朝から冷えると思うたら、やっぱり降って来たな」
「……ああ」
「綺麗やな」
「……ああ」
「ホワイトクリスマスなんて、なんやロマンチックやな」
その言葉に弓生は口の端を上げ微笑む。
「…お前の口からそんな言葉が出るとはな」
馬鹿にしたような口調に、聖はムッと口唇を尖らせた。
「ええやんかー!オレかてたまには言いたなるわ」
ユミちゃんの意地悪ーと益々口唇を尖らせる聖だったが、弓生からの口付けで機嫌は直ぐに収まる。
「…寒くないか?」
「平気や…ユミちゃんが居るから」
聖がフワリと微笑む。そんな聖が愛おしくて―弓生は包み込むように抱き締めると、もう一度深い口付けを落とした。
「あっ!そう言えばまだ言うてへんかった」
「…なにをだ?」
「メリークリスマス…ユミちゃん」
「聖……」
「来年もそのまた来年もそのまた来年も、ずっとずーっと一緒に居ろうな?いや、傍に居ってな?オレも居るから」
「…ああ」
眩しい笑顔を受けながら弓生はそっと瞳を伏せた。
その言葉はいつも聖が言う言葉―
だが、その言の葉は一筋の陽光となって弓生の心に深く染み渡る。
愛しい者が傍に居る幸せ―
愛しい者の傍に居られる幸せ―
弓生は聖を抱き寄せながら耳元で優しく囁いた。
「メリークリスマス」
〜終〜
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