今日は12月23日。そして明日は聖が待ちに待ったクリスマスイブ。
暖房に煙った部屋を換気しようと窓を開けると、冬独特の冷たい風が部屋の中へと入ってくる。
「今日も寒くなりそうやな…」
聖が呟くと、そこへ既に身支度の整った弓生が姿を現した。
「おはよー、ユミちゃん」
「あぁ」
「今すぐ朝メシ作るよって、ちょい待っててな?」
カーテンを束ねながら朗らかに問い掛けた聖だが、弓生の言葉に手が止まる。
「えっ、今日仕事なん?」
「そうだ」
「オレ、なんも聞いてへんけど?」
「たった今連絡が入った。俺ひとりで充分だからお前は留守番してろ」
「けど…明日は」
「明日がどうかしたのか?」
「いや、別に…」
千年生きてきて分かったことは、弓生はどうも世間の賑わいには無頓着である。
いつもクリスマスパーティを楽しみにしているのは聖だけである。だから弓生の辞書の中にはクリスマスという言葉は無いのかもしれない―
だが、極たまにで良いから弓生からクリスマスを祝って欲しいと思うのも心情であって…
「仕事やったらオレも行こうかなぁ…」
聖が何気なくボソッと言うと、弓生はフッと笑った。
「別に構わんが、今回の仕事はただの調査だぞ?」
「げっ!ホンマか?」
聖はげんなりと肩を落とす。
―調査。聖が最も苦手とする仕事である。理由はただ単に暴れられないから
「調査やったら『本家』の連中がやればええやん!なんでユミちゃんがやらなアカンねん」
「時期も時期だ。『本家』もなにかと忙しいんだろう」
「せやかてオレらも忙しいわ!」
「何かあったか?」
―(クリスマスパーティの準備に決まっとるやろ!)
…とはさすがの聖でもいくらなんでも言えずに黙りこくる。
弓生はフウッと小さく息を吐くと、俯いている聖の頭をポンッと優しく叩いた。
「明日なにがあるのかはよく分からんが、今夜中には戻る」
「ホンマか?ホンマに今日中には帰るか?」
「あぁ」
「ほな分かったわ!オレは留守番しとく」
―(パーティの準備せんならんからな♪)
聖はうん―と納得すると、ポンッと手を叩いた。
「ほな、オレ弁当作るな?どうせ外でメシ食う時間無いんやろ?」
「そうだな…」
「ほな、任しとき!飛びっ切り旨いんを作るな!」
腕捲りをし鼻歌混じりでキッチンへと消える聖。
そんな聖の後ろ姿を見つめ微笑むと、弓生は換気の終わった窓を閉めた。
そしてその日の真夜中過ぎのこと―。
「なんで?なんで帰れへんねん!」
普段はとっくに寝ているはずの聖が、受話器を片手に大声をあげている。相手は勿論弓生―まだ調査の現地にいるらしい。
『仕方ないだろう…思ったより時間が掛かるんだ』
「せやけど今日中には帰るて言うてたやん…約束したやん!」
『聖…我が儘を言うな』
受話器の向こうで溜息が聞こえ、聖はチクリと胸が痛む。
「なら…明日は?明日は帰るか?」
『恐らく無理だな…』
「そんなっ…!」
『じゃあもう切るぞ?お前も早く寝ろ』
「えっ、ちょい待ち!?ユミちゃん?ユミちゃぁん!!」
一方的に切られた受話器に聖は何度も何度も呼び掛けた。―が、それは虚しいだけだった。
「ホンマむかつくわ!絶っ対達彦の陰謀に違いないわ!」
翌日―つまりクリスマスイブ。ようやく街が目覚め始めた頃、聖は三吾の部屋に居た。
さすがにあの電話の後だと夜遅くて悪いと思ったのか、夜が明けてから押し掛けたのだろう。
だが、三吾に至っては迷惑この上ない。なんぜまだ朝の7時なのだから―。
三吾はまだ括ってない髪をぐしゃりと掻き混ぜると、これ見よがしに大欠伸をした。
「料理の下拵えも全部終わったんやで?チキンもあとは焼くだけで、オードブルも飾り付けだけで…酒もな、今年はワインで祝おう思て、ちょい奮発して高いヤツ買うて冷やしてあるんやで?」
それやのに…と聖は唇を尖らせる。
「絶っ対達彦のせいや!アイツ、オレらが楽しくパーティやるんを妬んだんや!」
「…いや、いくら達彦でもそれはねぇだろ」
―達彦を庇うわけでは無いが、少し不憫に思ったので言ってみた。今頃はくしゃみをしているかもしれない。すると聖は益々唇を尖らせる。
「アホ、本気にすんなや…オレかてそれはない思うとるわ…」
けど…と言葉を続ける。
「せやけどそうとでも思わんと…オレ、泣きそうやから」
泣きたいのを堪えている子供のような表情で聖は窓から見える空を見つめた。
「やっぱオレも一緒に行けば良かったわ…」
聖はボソリと呟いた。
―苦手な地道な調査だったとしても弓生と一緒に行けば良かった…こんな思いをするくらいなら…
聖は膝を抱えると顔を埋めるように背中を丸めた。いつもは騒々しいほど元気なのに、こんな意気消沈している聖に対してどんな態度を取ったらいいのか分からない三吾は、取り敢えず煎れ立ての珈琲を差し出した。
「ほらよ…インスタントだけどよ」
聖は埋めていた顔を上げ、三吾を見つめた。そして―
「……おおきに」
小さく笑って受け取った。
その後、いつもの他愛もない話をしながら過ごしていたが、やはりどことなく笑顔が曇っている聖。そして夕方近くなった頃、聖はスクッと立ち上がった。
「ほな、オレそろそろ帰るわ」
そう言いながら床に放ったGジャンを手に取る聖を三吾が呼び止める。
「聖…」
「なんや?」
三吾はなんと言おうか悩んだが、取り敢えずフッと微笑む。
「少しは元気出たか?」
「アホ!オレはいつも元気百倍や!なに言うてんねん?」
きょとんとした顔で小首を傾げる聖。
―(あれだけ意気消沈しておいて自分では気付いていないのか)
その言葉に思わず頭を抱えたくなった―が、カラ元気な素振りの聖も可笑しくて―
三吾は思いっ切り明るい声で言った。
「それよりお前、暇ならもう少し一緒に居ねぇか?」
「え〜、イブやのにお前と二人で過ごすんかぁ?」
思いっ切り不満げな顔で文句をたられ、三吾は慌てて付け加える。
「違うって!今日御景別宅で忘年会を兼ねた食事会があるらしくてよ…なんか全部で10人くらい来るんだとよ…兄貴も来るらしい」
「え〜…そんなんもっといややわ〜!なんで『本家』のヤツらと食卓囲まなならんねん!」
文句をたれるが、一緒に食卓を囲むことの多い三吾も『本家』だと言うことを、この時点では認識していないのだろう、この使役鬼は―
「なら俺も止めようかな…メンド臭えし」
「なに言うてんねん!兄貴はお前に会いに来るんやろ?行った方がええて!どうせイブを一緒に過ごす恋人もおらへん独り身なんやから、行ったらええやん」
「…悪かったな」
―当たってはいるが、聖には言われたくない言葉である。
「それよか今日は朝も早よから押し掛けて悪かったな…かんにんやったわ」
「別にいいよ、慣れてるし」
「なんやそれ」
あはは―と聖が笑う。ようやくいつもの聖に戻りつつあるようだ。
「ほな、またな!兄貴と上手くやるんやで」
再び戻ってきたマンション。人の気配が無くどことなくひんやりとしている。
三吾にはああ言ったものの、ひとりで過ごすイブも寂しいものである。
しかも聖の心に比例するように空は今にも降り出しそうな空模様である。
ホワイトクリスマスは恋人同士にとってはロマンチックな演出だが、恋人とすれ違ってしまったものにとっては寂しさに拍車を掛けるだけである。
「ユミちゃんのアホ…やっぱまだ帰ってへんやん」
フウッと息を吐くとソファの上で膝を抱える。
「もっとちゃきちゃきって仕事を終わらせて戻って来んかい!」
付いていかなかった自分も悪いくせに、ここぞとばかりに悪態を付く聖。
ヒーターも灯りも付ける気にもなれず、冷たく暗い部屋でボーっと空を見つめている聖だったが、何気なく部屋を見渡すと留守番電話が点滅しているのが目に入った。
「誰やろ…」
聖は点滅しているボタンに徐に触れると、録音されているメッセージが流れる―途端、聖の指がピクリと動いた。
「…ユミちゃん?」
『聖…今日の夕方6時に次の場所に来い。場所は…』
機械的に場所を知らせる弓生。メッセージはそれで終わっていた。
「えっ…こんだけ?」
聖は再び再生ボタンを押す―だが聞こえてくるメッセージに変わりはなかった。
けれども指定してきた場所は新宿―少なくとも帰って来るということである。
一気に上機嫌になった聖は場所を書いたメモ紙を手に取ると、待ち合わせにはまだ時間はあるというのに脱兎の如く駆けていった。
「えっと…此処か?」
弓生の指定した場所に行くと、どうみてもレストランである。しかも少しばかり敷居が高そうな…。
「ホンマに此処で合うてるんか?」
店の前に立ち、見上げると、其処にはフランス語だか英語だか分からない文字が並んでいる。因みに聖がメモ紙に走り書きしたのはカタカナである。だが、何となく言葉の雰囲気―特に最後の文字を伸ばす辺りが合っているような気がした聖は徐に扉を開けると、店内は外見よりももっと敷居が高そうだった。
「やっぱ間違うたかな…」
踵を返そうとした聖。だが―
「いらっしゃいませ―ご予約のお名前は」
突然店員から声を掛けられ、聖は焦る。
「えっ…ご予約て…」
オロオロしている聖の背後で答えが返ってきた。
「志島です」
その声に反応して後ろを振り返る聖。
「…ユミちゃん」
「志島さま…2名様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、此方です」
店員に案内され、弓生が先を歩き、その後を聖が目を白黒させながら続く。
そして席に付きワインを注文すると弓生は、どうやら未だ状況を飲み込めていない様子の相棒に話し掛けた。
「早かったな…先に来て待っていようと思ったんだが」
そうは言ったものの、考えてみれば留守電を聞いて飛び出す相棒の姿は目に見えるようだ。
「ユミちゃん…これて…どういう―」
「いつも旨いメシを作ってくれる礼だ―今日はクリスマスイブだしな」
「えっ!?」
「驚かそうと思って黙っておいた」
「ユミちゃん…今日がイブやて知っとったんか?」
「当たり前だ。あれだけ毎年派手に祝うからな―イヤでも覚えている」
「またそないな言い方して…けど、イブにこんな店よう予約取れたな?」
「…きっと運が良かったんだろう」
弓生がフッと微笑む。だが、此処のレストランは半年以上前でないと予約が取れないのを聖は知らない―。つまり弓生は少なくとも半年以上前からイブに予約して居たと言うことであって―
「だが、予約した時間に間に合わないかと思って正直焦ったがな」
「へっ?どういう意味?」
「いや…別に 。どうだ?驚いたか?」
「…うん。ごっつぅビックリしたわ」
心から驚いたと言うように大きく頷く聖。そんな表情の聖を見て弓生は微笑む。
「ほら―ワインが来たぞ、聖」
弓生の微笑みに反応するように、聖もフワリと微笑む。
「せやけどオレ―ユミちゃんは絶対に忘れてる思うたから…嬉しい」
―凄く、凄く嬉しい
聖は嬉しそうに満面の笑みで微笑んだ。
「オレな、こないしてイブに外でメシ食って祝うんが夢やったんや」
「そうか…」
「せやから…おおきにな、ユミちゃんvほんま、おおきに」
聖が笑顔で何度も何度も礼を言う。
中央の蝋燭に映し出される聖の笑顔は眩しくて…弓生はテーブルの上で手を組んだ。
「あっ…せやけど下拵えした料理はどうしよかなぁ…」
ん〜っと腕組みをしながら考える聖に弓生は優しく言った。
「パーティならまた明日やればいい―クリスマスは明日なんだから」
「明日…せやな!また明日やろな!」
弓生の言葉に聖は益々嬉しそうに微笑んだ。
「メリークリスマス―聖」
「メリークリスマスや!ユミちゃん」
二人の中央にある蝋燭が静かに揺れた。
そして二人からはカラン―というグラスを重ねる音が響いた。
空から降り注ぐロマンチックな演出の中、
聖は今まで生きてきた中で一番幸せなクリスマスを過ごすのだった。
〜終〜
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