「うわっ…チョコ臭ぇ」
リビングに入った途端、三吾が顔をしかめると、泡立て器を持ったままの聖がむーっと口を尖らせる。
「なら来んな、アホ!」
三吾の台詞に聖も思わず毒気吐く。
「冗談だよ、冗談…今日はバレンタインだからよ、此処もそうだろうと予想してたぜ」
ソファに置いてある聖愛用のクッションを退け、その場所にぽすんと腰掛けるとテーブルの上に置いてあるチョコに自然と目が行く。
「…これなんだ?」
「ああ、それな」
三吾を振り返り、泡立て器で差すように説明する。
「佐穂子からや…午前中にな来たんや。因みに一番右のがユミちゃんので、真ん中のがオレで、一番左の黄色いリボンのがお前にやて。どうせお前のことやから今日もオレらんちに来る思うて、ついでに渡してくれて預かったんや。佐穂子の予想大当たりや」
ニッコリと微笑む聖。
だが、普通目でどう見ても真ん中のチョコレートの箱が一番大きくて豪華である。
―(確かについでだな…俺も弓生も)
三吾は佐穂子からのチョコレートをコートのポケットに突っ込んでから、代わりに取り出した煙草に火を点ける。そしてフウッと紫煙を燻らせながらキッチンに立つ聖の姿を見つめた。
いそいそとケーキを焼く準備をしている聖の姿を―
「なぁ?」
「ん?なんや?あっ、珈琲やったら後で煎れたるから、悪いけどもうちょい待っとってくれるか?」
「いや、珈琲じゃなくてよ」
「ならなんや?さっさと言い?」
くるりと振り返り三吾を見据える聖。
「大したことじゃないけどよ、もしかして今年は手作りとか?」
テーブルの上の砕いたチョコを指さすと、あぁ…これのことか―と言いながら、聖はちっちっと人差し指を左右に振った。
「今年は―やない、毎年や!」
何故か威張って胸を張る聖に三吾は苦笑した。
そして忙しなく動いている聖にも珈琲を煎れてやろうとソファを立ち上がった。
「へぇ?ケーキか?」
ひょいと覗くと聖は微笑みながら首を縦に振った。
「せや!それに甘いの苦手やからビターチョコにするんや」
「へぇ?どれ?」
湯煎で溶かしたらしいボウルに入ったチョコを味見しようとしたとき、聖の声が飛んで来た。
「あっ、こら!何しとるんや」
「何って味見。俺好みに甘さ控えてくれたんだろ?」
「はぁ?誰がお前にやるゆうた?ユミちゃんのに決まっとるやろ?」
アホやなぁ〜とブツブツ呟く聖に、冗談なのに本気にするなよな…と三吾は苦笑した。
すると、聖はテーブルの上に置いてあるトリュフチョコレートを差した。
「腹減ったんならそれ食えや。ほんまは自分へのご褒美チョコのつもりで作ったんやけど、お前にも分けたるわ」
「へぇ〜…で、俺にはこのまま食えってか?包んだり…とかねえのかよ?」
「なんでわざわざラッピングせなならんのや…注文の多いヤツやで、ほんま」
そう言いながら戸棚から皿を出し、ガッと掴んだチョコを数粒無造作に置く。
「ほい」
「………随分な扱いだな」
「文句あるなら食わんでええ…オレは忙しいんや、今からケーキを焼かなあかんし」
「はいはい、頑張って下さいね〜…と」
変な調子を付けながら三吾はチョコを放り込む。一口に頬張るとチョコの甘い香りが口いっぱいに広がる。
けれどもしつこい甘さではなくさっぱりとした甘さの―
「へぇ…旨いじゃんか…」
三吾は残りのチョコも全て平らげたのだった。
そして夜―
綺麗にデコレーションもし、ラッピングも済ませたケーキをリビングのテーブルの上に置いて弓生の帰りを首を長くして待つ聖。そこに弓生が帰って来る。
「今帰った」
「お帰り〜、ユミちゃん!ちょい遅かったな?」
笑顔で出迎える聖。―が、弓生が手にしていた可愛くラッピングされているチョコに目敏く気付く聖。
「どないしたんや?そのチョコ…誰かに貰ったんか?」
気になった聖は恐る恐る聞いた。
だが、弓生は手にしたチョコに一瞬目をやるとフウッと息を吐いた。
「お前には関係ない…いちいちお前に説明する権利はないはずだ」
冷たく突き放すように言われ、その言葉に聖は傷付いた表情を見せる。
「それもそうや、いちいちオレに言う必要は無い…けどな」
聖はキュッと口唇を結んだ。
「けどユミちゃんそないな言い方ないやろ?大体ユミちゃんはいつもいつも言い方キツイんや!」
―(なんでこないなってまうんやろ…せっかくのバレンタインやのに)
そんな思いを抱きながら、聖は瞳にうっすらと溜まった涙をグイッと腕で拭いてから弓生を見つめた。
そしてここぞとばかりに日頃の不満をぶつける。
「オレいつも言おう思て我慢しとったけど、ユミちゃんがそないな冷たいこと言うならオレかて言わせて貰うわ!例えばメシや!帰りが遅うなって要らんときは早よ連絡してこんかい!いっつもユミちゃんの分も作ってユミちゃん帰るまで食わんで待ってるオレの気持ちも考えんかい!それから洗濯もんかてそうや!いっつもクリーニングに出すのと洗濯機で洗うもんと分けゆうてるのに守ったこと無いしな!それに休みの日にオレがどっか遊びに行きたいゆうても連れてってくれたことないしな!あとは……んんっ!」
次々と飛び出す聖の不満の言葉を途中で遮ったのは弓生のキスだった。
それでようやく部屋に静寂が流れる―
呼吸すらも封じられるような深い口付けの後、口唇を解放した弓生は耳元で囁いた。
「どうした?もう言いたいことは終わりか?」
すると聖は弓生の胸に顔を埋めて呟いた。
「ユミちゃんはずるいんや…いっつも最後はこないして誤魔化すんやから」
弓生の胸に顔を埋めたままの姿勢で毒気吐く聖。そして背中に手を回す。
「ユミちゃんの阿呆…っ」
そう呟くと弓生を見上げ、お返しとばかりに聖からも口付けをする。触れるだけのキスをしてから弓生の口唇を塞ぐと、弓生からもついばむようなキスをされ、その後にとろけるような深く甘いキス―そうしてしばらく口付けを交わした後、弓生は聖の髪を優しく撫でた。
そして―
「どうする?お前の部屋で続きをするか?」
そう聞かれ弓生の胸の中でコクリと頷く聖。
「えっ!?今なんて言うたんや?」
ベットの上で抱き合った直後の聖の台詞である。
毛布にくるまっている聖は、弓生の言葉に目をまん丸くさせながら、隣を振り返る。
弓生はフウッと紫煙を燻らせると、サイドテーブルに置いてある灰皿を引き寄せた。
「だからあのチョコレートは大滝彩乃から貰った。一造氏に用があって夕方成樹の家に行ったんだ。そうしたら彼女が持ってきた。いつも兄貴が世話になってる礼だそうだ」
言いながら灰皿の上に静かに灰を落とす。
「ついでに言えばお前と一緒に食ってくれとも言っていた」
サラリと言う弓生。そしてそれを聞いた聖は思わず起き上がる。
その反動でぱさりと毛布がずれ、露わになった上半身からは先ほど真新しく付けられた朱い痕が残っている。―が、そんなことに一切構わず聖はむーっと頬を膨らませる。
「せやったらなんでさっきオレには関係ないなんてゆうたんや!」
怒る聖を横目に、弓生は再びサラリと言う。
「嫉妬を妬くお前が見たかっただけだ…思った通り可愛い一面を見させて貰った」
その言葉に聖は顔を紅くする。恥ずかしいのと怒りと…色々な感情のこもった紅。
聖は頬を膨らませたまま、プイッと横を向く。
「やっぱユミちゃんは意地悪や…オレの反応見て面白がるなんてな」
そして再び弓生の方を振り返り、びしぃっと指を突き付ける。
「そないなことするからユミちゃんの人間性が時々疑われるんやで?気ぃ付けや?」
それから腕を組み、ん〜っと考え込むように唸る。
「…けど、そないなとこも好きなんやなぁ…なんでこんな意地悪なヤツ好きなんやろ」
そして顔を上げフワリと笑う。
「まっ、好きなんに理由なんてないからな」
コロコロと変わる表情に弓生はフッと微笑む。
「…ところでお前からは?あるなら食ってやるぞ?」
意地悪く微笑む弓生に聖は口を尖らせる。
「…そんな意地悪言うヤツにはやらん!全部オレが食ったるわい!」
拗ねる聖の額に口付ける弓生。次に口唇に―。そして再びベッドに押し倒す。
押し倒された聖は弓生からの口付けを受けながらボソッと呟く。
「…ユミちゃんの確信犯」
そしてフワリと笑ってから、パッと顔を明るくさせた。
「今年はな、ケーキを焼いたんや。ユミちゃん甘いの苦手やからビターチョコにしたんやで?…あとで一緒に食お?」
「あぁ、そうだな…じゃあこの後お前の気持ちと一緒に貰うとするか」
微笑んだ弓生から耳元で囁かれ、嬉しそうに笑う聖。
なんだかんだ言いつつ幸せなバレンタインを過ごすのであった。
〜終〜
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