天気の良い昼下がり―。
聖と待ち合わせをしていた弓生は喫茶店へと急いだ。
―が、待ち合わせた喫茶店に聖の姿は無かった。少々遅れたかと思い腕時計を見たが、考えてみたら遅れたくらいで聖が帰るわけがない。
―と言うわけで店の外に出て見渡すと、喫茶店の向かいにある店頭にしゃがみ込み、何やら真剣に物色していた聖の姿があった。
「何してるんだ?」
突然頭上から降ってきた声に、聖は上を向いた。
「あっ!ユミちゃん」
声の主を改めて確信し、聖は満面の笑みで見つめた。
「どないしたん?」
「それはこっちの台詞だ…待ち合わせた店に居ないからどうしたのかと思った」
えっ?と言うような表情をし、弓生の腕時計で現在の時間を確認した聖は跋の悪そうな顔をした。
「もうそんな時間か?かんにんな…」
早く来すぎたから時間を潰そうと目に付いた店に入ったはいいが、そこで見入ってしまった―というのが聖の言い分であった。
「ところで何を見ていたんだ?」
「ああ、これやこれ」
そう言って聖が見せたのは―携帯電話だった。
「…欲しいのか?」
「まあ、そらな。街歩いとってユミちゃんに連絡せなあかんときとかたまにあるやろ?せやけど最近は携帯が主流やから公衆電話探すんにも一苦労や」
「俺に連絡?そんなに急いでする連絡などあるか?」
「あるわい!例えば…今日の晩メシ何がええ?とか、肉と魚どっちがええ?とかめちゃめちゃ大事なことがあるやんか」
「……それほど必要性があるとは思わんがな」
弓生はフウッと溜息を漏らした。
「だが確かに俺もお前に連絡取らなければならん時もあるしな…とにかくお前は留守が多いから」
そう言えば聖が掴まらない場合に三吾の携帯に掛けると、大抵その傍に聖が居ることが多い。旦那としてみれば妻の浮気心が全くゼロにしろ、よくよく考えてみれば余り面白くない。
だが、携帯があろうがなかろうが、聖が三吾の所に遊びに行く比率には全く関係ないとも分かっているものの、直に聖に通じたいとも思うわけで…
「分かった。いいだろう…買ってやる.。一日早いが誕生日祝いだ」
その言葉に聖は心底驚いた様子で弓生を見返した。
「えっ!?誕生日て…ユミちゃん、オレの誕生日を覚えててくれたんか?」
「ああ。どれでも好きなものを買え」
「ほんまにええの?ユミちゃんどないしたんや?えらい優しいやんか?どっか具合でも悪いんか?」
聖はいつもの弓生とは違う反応に目を丸くしながら驚き、慌てて額に手を当てて熱を計ったりしている。だが弓生としては、聖の欲しい物を買ってやるだけで、ここまで言われたくはない―と言うように眉を顰めた。
「どうなんだ?買うのか買わんのか?」
「買う買う!買わせて貰いますっ!!」
相棒が不機嫌になりそうだったので、聖は慌てて頷いた。
「どれにしよーかな?」
「どれでもいい。早く選べ…」
「どれでもようないわ!せっかく買うんならちゃんと選びたいやんか!」
聖はそう言い放つと、次々に携帯を手に取り再び真剣に選び始める。弓生はチラッと聖を見据えてから向かいにある―待ち合わせの喫茶店を見た。
「じゃあ俺は先に喫茶店にいるから―」
「いやや、置いていかんといて!直ぐ選ぶから―な?」
弓生を見上げてから手を顔の前に持ってきて笑顔でお願い―のポーズをされ、弓生は心の中で溜息を漏らした。―正直、それには弱い。
「分かった。待っててやるから…早く選べ」
「おおきに。ちゃっちゃと選ぶからな」
笑顔で頷くと、再び携帯を選び始めた。
「どれがええと思う?ユミちゃん」
答えが返ってこないと分かっていながらも質問を投げ掛ける聖。
「せっかくやから、ユミちゃんと同じ電話会社がええな…。ほら、家族割りってあるやろ?」
深い意味は無いのだが、その言葉を、その姿を、愛しい―と思いながら弓生は見つめ続けた。
そしてその翌日。
いつもの定位置で、三吾はしみじみと缶ビールを口に含む。
「いや〜、あいつが来ないと静かで平和だね〜」
御景の次期当主は空になった缶を椅子の横に置くと、机の上に足を投げ出し、空に向けてのんびりと欠伸をした。この態度からすると、仕事をする気は全くないらしい。そんな三吾の上にヌッと顔が出て来た。
「うわっ!ビックリした…なんだよお前!いきなし涌いて出てくんなよ!」
「オレはボウフラかい!それよりお前こそなにボーっとしとんねん?そんな態度やと客も逃げてまうで?」
うっ―と三吾は息を呑む。当たっているだけに返す言葉がない。
「うるせぇな、今は休憩中なんだよ!」
行儀悪いと指摘された足を机から下ろし、三吾は跋が悪そうにカリカリと頭を掻いた。
「なんや、長い休憩時間やな…まあええわ、これ差し入れや」
手渡されたのはギンギンに冷えた缶ビール。
「おっ、気が利くじゃねぇか!んじゃ早速…」
プシッと軽快な音を立てて三吾がプルトップを開け、一気に流し込む。
「かあぁ〜!旨いねぇ!」
「そら良かったわ!」
ニンマリと笑いながら聖は目の前の客用の椅子に腰掛け、同じようにプルトップを開けて中のビールを流し込む。
「そういやなんか用なんじゃねぇか?」
「せや三吾!お前、あれ売ってるとこ知らんか?」
「…あれ?」
「せや、紐にキーホルダーとか付いとってブラブラする…なんて言ったっけ?ほら!」
「なんでいきなり連想ゲームなんかしなきゃなんねんだ?」
「ええから、ほらっ!なんやっけ」
「…他にヒントはねぇのかよ?」
「ん〜、そや!携帯に付けるヤツや!」
―(それを最初に言えよな)
と、三吾は心の中でツッコミを入れる。
「ストラップのことか?」
「そう、それや!それって何処に売っとる?」
「そんなの何処でも売ってんよ…けどなんでだ?」
「なんでて、欲しいからに決まっとるやろ?」
「そりゃそうだろうけどよ…」
…と、一番重要なことに気付く。
「でもお前って携帯持ってねえんじゃないっけ?弓生にプレゼントか?」
その言葉にニンマリとし、ジーンズのポケットから、じゃぁ〜んと言いながら取り出し、三吾の目の前に携帯を差し出した。
「昨日までのオレとはちゃうで♪見てみぃ、これ!」
「どっ、どうしたんだよ、これ?しかも一番最新のだから結構高いぜ?」
「そうなんか?実はな、ユミちゃんがな買うてくれたんや」
嬉しそうに昨日の話をし出す聖。
「昨日一緒に買いに行ったんやけど、オレがどれにしよか悩んどったら、最後はユミちゃんが選んでくれたんや!」
満面の笑みでの報告が、嬉しさMAXを表している。
「はいはい、良かったな。でもストラップもついでに弓生と一緒に選べば良かったじゃねぇか」
「オレもほんまは昨日買いたかったんやけど、ユミちゃんが『もう帰ろう』ってゆうから諦めたんや。今日は今日で、ユミちゃんは朝から仕事で居らへんし…けどはよ欲しかったし」
―(成る程…だから俺の所に来たわけね)
三吾は立ち上がると店終いの支度を始めた。
「三吾?」
「仕方ねぇから付き合ってやんよ…どうせ今日はもう店閉めるつもりだったしよ…これの礼だ」
三吾は既に空になった缶を持ち上げた。
「それにお前、今日誕生日だろ?」
その言葉に聖は驚いたように目を見開いた。
「えっ!?覚えてたんか?」
「ああ…一応な」
「ほんまおおきにな、三吾」
満面の笑みで微笑まれ、思わず三吾は照れくさそうにカリカリと頭を掻いた。
そう―今日は聖の誕生日。
弓生が聖の誕生日を祝おうと言ってくれ、久し振りに外食の約束をしたのだった。
だが封じの仕事がいくつか入ったため、お互い手分けして片付けようと言うことになった。
「さてと…これでおーけーや」
三吾からプレゼントされたストラップを付けた携帯を大事そうにポケットに入れ、その場所を上からポンポンっと叩く。
「えっと、オレはひいふう…ふたつやったよな?」
聖は指折り数える。
「よっしゃー!ほな、ちゃっちゃと片付けてユミちゃんとデートやぁ」
携帯効果もあるのか、指折り数え、エネルギー満タン元気満タンの聖は飛び出して行った。
それから数時間後―
「よっしゃぁ〜!これでしまいと…ほんまちょこまか逃げるヤツやったなぁ。思うたより時間喰うてしもた」
エネルギー満タンの聖に恐れを為したのか、逃げ捲っていた怨霊をようやく掴まえて封じ、聖の本日の仕事はお終いである。
「腹減ったなぁ…さあ、メシやメシ♪そうや!ユミちゃんに終わったて電話しようかな〜♪やっぱり携帯って便利や〜♪」
足取り軽くご機嫌で歩いていた聖は出口付近まで来るとポケットから携帯を取りだした―いや、取り出そうとした。が―。
「ありゃ?変やなー?此処のポケットに入れといたはずやのに…あれ?こっちやったかいな?あっれ〜?」
あらゆるポケットと言うポケットに手を突っ込む聖。中からは小銭やらハンカチやら出てくるが、だが、肝心なものは見つからない。
「やばい…もしかして落としてしもたんか…」
不安げな表情で振り返る聖―辺りは外灯もなにもなく真っ暗だ。いくら鬼の目は人間よりも夜目が利くとは言え、ここまで真っ暗闇で背の丈ほど草木が生い茂っている中、小さい携帯を見つけるのは不可能に近い。―だが、それでも聖は諦めなかった。
「ユミちゃんが買うてくれたんや…意地でも探さな」
聖は怨霊を封じた場所へと再び突き進んでいった。草木を掻き分ける際に手を切ろうとも全く気にも止めずに聖は必死に携帯を探す。
だが、どんなに必死に探すが見つからない。一体今は何時だろう―携帯を落としてしまったため時間さえも分からず焦る聖。
けれども聖は諦めることなく携帯を探し続けた。
―だが、無情にも結局見つからなかった。
夜もすっかり暮れ、ガックリと肩を落としながら聖がマンションの玄関を開けると、そこには無言のまま弓生が立っていた。―こう言うときの弓生は静かにかなり怒っている。
「ユミちゃん…」
「………」
「た、ただいま…ユミちゃん」
「…今、何時だと思っている」
「えっと…何時?」
―聞いているのはこっちだと思いながら、弓生は聖に見えるように腕時計を傾けた。
「夜の11時半だ」
「…もうそないな時間やったんか?」
「ああ、もうそんな時間だ。それより今回の封じる相手はそんなに手こずる相手ではないと思ったが?」
「確かにそないな相手やなかったけど…」
「じゃあ何故こんなに遅くなった、何故連絡しなかった、何故約束の時間に来なかった」
「………かんにん」
「お前に何かあったのではと心配して何度も電話したんだぞ?しかも呼び出しているのに出ないから余計に心配したんだぞ?」
「………かんにん」
「まったくなんのための携帯だ…俺は下らないことに使うために買ってやったんじゃない」
「………かんにん」
「せっかく誕生日を祝ってやろうと思ったのに…。店はとっくにキャンセルした…しばらくそのままで反省してろ」
「………かんにん」
次々と責められる聖―だが、聖はなんの反論もせず、ただ謝罪の言葉を繰り替えるだけだった。
「………」
「かんにん…ほんま、かんにん…かんにん、ユミちゃん」
上擦った声で何度も謝罪する聖の姿に弓生も尋常じゃないと思い、俯いている聖の顔を覗き込んだ。するとそこには今にも零れ落ちそうな涙を懸命に堪えている様子の聖が居た。
「すまん…少し言いすぎた」
「ちゃうねん…オレが悪いんや…オレが」
「聖…なにかあったのか?」
先程までとは打って代わって優しい口調の弓生。聖の肩に手を乗せ、覗き込んだ。
「ユミちゃん…実はオレ、携帯落としてしもた」
「…まさか今までそれを探していたのか?」
うん、と聖は頷く。
「ユミちゃんが…せっかくユミちゃんが買うてくれたんに一生懸命探しても何処にもないんや…大事なもんやったのに落としてしもた自分がえらい情けない」
「気にするな…携帯ならまた買ってやる」
「そう言う問題やないんや…オレ…あの携帯がええ。ユミちゃんが誕生日プレゼントに買うてくれたあれが良かったんや」
「聖…」
弓生は聖の頭をポンッと叩くと、此処で待っていろ―と言い残しリビングへと向かった。そして戻って来た時には手にはBMWのキーを持っていた。
「ユミちゃん…?」
「何してる?探しに行くぞ」
「けどもう遅いし…えぇの?」
「ああ、行こう」
「うん!行こ」
弓生の言葉に聖は満面の笑みで頷いた。
再び聖が怨霊を封じたやってきた場所へとやってきた二人。
「確かにこう暗くてはお前の目でも分からんだろうな」
「せやろ?せめてもうちょいお月さんが出ててくれたら有り難かったのにな」
聖が文句をブーたれる通り、本日の月には雲が架かっていて月の光を当てには出来なかった。
「それで…どの辺りで落としたか検討はついているのか?」
「ん〜、あの辺の時はポケットに入っとったんは分かるんや…せやから、こっちかな…いや、こっちかもしれへん…やっぱこっちかも?とにかくちょこまか逃げるヤツでなー」
あっちやこっちやと言いながら色々な方向に指を指し示すものだから、弓生は呆れたように溜息を吐く。
「なら今から俺がお前の携帯を鳴らすから、お前は音だけに集中させていろ」
「うん、分かった」
弓生が慣れた手付きで携帯を操作する―そして聖は瞳を閉じて耳を澄ませる。身体全体の神経をその場所へ集中するかのように聖は研ぎ澄ませる。人間の耳には静寂な闇に時折聞こえる虫の声と言った状況だが、やはりここは鬼である。
しばらくして聖はそっと伏せていた瞼を開けた―そして。
「こっちや!こっちから聞こえてきた!」
「…そうか」
聖はその場所に向けて草木を掻き分けながら一目散に進んでいった―弓生はその後を静かに追う。―そして。
「あっ…た。あった、ユミちゃん!」
「そうか、良かったな」
「うん!おおきに、ほんまおおきにな!ユミちゃん」
「もう無くすなよ」
「うん!気ぃ付けるわ、もう絶対無くさへん」
聖が満面の笑みで頷くと、弓生は静かに微笑んだ。
それから二人で車に戻り、BMWは再び夜の闇を走り出した。
すると、車内で聖があっ、と声を漏らした。
「どうした?」
「ユミちゃん腹減らん?この時間やってる店とかあるやろか?ファミレスやったら開いてると思うけど…」
「今から寄るのは面倒だ…家でなんか食おう」
「ん〜、なんかあったかいな?」
小首を傾げる聖。
「あっ!あれやったらあるで?カップラーメン!」
カップラーメンを啜る弓生―余り想像したくない姿である。
「自分の誕生日にカップラーメンで済ませる気か?…他にはないのか?」
「他に?ん〜、せやなぁ…」
再び小首を傾げる聖―と、突然ポツリ、と呟くように言葉を紡いだ。
「なあユミちゃん?…今日はほんまにかんにんな?その…約束破ってしもて…」
「いいさ、また別の機会にしよう」
優しい口調に聖は、うん―と頷いた。
「せやけどオレ、ユミちゃんと一緒やったらレストランとかやのうても、カップラーメンでも充分や」
ふわりとした笑顔で見つめられ、弓生はそっと聖の肩を抱き寄せる。
「…そうだな」
だが、ボソッと付け加える。
「けど…インスタントだけは食わんぞ?」
その言葉に、あはは―と声を上げて笑う聖。
月に架かっていた雲がいつの間にか消えており、静かに光を差し始めたのだった。
それから数日後、いつものように三吾の商売の邪魔をしている聖。―と、三吾が机の上に置いてある携帯を掴む。
「あっ、やべぇ。充電がねぇや…聖、携帯貸してくんねぇ?」
「携帯?持ってへんけど」
「えっ?でもこの前買って貰ったって嬉しそうに自慢してたじゃねぇか」
「それやったら持っとるけど、家にある」
「…は?」
「ほら、オレて直ぐ無くすやろ?けど、あれはごっつぅ大事なんや…もう無くしたないんや。せやから家に置いてきた」
「聖…携帯って意味、知ってるか?携帯を携帯しないで何が携帯だ!」
呆れるように溜息を吐く三吾に聖は笑って見せた。
「携帯携帯てやかましいな。ええやんか、オレのやねんから自由やんか」
三吾の言うとおり、確かに外出するときに持ち歩かないのなら携帯の意味がない―だが、聖は満足げに笑った。
「それにあれはオレとユミちゃんの記念の携帯なんや」
二人の記念の携帯電話―その電話は今も二人の住処に大事そうに置いてあるのだった。
〜終〜
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