明日への架け橋






―(何故あんなことを口にしてしまったのだろう)


 高遠はそんな思いを抱きながら空を見上げた。
 場所は晴明の屋敷から少し離れた大通り―
 そこに自分を訪ねる客が来るから、そうしたらその者を屋敷へと案内して欲しいと命じられた。
 その者は直ぐに迷子になるからくれぐれも宜しく頼むよ―と晴明は笑いながら付け加えた。
 だが、客人とはどなたですか―との高遠の問いに晴明は、逢えば分かるよ―としか応じなかった。


―(…少し早すぎたか)


 けれども晴明の客ならば待たせるわけにはいかない。
 …と言うわけで少々早いが屋敷を出て、先程から客人を待っていた。―が、別段なにもすることがないので、ふと、あの鬼のことを思い出してみる。
 逢魔が辻で出逢ったあの鬼。
 鬼のくせに逢魔が辻に迷い込み、抜け出せなくなっていた何処か間の抜けた所のあるあの鬼。
 六波羅で再会したとき、仲間を助けたい―と憤っていたかと思ったら、次の瞬間に寂しげな表情をふと見せたあの鬼。
 そして自分に対しても邪気のない笑顔を見せたあの鬼。
 次々にコロコロと変わる表情―喜怒哀楽が目まぐるしく変化していたあの鬼。
 晴明のことをじーさんと呼んでいたあの鬼。


―(何故あんなことを言ってしまったのだろうか)


 高遠は再び最初の疑問に辿り着く。そう、六波羅での別れ際に発した言葉―。


「一人がイヤなら晴明様の元へ来い」


 あの時、晴明に頼まれたのは護符を渡すことだけだ―自分の所に来いなどと晴明が言ったわけでも伝えるように命じられたわけでもない。
 だがあの時は気が付いたら思わず口にしていた。
 孤独はイヤや―とポツリと寂しげに呟いたあの鬼に対し、高遠が自分の言葉で自分の思いを思わず口にしてしまったのだ。
 そう伝えた時の鬼の表情は見ていない―もしかしたら変に思ったかもしれない。
 まだたったの2回しか会っていない者に去り際に言われた言葉だけで、大江山を―仲間を簡単に捨てるはずがないのに―
 それどころかあの時の自分の言葉が、あの鬼の耳に届いたのかどうかさえ分からないのに―
 それでも――心の何処かであの鬼を待っている自分も確かに存在している。


―(期待は駄目だ。期待などしてはいけない)


 高遠はゆるゆると頭を振ってから、フウッと静かに息を吐いた。
 ふと我に返り、高遠は通りを見据え始めた。そろそろ晴明の言った客人が通りを通る頃だ。
 高遠は目を凝らしながら大通りを見据えた―すると、大通りの先から一人の若者が口笛を吹き、キョロキョロと辺りを見回しながら暢気に近付いてくる姿が目に入った。


「………っ!!!」

 その人物の正体を確信した途端、思わず高遠は息をするのを忘れていた。何故ならその人物は自分がよく知っている人物だったから―。
 今の今まで脳裏に焼き付いていた―あの人物。あの時の―あの鬼。


 一方その若者は、よく知る人物―高遠の姿を視界に捉えると、一目散に駆けてきた。
 自分よりも更に背の高くひときわ目立つその姿は遠目でも分かるほどだ。
 そして黙って立っているままの高遠の前に到着した。そして挨拶をするかの格好で片手を上げた。

「よっ!久し振りやなぁ〜」

 人懐っこい笑顔を見せ、片手を上げながらの暢気な物言い―それがその鬼の第一声だった。

「………」

 高遠は余りの驚きに言葉を失った。


―(もしかして晴明様の仰られた客人は…こいつのこと、なのか?)

 鬼同丸を見つめたまま、立ち尽くす高遠。

―(もしかして俺のあの言葉で、来たのか…来てくれたのか…)


 そんな思いの交錯する高遠を不思議そうに見つめながら、鬼同丸は屈託のない笑顔で話し掛けた。

「来たで?」

 その声で高遠は我に返り、そっと目を伏せた。

「……そのようだな」

「なんやぁ?その言い方!もっと他に言うことないんか?」

 子供のように口をヘの字に曲げて怒る鬼同丸だったが、まっ、ええわ―続けた。

「おおきにな?迎えに来てくれたんやろ?」

「…別にお前を迎えに来たわけではない」

「ふぅ〜ん、なら誰を待っとるんや?そいつそろそろ来るんか?ついでやからオレも一緒に待ったるわ」

 鬼同丸は振り返り、自分が来た方向を見据えてキョロキョロし始めた。

「……いや、その必要はない」

「…なんで?」

「待ち人ならもう来ている……お前だ」

「は?オレやったりオレやなかったり、お前わけ分からんわ」

 目を丸くしながらの鬼同丸の呆れた台詞。高遠は気にもせず再び鬼同丸を見つめた。

「…何故来た?」

 普通なら身構えてしまうような怖いくらいのぶっきらぼうな高遠の物言いにも臆することなく、鬼同丸はん〜っと考える。―そして答えた。

「なんでって…ヒマやったから遊びに、かな?」

 暇だったから―と高遠は口の中で繰り返す。
 すると鬼同丸は慌てて手を横に振った。

「ちゃうて!冗談や冗談、ホンマ冗談の通じんヤツやなー?」

「冗談だったのか?」

「せや。当たり前やろ?それにお前が言うたんやんか、一人になるのがイヤやったらじーさん所に来いって」

「…それで来たのか?」

「せや!」

 その鬼―鬼同丸は笑顔で頷いた。が、躊躇するような高遠の表情に鬼同丸の心に不安がよぎる。

「もしかして…あれは冗談やったとか?嘘やったんか?本気にしたらあかんかったんか?」

「そうではない、ただ…」

「ただ?」

「本当に来るとは思わなかった」

 率直な高遠の言葉に、そか―と鬼同丸は頷き、ホッと胸を撫で下ろした。

「良かったわー!あれは冗談で、『はよ帰れ』なんて言われたら参っとったわ〜!せっかく決意して山を降りたんに、のこのこ戻ったらカッコつかんしな」

 それから鬼同丸は高遠を見つめ、ニッと笑った。

「ならはよじーさん所連れてってくれや!大江山から走ってきたからちょいしんどいわ」

 大江山から走って来たはいいが迷って困っていた所で高遠に会い、これでようやく迷わずに辿り着けることにホッとした様子の鬼同丸は、暢気に欠伸をしながら踵を返した。

「ちょっと待て」

 そんな鬼同丸を、高遠は思わず呼び止めた。

「なんやぁ?」

 高遠の制止する言葉に暢気な答えが返ってきた。

「大江山の者には…言って来たのか?」

 だが、その言葉で鬼同丸の歩みがピタリと止まる。そして欠伸をしていたみるみる肩を落とし、振り返らずにポツリと答えた。

「言える訳ないやんか…言うたらアイツら止めるに決まっとる」

「………」

「そりゃアイツらとずっと一緒に居れるもんなら居りたかった…けど、アイツらとオレはちゃうねん。それはお前もよう分かっとるやろ?」

「………」

「いつかアイツらはオレを置いて先に逝ってまう…あのまま大江山に居ったらオレはそれこそ何十人もの仲間の死を看取らなあかん…」

 鬼同丸は一旦言葉を途切らせ、押し黙った。僅かしかない二人の空間を京の風が吹き抜ける。
 そして吹き抜ける京の風が、結わえている鬼同丸の髪を静かに揺らす。

「最初は平気かもしれん…けど、やっぱりその内に耐えられんようになる…」

 鬼同丸は振り返る―泣きたいのを堪えているかのような笑顔で振り返った。

「オレはそんな自分がイヤなんや、怖いんや…オレは臆病もんなんや。オレは…そんなに強うない」

 段々と声が上擦ってくる鬼同丸。
 掛けるべき言葉を失った高遠は、鬼同丸を見据えながらしばらく黙っていた。―が、ふと表情を少し緩め、そして、呟いた。

「…すまない、変なことを聞いた」

「ええよ、別に…けどなんでやろ?お前になら弱音が吐けるわ…不思議やな?」

 そう言って屈託無く笑った鬼同丸の表情からは、先ほどの泣きそうな表情は消えていた。

「全く…表情がコロコロと本当によく変わるものだ」

「ん?なんか言うたか?」

「…いや」

「けどお前が迎えに来てくれてえらい助かったわ!この辺似たような景色ばっかやし、あのままやったら迷うてじーさんの屋敷に辿り着けるか分からんかった」

 此処の通りに出るまでにもかなり迷うたしな、と付け加える。

「確かに。また逢魔が辻にでも迷い込むかもしれんしな」

「あ〜!そのことは言わんといてぇな」

 その件に触れられると恥ずかしいのか、一気に情けない声になる。

「そろそろ行くか?晴明様がお待ちだ」

「じーさんが?」

「…ああ。お前を案内するよう晴明様から頼まれた」

「へぇ〜、じーさんはオレが来ること分かっとったんか?」

「…ああ。この時間にお前が此処を通ることも迷っていたことも晴明様は御承知だ」

「迷ったは余計や!けどそら凄いな。よう分からんけど陰陽師ってみんなそない凄いんか?」

「晴明様だけは特別だ…行くぞ、酒呑童子」

 踵を返した高遠に、鬼同丸は慌てて着いて行こうとしたが、何か思い付いたかのように高遠の服を引っ張って歩みを止めた。

「ちょい待ち!」

「なんだ?」

「名前のことなんやけど…オレ、お前からはオレが人やった時の名で呼ばれたい気ぃがしてきたわ」

「人名で?」

「せや!別に酒呑童子でもええんやけど、それは大江山に居った時の鬼名やからな…それに」

 鬼同丸は高遠の前へと回り込み、微笑みながら言葉を続けた。

「オレは気に入ったヤツからは人ん時の名で呼ばれたい―今、急にそう思た」

「………」

「イヤか?イヤやったら別に酒呑童子でもええけど…」

「別に呼び名などなんでもいいだろう」

「ええなら人名でもええやろ?オレの名前はな―」

 自分の名前を言おうとした鬼同丸を無視するかのように、高遠は目の前の鬼同丸の横を通り過ぎた。

「あっ、ちょい待ち!まだ話は終わって…」

「下らない―晴明様を待たせる気か!早くしろ――鬼同丸」

「えっ……?」

 鬼同丸―と名を呼ばれ、一瞬驚いた鬼同丸だったが、次の瞬間嬉しそうに頷いた。

「うん!」

 そして親鳥を追う小鳥のように、既に足早に歩き出している高遠の後を追う。

「なあなあ?今、オレのこと『鬼同丸』って呼んだよな?」

「お前が呼べと言ったのだろう」

「っちゅうことはオレの名、知っとったんか?」

 なあなあ?と言うように、くいっと高遠の着物の裾を引っ張る鬼同丸。

「晴明様がそう呼んでいただろう」

「せやけどあん時じーさんがオレを呼んだんは1回だけやろ?それを覚えとってくれたんか?」

「単に記憶が良いだけだ」

 相手の態度がどんなに無愛想だとしても、鬼同丸は終始ご機嫌だ。

「なあなあ?せやったらお前の名前なんて言うんや?雷電は鬼名やろ?確かじーさんが呼んどったよな?高…なんやったっけ?」

 お菓子をせがむ子供のようにまとわりつく鬼同丸に、高遠は小さく溜息を吐きながら引っ張られている着物の裾を取り返した。

「高遠だ…俺の人名は土師高遠」

「ふぅん、土師高遠か―ほな、今日からオレもお前のこと、高遠って名前で呼んでもええか?」

「………」

 その言葉に高遠の歩みが止まる。急に目の前の人物が止まったものだから、思わず高遠の背中に鼻から追突してしまう鬼同丸。

「あだっ!急に止まるヤツが居るか!」

「………今、なんと言った?」

「急に止まるヤツが居るか?」

「違う!その前だ」

「ああ、せやった!名前や名前。…お前のこと高遠って呼んでもええか?」

「………」

「なあ、どうなんや?イヤか?」

「………別に構わん。好きに呼べ」

 ニコリともせず無愛想にそう呟くと、高遠は再び歩み始めた。
 そんな高遠を小走りで追い掛け横に並ぶと、鬼同丸は満面の笑みを向けた。

「ほな、好きに呼ばせて貰うわ…今日から宜しゅう頼むな!―高遠」

 冬の陽の光を浴びて、眩しいくらいに光り輝く鬼同丸の笑顔。
 そして二人はこれから過ごす幾年月へと向けて、共に歩き出したのだった。






〜了〜




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マイブーム続きの高遠×鬼同丸です(笑)
晴明さんの所に来ようとした鬼同丸は絶対に迷ったと思います!
京の都は似たような風景だしね。だから旦那が迎えに行かなきゃっ!(笑)
私の妄想の中では、高遠は既に鬼同丸へ気持ちが動き始めています。
自分じゃ全く気付かない、少〜し、ほんの少〜しですが。
そして鬼同丸は最初の頃は高遠にもポンポン物を言ってたと思います。
今は愛があるから、ポンポン言われる役目は三吾ですが(笑)


作:2005/08/06