「よし!これで今日の晩飯もバッチリや♪」
朗らかな声で頷くと、買うものをメモした紙をくしゃりと丸め、ジーパンのポケットに突っ込む聖。
商店街でもすっかり顔馴染みになり、街内を歩くだけで八百屋やら魚屋やら肉屋やらあちこちから声が掛かる。
「戸倉の兄ちゃん、買い物は終わったのかい?」
「おう!おっちゃん、終わったで〜、今日はな、2日振りにユミちゃんが帰って来るから、ユミちゃんの好きなモンをぎょーさん作ってやろと思うてな♪」
「おぉ!ソイツはさぞかしユミちゃんも喜ぶだろうよ!主夫としてはひと頑張りだな!」
「おう!いつもより愛情もようけ加えるわ…主婦やしな♪ほなな」
笑顔で手を振る聖。
―ユミちゃん。
実は商店街の人達はユミちゃんと言うのが志島弓生だという男(鬼)だと言うことを知らない。
まあ弓生がこの商店街で買い物をすることがないので仕方ないと言えば仕方ないのだが。
だが噛み合っていないようで居て噛み合っている会話は聖ならではなのか―
そして鼻歌を歌いながらご機嫌で帰る途中、マンションの傍の公園で、聖は段ボールに入れられた一匹の子犬に出逢った。
「犬…か?」
どう見ても犬なのだが、一応確認してみてから、聖はよいしょ…としゃがみ込むと子犬の頭を撫でた。
「お前…捨てられたんか?」
捨て犬はまるで聖の言っているコトが分かるかのように、クゥ〜ンと小さく泣いた。
「腹減ってんのか?なんか食うか?」
再びクゥ〜ンと泣く子犬。聖は買い物袋を横に置き、子犬を自分と同じ目線になるように抱き上げた。
「可愛いなぁ…オレ、犬ごっつぅ好きなんや」
―付け加えれば、聖は犬だけでなく動物全般が好きである。
「飼ってやりたいけど…ユミちゃんにバレると怒られるしな〜…それにオレらのマンションは動物は飼えんしなぁ…どないしよっかなぁ…」
ん〜…と必死で脳味噌をフルに動かしている聖。―とその時、ひとつの明暗が浮かんだ。
「せや!バレなかったらえぇんや!なんや〜、簡単なことやんか〜♪」
脳味噌フル回転した割には相変わらず脳天気な考えしか思い付かない聖―。
そんな聖は子犬を抱えたまま、満足げに立ち上がる。
「今日からお前はウチの子やで〜♪」
だが千年以上もの時を共に生きてきて、上手に嘘が付けたことが一度もないことを聖自身は全く気が付いていなかった。
「ユミちゃんにバレると煩いから、お前は此処におるんやで?」
聖は自分の部屋の隅に新しい段ボールを置くと、その中に暖かい毛布をしいてやった。
すると子犬は嬉しそうに一声鳴くと、その中へと入った。
「おっ、お前頭えぇなぁ…せや!今ミルクかなんか持ってきたるさかい、待っとれや?」
聖が頭を撫でると、子犬は再び嬉しそうにクゥ〜ンと泣いた。
「冷たいままがえぇかな〜…それともちょっと温めた方がえぇかな〜」
猫舌は聞くけど犬舌は聞かんしな〜…と腕組みをし、ブツブツと呟きながら牛乳と睨めっこしている聖に、背後から声が掛かる。
「何やってるんだ?」
「あぁ、ユミちゃんか…あんな?ミルクなんやけど、子犬に飲ませる場合て、冷たいのと温かいのどっちがえぇと思う?」
弓生に質問を投げ掛けながら振り返った途端、聖は自分の置かれている状況に気が付いた。
「ユッ、ユミちゃんやんか!?いつ帰って来たんや?」
「たった今だが?それより今の質問はどういう意味だ?」
「あぁ…今か。お帰り〜、ユミちゃん…早かったなぁ?疲れたんやないか?」
さりげなく話を逸らす聖。
「いや、それ程でも…」
「そか…でもお疲れさんやったな」
笑顔で言うが、その笑顔が何処かぎこちない。
「ところで聖…今の話はどういう意味なんだ?」
「あ〜、しまった!かんにん、ユミちゃん!オレ、まだメシの支度してへんのや!急いで晩飯作るから、ユミちゃんはゆ〜っくり着替えてき?ほんまにゆ〜っくりやで?」
話の逸らし方が下手な聖。ぐいぐいと弓生を押し部屋へと向かわせる。妖しい―妖しすぎる。
第一、いつもなら数日留守にした弓生が帰ってくると、玄関が開いた途端に喜んで飛んで来て出迎えたり、既に食事の支度も終えて待って居るときが多い。
それなのに今は、逆に帰ってくるのが早いのが悪いような感じも…
「聖…俺になにか隠していることはないか?」
ジロリと睨まれ、ないない―と言うように急いで首を横に振る聖。
「なっ、なんもないで?」
「本当か?」
ずいっと目を見据えられて、聖は一瞬目を逸らす。
「ほんまや…オレ、犬なんて隠してへん」
―(此処まで分かりやすいヤツは初めてだ)
弓生はフウッと息を吐いた。
「直ぐに犬を連れてこい…聖!直ぐにだ!」
弓生に睨まれ、聖は肩を落としながら自分の部屋へと向かうと、子犬を抱き抱えながら戻ってきた。
それから1時間後―
「直ぐに元に居た場所に置いてこい!」
「いやや!」
「聖!」
「絶対いややっ!もっかい捨てるなんて可哀想や!オレ、コイツ飼いたい!」
―1時間、この繰り返しだった。
「頼むわ、ユミちゃん…オレ、ちゃんと面倒みるさかい!絶対ユミちゃんには迷惑掛けへんから…せやから一生のお願いや!」
「お前の一生は何回あるんだ…だが、そう言う問題ではない。大体このマンションは動物は飼えないことはお前だって知っているだろう?」
「…そりゃ知っとったけど」
「だったら話は簡単だ。置いてこい…捨てるんじゃない、置いてくるんだ」
「どっちだっておなじや!それにオレ、コイツの名前も決めたんやで?」
「…だからそう言う問題ではないと言っているだろう」
頑として譲らない両者。聖はずいっと弓生の目の前に子犬を差し出した。
「ユミちゃん!見てみい、この犬の目!ユミちゃんはこの目ぇ見てもまだそないな薄情なこと言うんか!?」
今にも泣き出しそうな目でクゥ〜ンと小さく子犬。弓生はその子犬から静かに視線を逸らす。
なぜならその目は泣き出す寸前の聖の瞳によく似ていたから―
「…何を言われても考えは変わらない。俺は反対だ」
「っつ!オレがこないに頼んどるのに…ユミちゃんは冷たい!ひとでなし!ユミちゃんは鬼や!」
「何を今更…俺もお前も鬼だが」
「そうやのうて…え〜っと、そうや!ユミちゃんは心まで鬼になってしもたんや!血の色、緑なんや!ケチー!もうえぇわい、オレ…コイツと一緒に出てく!」
言いたいことをぶちまけ、再びギュッと子犬を抱き抱えると出ていこうとする聖。
「ちょっと待て、聖」
だがリビングのドアに手を掛けた途端呼び止められ、聖は笑顔で振り返る。
「なんや?ユミちゃん、やっぱ飼ってもええんか?」
「…出て行くなら、そこの牛乳を冷蔵庫に入れてからにしろ。痛むぞ」
机の上の牛乳を指さす弓生。どうやらずっと出しっぱなしだったようだ。
「あちゃ〜、すっかり忘れとったわ。かんにん、…って、ちゃうねん!オレが欲しかったんわ…もうええわ!ユミちゃんのアホんだらーっ!」
牛乳を冷蔵庫に入れてから、聖は家を飛び出した。
「…で、なんでお前は弓生と喧嘩する度、いつも俺んトコ来るんだ?」
「しゃーないやん。お前んち以外思い付かんかったんやから」
聖は牛乳を美味しそうに飲んでいる子犬の頭を撫でた。
―勿論、此処は三吾のアパートである。
突然やって来て、「ユミちゃんと喧嘩した。上がるで?」と仁王立ちで立っていたのが数分前。腕には子犬を抱えており、それでなんとなく三吾は全てを察した。
そして今の聖はと言えば、やってきた時とは全く違い、膝を抱えて背中を丸めている。こういう時の聖はとことん落ち込んでいるのだった。
「ユミちゃんはケチなんや…血の色も緑になってもうたんや」
―反対したくらいで何もそこまで言われる筋合いは無いと思うのだが。
だが口では悪態を付いているものの、すっかり落ち込んでいる様子の聖。三吾は励ましてやろうと膝を抱えている聖の隣に座り、肩をポンポンっと叩いた。
「まあ…なんだ。弓生もなにも犬が憎いとか嫌いだとかそういうんじゃないんだろ?単にお前らのマンションじゃ飼えないだけの問題だし…だからそんなに責めるなよ」
すると聖は抱えていた膝を解き、不思議そうに三吾を見つめた。
「お前なに言うてんねん?オレがユミちゃんを責めるわけないやろが!当たり前や、ユミちゃんはちっとも悪うない。悪いんは最初に捨てた人間や!」
「………」
―どんな事があろうと決して弓生は悪くない。
分かっては居たが、何処までも弓生を庇う聖に、三吾はこっそりと溜息を吐く。
すると何か思い付いたように聖がポンッと手を叩く。まるでたった今思い付いたかのように…。
「せや!…なぁなぁ?お前んちで飼えんか?」
「はぁ?お前なに言ってんだよ?大体お前らのマンションで飼えないモンを俺ん所のアパートで飼えるワケねぇだろ!」
「せやな…此処は安アパートやしな…ボロいし」
―大きなお世話だ!と呟くように抗議する三吾。
「どないしよっかな…」
ん〜っと、脳味噌をフルに動かす聖。フルに動かすのはこれで今日は2回目なので少々疲れる。だが、そしてその結果、的確な人材を思い出した。
「せや!ピッタリなヤツがおったわ!」
「誰だ?」
「成樹や!」
庭付き一戸建て―犬を飼うとしては正に理想の場所である。…これは単に勝手な聖の思い込みだが。
「なるほどな〜…でもアイツもうすぐ受験だろ?世話とか大変じゃねぇの?」
「じゃ、オレ成樹んち行って来るわ!善は急げや!」
―全く話を聞いちゃいない。
「じゃ、三吾!邪魔したな」
靴を引っ掛け出ていこうとする聖。そして玄関を開けた途端、聖の目の前に立っていたのは―
「ユミちゃん!?」
「聖」
呆然と突っ立ったまま弓生を見つめる聖。
「もしかして…迎えに来てくれたんか?」
「あぁ…そうだ」
―見つめ合う二人。
因みにこの時点で既に三吾の存在は忘れられている。
「でも…でもオレ」
「犬のことは心配するな…新しい飼い主を見つけておいた」
「新しい飼い主?」
「あぁ、その人なら安心して任せられるだろう…今からだけど行くか?」
「今から?うん!行く!」
笑顔で頷く聖。どうやらすっかり仲直りしたようだ。
「ほな、三吾!またな」
朗らかに言われ、三吾は呟いた。
「ホント…アイツは嵐そのものだよな……ま、見てて飽きねぇけど」
嵐が去った後の静けさのように、今はすっかり静寂になった三吾の部屋であった。
一方、此方は成樹の家に向かう弓生と聖と子犬を乗せた黒のBMWである。
その車内で窓を開け、冬独特の冷たい風を受けながら、聖は朗らかに弓生に問いた。
「なぁなぁ、ユミちゃん!新しい飼い主って誰や?」
「お前もよく知っているヤツだ」
「オレの?」
ん〜、誰やろ…と頭を捻っている聖を横目に見ながら、弓生はフッと微笑んだ。
「大滝家だ」
「大滝って…成樹か?」
「あぁ…来る前に事情を話したら二つ返事で引き受けてくれた」
「ホンマか?だとしたら偶然や」
「偶然?」
うん―と言うように頷く聖。
「オレもな、今、成樹んち行こう思てたん…けどな、アイツもうすぐ受験やろ?せやから悪いかな思たんやけど…」
―どうやら一応三吾の意見も聞いていたらしい。
「そうか…まあ正確に言うと、妹の方がかなり乗り気だ」
「彩乃ちゃんか?」
「ああ、なんでも犬が大好きなんだそうだ」
「へぇ〜…でも成樹んちやったらオレも安心や」
言葉の通り、心底安心しきったかのように聖がフワリと微笑む。
そしてその聖の心に比例するように、子犬も聖の腕の中で静かに眠っていた。
「わ〜、可愛いv」
彩乃は聖から子犬を受け取ると、満面の笑みで抱き上げた。
「せやろ?コイツ、ごっつぅ可愛いねん!大事にしたって?」
「もちろんv戸倉さんから貰ったからには大切にしますねv」
聖と彩乃は今までにも何度か面識がある。
そして逢う度にいつも成樹のことを本気で心配してくれていたので、彩乃にとってはかなり好印象である。
「おおきにな、彩乃ちゃん…成樹も頼むな?可愛がったってな?」
「当たり前じゃん!それにコイツが居た方が俺も気分転換になると思うし、彩乃もこんなに喜んでるし、こっちこそありがと…聖」
フワリとした笑顔で聖から見つめられ、微笑み返す成樹。だが、突然弾かれたように目を見開いた。
「あっ、そうだ!聖…この犬、なんて名前?」
「名前?」
「うん!」
「コイツの名前はな…」
聖は口を開きかけたが、急に止め、再び微笑んだ。
「名前はお前らが決めたらええ」
「えっ…でも」
「ええから…その代わり、オレ、さいさい遊びに来てもええかな?」
「うん、それは勿論全然いいけど」
「良かったわ〜…ほな、もう遅いからオレら帰るな…せやけどまた来るな!」
彩乃の腕の中にいる子犬の頭を撫でると、子犬はクゥ〜ンと鳴いた。
まるで御礼を言っているかように―
そして聖は大きく手を振って成樹の家を出た。子犬は別れを惜しむようにいつまでもいつまでも鳴いていた。
成樹の家からの帰りの車内。
たった半日しか一緒に居なかったのに、既にあの子犬に情が移ってしまったのか、黙ったままぼんやりと助手席の窓から外の景色を見ている聖。
そんな様子の聖をチラッと横目で見てから、再び真っ直ぐに前を見据えながら弓生は問い掛けた。
「あれで良かったのか?」
不意に問われた聖は、運転している弓生の横顔を見ながら逆に聞いた。
「なにがや?」
「名前だ。お前が付けてやったんじゃないのか?」
「あぁ…そのことか…」
掠れるように小さく呟くと、再び外の景色を見つめ、聖は静かに言葉を紡いだ。
「ええんや…あこの家で飼って貰うんやから、あこの家で付けて貰った方がアイツのためにもええんや」
ポツリポツリと言葉を紡ぐ聖。
「聖…」
横を向いたままなのでどんな顔をしているのかは分からない―だが、弓生は今、聖がどんな表情をしているのかは容易に想像が付く。
しばらく無言のまま時が過ぎたが、突然パッと明るい声が車内を照らした。
「けど、色々おおきにな!ユミちゃん」
「聖」
「ユミちゃんが話し付けておいてくれたから、すんなり話がまとまったわ」
フワリとした笑顔で弓生を見つめる聖。もう弓生が想像していた表情は消えたようだ。
「いや…それに俺こそ飼ってやれなくて済まなかった」
「なんで?ユミちゃんはちっとも悪うないで?せやから謝らんといて?な?」
顔を覗き込まれ、思わず弓生はフッと微笑んだ。
「あぁ…分かった」
その微笑みでホッとしたのか、助手席の背もたれにポスッと寄り掛かる聖。
「けどユミちゃんはホンマ、手回しええなぁ♪さすがやな♪」
「フッ…血の色が緑でもこのくらいは出来るらしいな」
前を見据えたまま、意地悪く微笑む弓生。
「あ〜あれは冗談やぁ…もう言わんといて〜…けど、あん時はかんにんな」
頭を抱える聖。そんな聖の肩に手を伸ばしグイッと自分の方へと引き寄せる。
「ユミちゃん?運転しにくくないか?」
「平気だ」
そか―と頷く聖。そして視線は前方から変えないまま、弓生は言葉を続けた。
「聖」
「ん?」
「今は無理だが…だが、いつか一戸建てを借りたら、その時は犬でも飼うか?」
「ユミちゃん…」
思いがけない言葉に、弾けるように弓生の顔を見上げる聖。そして見る見るうちに満面の笑顔になっていく。
「おおきにな…ユミちゃんv」
フワリとした笑顔で弓生に寄り添う聖の顔には、消えることのない笑顔がいつまでも輝いていた。
それはほんの些細な約束なのかもしれない。
もしかしたら叶わない約束なのかもしれない。
だが、聖は弓生の優しさが嬉しかった。弓生の言葉が嬉しかった。
いつだって聖の笑顔へと続く鍵は、弓生が持っているのだから―。
〜終〜
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