ねぇ、蛮ちゃん…
いつか行きたいね、オレたちだけの楽園に…
小さくてもいいからお家を借りて―そのお家にはお庭があって…
オレね、そこで犬を飼いたいんだ。
お家とお庭と犬と―そして大好きな人と…
ずっと一緒にいて…
楽しいときも悲しいときも…
ずっとずっと一緒にいて…
平凡でもいいから幸せだって―幸せだったって
大好きな人の腕の中で―死ぬ前に最期にそう思えたら…
オレの人生は誰よりも何よりも最高に幸せだよ…
蛮は地面に倒れ込む寸前の銀次を咄嗟に抱き抱えた。
あっという間に真紅に染まっていく銀次の雨に濡れて透けるような白いシャツ。
なんだか悪い夢を見ているようで…蛮は悪夢から逃れようと目を瞑り必死で頭を振る。
それからゆっくりと再び目を見開く―だが、目に映った光景は蛮の願いも虚しく…現実そのモノだった。
次に蛮は視線を銀次の傷口から顔へと移動する。グッタリとした身体。色のない唇。
そして―蛮は体温を確かめようと銀次をギュッと抱き締める。腕から身体から伝わってくる銀次の体温はどんどんと下がっている。
それが何を意味しているのか蛮にはよく分かっていた。分かってはいたが信じたくなかった。銀次の名を呼びたいのだが声が出ない。
だから代わりに、もう一度ギュッと抱き締めてやる。
「銀…次」
ようやく掠れるような声が出たのは、それから直ぐだったか―それともしばらく経ってからなのか―蛮には時間の感覚さえなかった。
「銀次…」
今度はしっかりと銀次の名を呼ぶ。だが、銀次はその声に答えることなく蛮に身体を預けたままだ。
「銀次…銀次っ、しっかりしろっ!おいっ…銀次!!」
必死の呼び掛けに銀次の瞼が静かにゆっくりと開く。
「蛮…ちゃん…」
弱々しく自分に呼び掛ける声に、蛮の声も震える。自分でも驚くほどに…。
「銀次…」
自分の名を呼ばれた銀次は、渾身の力で腕を持ち上げ、蛮の頬にそっと触れる。
「よかった…蛮…ちゃんが無事で…」
そしてニッコリと微笑む。
「銀次…なんでお前っ…俺を…」
蛮の言葉は震えてしまい、最後まで続けることが出来ない。
「蛮…ちゃん…オレ…蛮ちゃんに逢えて…」
「銀次…もういい、喋るな」
蛮は必死で制止する。だが、銀次は首を横に振り、それから満面の笑みで微笑んだ。
「オレは…蛮ちゃんに逢えて…幸せだったよ…」
「アホ…今生の別れみてぇなこと言うなよ…」
蛮の言葉に、笑みを保ったままの銀次の瞳から涙がつうっと一筋零れ落ちる―
「ありがとう…蛮ちゃん」
ありがとう…それが銀次の最期の言葉だった。
「別れは済んだのか?」
その声に蛮の肩がピクリと動く。
「バカなヤツらだ。逆らわなければもっと長く生きられたものを」
そんな声を背中で受けながら、蛮は静かに銀次を置いた。そして銀次の髪を優しく撫でると耳元でそっと囁いた。
「銀次…直ぐ戻ってくるから…待ってろよ」
そして振り向いた蛮の瞳には怒りと憎しみしか宿っていなかった。
「てめぇら…みんなぶっ殺してやる!!」
だが、逆上して何も見えなくなっていた蛮には、もはや冷静な判断など出来るはずがなかった。
直ぐさま蛮の胸にも銀の弾が撃ち込まれる。だが、そんな痛みも気にも止めずに怯むことなく突っ込んでいった。
そして銀次を撃ち殺したものの首を引き千切ろうとした。だが、寸前で二発目の銃弾が撃ち込まれる。
その反動で蛮の足がふらつく。目の前の景色もかすんでいく…目の前で倒れている銀次の姿さえも―
「銀…次」
蛮はゆっくりとした足取りで銀次の傍に行き銀次の傍らまで歩み寄ると、膝を折りゆっくりと地に伏していく。
ほとんど倒れ込むように―
「銀次…」
蛮は銀次の髪を頬を首筋をゆっくりと撫でていく。まるで記憶に刻み込むように、ゆっくりとゆっくりと―
そして銀次の手まで到達すると、しっかりと握った。
「一緒に行こうな―」
楽園に―
3発目の銃声が聞こえたのとほぼ同時に、蛮の最期も訪れたのだった―
抱き合うように重なり合い倒れている2人の心臓の鼓動が止まっているのを確認すると、ひとりが立ち上がった。
「ふぅ…驚かしやがって…」
「いくか。上層部に連絡をしなければならない…捕獲は失敗に終わり処刑したと―」
「コイツ等の死体はどうする」
「ほっておけ、この大雨の中だと持って帰るのも一苦労だ」
「それにこの辺りは野犬や熊が居るからな…明日の朝まで骨すら残らんさ」
「そりゃそうだ」
カラカラと笑い、去っていく姿が消えていく。気配も消えていく。
蛮と銀次は二人その場に取り残されたまま、再び洞窟に静寂が戻ってきた。
それで―全てが終わった―
そして―誰も居なくなった―
「ジャスト一分か」
蛮は呟くと真横で倒れている銀次を軽く揺さぶる。
「銀次…おいっ、銀次」
その声で銀次がゆっくりと瞳を開け、起きあがる。
「あれ…」
小さく呟いてからゆっくりと辺りを見回す。そして何度かパチパチと瞬きを繰り返した。
「あれ〜?」
すっとんきょんな声を出している銀次を横目に蛮は微笑する。
「気ぃ付いたか?」
「あれ?蛮…ちゃん…?あれぇ?」
状況が全く読みとれていない銀次のリアクションに、蛮は今度は小さく吹き出す。
「蛮ちゃん…一体…?」
一体何がどうしてどうなったのか―?
銀次は先ほどのやりとりを必死で思い出す。
ヤツらが洞窟に来たのは覚えている。蛮が自分を背後に押しやり、追っ手に向かって飛び出したのも覚えている。
入口の傍にももう一人隠れていて、その者が蛮を撃とうとしたのも覚えている。その蛮を庇おうと自分が飛び出したのも覚えている。
撃たれたのも覚えている―そう撃たれたのだ…確かに―
蛮も―自分も―確かに銀の弾が貫いたのだ―
それなのに何故こうして生きているのか…その結果の果ての、当然と言えば当然の銀次の質問だった。
そしてその質問を受け、蛮は壁に背中を預け片膝を付いて腰掛けると小さく息を吐いた。
「まぁ、ようするに邪眼ってヤツだ」
「じゃ…がん?」
「あぁ」
「……ってなあに?」
生まれて始めて聞く言葉だ。銀次には漢字すらも当てはまらない。そこで蛮は落ちていた木の枝で地面にガリガリと字を書き出した。
「邪な邪に眼の眼って書くんだが…つまりだ。これも俺の能力のひとつなんだが…まぁ…お前でも分かるように簡単に説明するとしたら、俺には一分間の幻を見せられるってワケだ。そこでアイツ等には俺達が死んだって幻を見せた…ってワケだ」
「へぇ〜…」
余りよく分かっていない様子の銀次。始めて聞く言葉だから当たり前だ。
「ついでだからお前にも掛けておいた…」
「ついでって…まぁ別にいいけどさ…」
銀次はフフッと微笑んだ。…と思ったら、思い付いた様にハッとして蛮を見る。
「でもさ、もしもあの人達が戻ってきて、オレたちの死体が無かったら、直ぐ邪眼だったってバレちゃうんじゃない?」
「いや、それはねぇよ」
「どうして?」
「邪眼だったとは言え一度死んだのを確認したのに、この大雨の中もう一度わざわざ確認に来る程仕事熱心な風情でもねぇし…それにアイツ等だって言ってたろ?ここら辺は野犬や熊が多いから、死体はおろか骨すらも残らないって…。まあアイツ等が俺等の死体を持っていかなかったのはラッキーだったな。この雨のお陰だな」
邪眼が解けた時に自分たちが彼等の死体を持っていなかったら、直ぐにバレて戻ってきてしまうだろうから―
「ねぇ…じゃあオレたちが死んだとき…あっ、邪眼だったけどね!あの最期のセリフって蛮ちゃんが考えたの?すっごい感動しちゃったんだけど?」
「ちげぇよ、あれは自分たちの意志だ。現実にあー言う場面が来たら、あー言いてぇって事がそのまま邪眼に繋がったんだ。俺の邪眼は質がいいからな…今日は気分がいいから特別にそう言うオプションを付けといた」
ふ〜ん、そっか―と納得するように頷いた銀次。その姿を見て蛮はニヤリと微笑む。
「でもまぁ、これでしばらくはのんびり暮らせるだろうよ…まさかアイツ等も俺等が生きてるなんて夢にも思っていねぇだろうからな」
そして立ち上がると、ん〜と伸びをしてから、隣で座っていた銀次を振り返る。
「さてと…これから何処へ行く?」
銀次は唇に指を当て、ん〜っとね…と考えたが、ニッコリと微笑んで立ち上がった。
そして蛮の前に歩み立ち、満面の笑みで蛮の顔を覗き込んだ。
「どこでもいいよvだって蛮ちゃんと居る場所が、オレにとって楽園だから―」
輝くような笑顔で見つめられ、蛮は照れるようにカリカリと鼻の頭を掻いた。
「んじゃ、行くか」
そして銀次にスッと手を差し出した。銀次は笑顔でその手を取った。
「うん!蛮ちゃん」
雨もすっかり上がり、地平編の遙か向こう、東の空からは太陽がゆっくりと昇り、1日の初めを告げようとしていた。
そしてそれと同時に暗く闇のようだった空も、白く輝きを帯びようとしていた。
まるで彼等の未来を象徴するかのように―
蛮と銀次は顔を見合わすと、ニッコリと微笑みあった。そしてその自由への扉に向かって、二人一緒に歩み出した。
彼等を追うものは―もうなにもない―
オレたちの楽園―
オレたちだけの自由の楽園に行けるんだね―
でもね、オレは本当は家だって庭だって犬だってどうでもいいんだ―
蛮ちゃんと居られるだけで―あの洞窟だってオレにとっては楽園だったんだ―
だってオレは蛮ちゃんが傍にいてくれる場所が、いつだって楽園だから―
大好きな蛮ちゃんが居てくれるだけで―
大好きな蛮ちゃんと一緒に居られるだけで―
それがオレの―楽園だから―
++The End++
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