Eden
Scene 2






オレと蛮ちゃんは、何かから逃げるように走っていた。
空からは土砂降りの雨が降り注いでいた。
だけどオレたちは、そんな雨を気にすることもなく走っていた。
降りしきる雨の中、ただひたすら前を向いて―
ただ自由を掴むために―






 時間はそれから数時間前へと遡る。今日は満月の夜―蛮と銀次の脱出劇の当日だった。
 あれから蛮と銀次は計画を上手く遂行させるため、従順な役を演じた。勿論蛮は不本意だったが―
 その結果、ほんの少しだけだが2人に対する警戒が解けた。それは折良く満月の前の夜のことだった。
 手薄になった警備―蛮と銀次は自分たちの力を信じて力を合わせた―
 スネークバイトと電撃―あたかも不釣り合いのようだが、蛮の計画はこうだった―


 まずは緩くなった警戒を利用し、銀次の電撃で配電盤を壊し、辺りを真っ暗にした。
 蛮と銀次は予め暗闇に慣れるようにしていたため、夜目に慣れていた。そしてあたふたとする看守達の横を擦り抜けた。それでも追いついて来る看守には銀次の電撃で辺り一面を今度は光らせる。
 暗闇の次は眩いばかりの光―
 せっかく暗闇に慣れた途端に、今後は目を開けていられないような眩しさに当てられ、追いついてくる者は段々と数少なくなっていた。
 そして最後は蛮のスネークバイト―蛮の必殺技は、凄い威力だった。目の前の敵がどんどん横へ投げ出され、銀次が手を出す隙すらなかった。






 そして2人は―檻から逃げ出すことに成功した。






 パシャン―2人の足元で雨の弾く音。
 髪の毛から伝わる雨は頬から顎を伝い、最後に足元の水溜まりの中に溶ける。だが、背後から忍び寄る気配に、2人は足を止めることが出来なかった。
―思ったよりもしつこいヤツらだ
 蛮はチッと舌打ちをする。それ程までして手に入れたいのは俺なのか―それともコイツなのか―
 蛮は振り返って懸命に走っている銀次の顔を見る。
―だが、どっちにしてもこんなトコで掴まるわけにはいかねぇ!
 蛮は再び前を見据えると、繋いでいる手の力を強めた。




―その時だった。
「…あっ」
 銀次の足がもつれ、思わずその場に倒れ伏す。その反動で繋いでいた手が放れ、蛮は銀次の元に駆け寄る。
「どした?」
「ゴメン…ちょっと雨で滑っちゃって」
 立とうとする銀次がほんの少し顔をしかめる。雨でぬかるんでいるため滑りやすくなっているのは確かだ。だが、本当にそれだけか?
 蛮はハッとするように銀次が押さえている右足首を見た。すると銀次の右足首は赤く腫れ上がっていた。しかもかなり熱を持っていた。
「どうしたんだよ…これ」
 何かの感情を押さえるような蛮の暗く静かな声音に、あっ―と小さく声を漏らす銀次。そしてバレた事に対し、跋が悪そうに蛮からスッと目を反らす。
「いつからだよ!?」
「………」
 銀次は目を反らしたまま答えない。
「おい、銀次!」
 蛮の怒りを抑えた声に銀次は観念したのか、ポツリと呟いた。
「実は…無限城から此処へ連れて来られる時に…」
―そんな前のケガだったのか!?
 蛮の溜息で心の声に気付いたのか、銀次は必死で反論する。
「でもケガっていっても前だったし、今は痛くなかったから治ったかなって…」
 栄養状態も良くなかった上、治療どころか足首を固定さえしていないのに治るわけがない。
「バカ!なんで早く言わねぇんだ!」
「だって…蛮ちゃんに迷惑掛かると思ったから…」
 未だ自分の目を見ようとしない銀次に、蛮は再び声を荒らげた。
「このバカ!バカ!バカ!」
「そんな…バカバカ言わないでよ…」
 上目遣いで見つめる銀次の肩を掴み、蛮は言い含めるように言った。
「何度でも言ってやんよ!この大バカ野郎!…それにな、迷惑かどうかなんてお前が自分で勝手に決めるんじゃねぇ!俺が決めるんだ!」
 言い方も口調もキツいが、蛮の言葉には優しさも含まれていた。
「蛮ちゃん…」
「少なくとも俺は迷惑じゃねぇ!いいか?だから俺に迷惑掛かるから悪いとか、これ以上下らねぇこと抜かしたら本気で此処に置いてくからな!」
「うん…うん!蛮ちゃん…ゴメンね!」
 銀次は満面の笑みで微笑むと立ち上がろうとした。その手を何も言わずスッと掴み、起こしてやる蛮。
「ありがとう、蛮ちゃん」
「ペース落とすから走れるか?無理だったら…」
 蛮の言葉が終わる前に銀次は首を横に振った。
「大丈夫!少し休んだからもう少し走れそう」
「そうか?」
「うん、ホントに大丈夫」
 蛮は優しく微笑むと、分かった―と言うように静かに頷いた。そして再び前を見据えようと、ついっと視線を滑らした前方に―2人の遙か前方に小さな洞窟が見えた。
「取り敢えずあそこまでいけそうか?」
 蛮が前方を指し示すと、銀次は大きく頷いた。
「うん!大丈夫」






「これで当分は雨も凌げるし足も治療も出来るし一石二鳥だな…」
 洞窟を少し入った所で一旦銀次を座らせてから、再び洞窟の外へと歩み寄る蛮。
「この雨じゃアイツらも苦労してるだろうな」
 確かにこの大雨では例え足跡が残ったとしても、直ぐに流されて消えてしまうだろう。
 その雨の強さを確かめるように、蛮は洞窟の中から外へそっと手を差し出す。そんな蛮の姿を見つめながら、銀次は膝を抱えた。
 そして―
「蛮ちゃん…ゴメ」
「謝るな!今度謝ったら口聞いてやらないからな」
 背中を向けたまま、何とも子供じみた脅しを掛けてみた。
「口…聞いてくれないの?」
「あぁ、聞いてやらねぇ!」
 腰に手を当て、仁王立ちのような体制で蛮は銀次の方を振り返った。そして先ほどの子供じみた脅しは、どうやら銀次にはかなり効果的だったようだ。
「うん、じゃあ分かった!」
 銀次は元気よく頷いた。それを確認すると、蛮は銀次の傍に歩み寄り片膝を付いてしゃがんだ。
「よし!じゃあ次は足、見せてみろ」
「え〜っ…いいよ」
「いいからっ、見せろって!」
 必死で隠すように庇っている銀次の手を取り、もう一度じっくりとケガの様子を見る。
「………お前、こんなに酷くなる前になんで言わねぇ!」
「ゴ…だってオレもこんなに腫れるとは思わなかったから…」
 謝るのを途中で止めたのは、恐らく数分前の『口聞かないからな』のセリフを思い出したからだと思った蛮は、代わりに銀次にデコピンをお見舞いする。
 そしてちょっと待ってろよ…と呟くとポケットの奥に突っ込んであったハンカチを取りだし、それを細く裂いて包帯を作った。それを銀次の足を固定するようにしっかりと強く巻き付ける。痛んだのか少し銀次の顔が歪んだが、直ぐに元に戻る。
「よし…これでまあなんとか、一時しのぎにはなるだろう」
 巻かれた包帯にそっと手を触れると、銀次はニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、蛮ちゃんv」





「ねぇ、蛮ちゃん…聞いてもいい?」
 静まり返った洞窟の中で、銀次がふと声を漏らす。ポケットに入っていた煙草はすっかり湿っており、とてもじゃないけど吸える状態ではない。
 蛮はチッと舌打ちをすると、パッケージ毎握り潰した。そんな中での銀次の質問だった。
「…何を?」
「この前、蛮ちゃんも無理矢理連れて来られたって言ってたけど…」
「あぁ…そのことか」
 蛮は既に煙草の形すらしていないそのモノを投げ捨てた。
「ヤツら、やることだけは汚ねぇからな…その、つまり『人質』っつぅもんを取られた」
「人質?」
「…あぁ」
「その人質って蛮ちゃんの友達とか?」
「いや、そんなんじゃねぇ…ただの知り合いだ」
「ただの?」
「あぁ…なんだかんだ言いつつツケを待ってくれてる喫茶店のマスターとバイトの女の子だ」
―ただの知り合いだけで、みすみすこんな目に首を突っ込むのだろうか?
 自分では気付いていない蛮の人の良さに、銀次はフフッと微笑んだ。
「…あんだよ?」
「ううん…別に♪でも此処から逃げられたらその人達の所に行かないとね」
「…何しに?」
「だってきっとその人達心配してると思うよ。だから会いに行って蛮ちゃんが元気だってこと伝えなきゃ!」
「いいよ、別に…それにこのままバックれちまえばツケもチャラになるしよ」
「もうっ、蛮ちゃん!」
 冗談のつもりだったのに、銀次は頬をむーっと膨らませる。
 そんな視線で見つめられ、蛮は小さく息を吐くと銀次の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「はいはい、分かったよ、ちゃんと会いに行きますって!それよりお前こそどうなんだよ」
「えっ…オレ?」
「お前だって心配してる仲間がいるんじゃねぇのか?それにこの後どうするかも決めてるのか?」
「勿論、オレもみんなの所に会いに行ってオレは無事だよ、大丈夫だよって伝えたい…でも」
「でも?」
 蛮の反復の言葉に、銀次の瞳が小さく揺らいだ。
「でも…あそこに帰ってもまた同じ事がないとは限らない…だからもうあそこには居られない…」
―もうこれ以上みんなに迷惑は掛けたくないから
 銀次の言葉にはそんな意も含まれているような気がした。
 蛮は、膝を抱え背中を丸めている銀次を横目で見ると、肩をグイッと引き寄せた。乱暴なような仕草ではあったが、銀次にとっては優しく温かかった。
「蛮ちゃん?」
 不思議そうに蛮を見上げる銀次。すると直ぐ傍に蛮の顔があり、紫闇色した綺麗な瞳が銀次の琥珀の瞳を捉えている。
 改めて見ると吸い込まれてしまいそうな程、綺麗な瞳―
「蛮ちゃん?」
 小首を傾げて再び問い掛けると、蛮は優しく呟いた。
「だったら銀次…俺と一緒に来るか?」
 唐突な蛮の言葉に銀次の瞼がパチクリと上下する。
「蛮ちゃんと…一緒に?」
「あぁ…」
 蛮が肩に回していた手を銀次の頭へと移動させ優しく掻き混ぜると、銀次も自然と笑顔になる。
「何処でもいいから…小さくてもいいから家を借りて…」
「だったらオレ、小さくてもいいからお庭が欲しいな」
「了解」
「あとね、犬とか飼いたい」
「お前を飼ってるんだから2匹も要らねぇよ…だから却下」
「もうっ、蛮ちゃん!オレが犬ってどういう意味!?」
 銀次が口を尖らせるのを見て、蛮は小さく吹き出した。
「ははっ!冗談だよ」
「んもう!」
 拗ねるような仕草の銀次の肩を抱き蛮は優しく微笑んだ。
「あと…そうだなぁ…メシは…お前作れるか?」
「あはは…ちょっと無理かも」
「んじゃメシは俺が作って…」
「あっ…じゃあそしたら洗濯はオレがするね!」
 2人の夢物語は笑顔と共に、どんどんと具体的になっていった。
「俺たちの俺たちだけの楽園に…いつか行こうな」
 蛮が小さく囁くと、銀次は蛮の肩にポスッと寄り掛かり満面の笑みで微笑んだ。
「なんか素敵だね…」
「そうか?」
「うん!すっごく素敵…行けるといいね…ううん、いつか絶対に行きたいね!」
 2人見つめ合うその時だった―






「ようやく見つけたぞ!こんな所に隠れていやがったか!」
 悪魔のような声に蛮と銀次はハッとして振り返る―
 するとそこには既に銃口を二人に向けて手にしている者たちがいた。蛮は咄嗟に銀次を背後に押しやる。そして人数を把握した。
―4人か
「このまま俺たちと一緒に大人しく掴まるか、それとも二人一緒に此処で死ぬか、どちらか選べ」
 蛮はギュッと拳を握った。
―よし!4人ならいける!
 そして顔は前を見据えたまま、背後にいる銀次に語り掛ける。
「銀次、お前は此処に居ろよ…いいな?」
「えっ…!?」
 銀次が顔を上げた時には、既に蛮は追っ手に向かって走り出していた。
「蛮ちゃんっ…」
 すると洞窟の入口近くに4人とは別の、もうひとつの人影があった。その存在に蛮は気付いていないのか!?
「蛮ちゃんっ…ダメっ、待ってっ!」
 銀次は止めようと咄嗟に手を伸ばしたが、蛮に届くことなく悲しく空を切った。そして追っ手が何故今、妖しげに微笑んでいるのかは蛮には分からなかった―
 だが、蛮が一人に襲いかかろうとしたその時だった。
「蛮ちゃんっ、危ない!!」






 遙か遠くで銀次の叫びが聞こえたような気がした―そしてその後はまるでスローモーションのようだった。






 蛮の死角にいたもうひとり―その者の銃が火を噴くのと同時に、蛮の前に現れた人物。
 蛮を庇うように両手を広げ楯になった人物―そして膝を折り、静かに地へと倒れ伏してゆく人物―
 その人物―銀次の心臓を銀の弾が真っ直ぐに貫いたのを、蛮はただ見ているしかなかった。






「いつか楽園に行きたいね」
銀次の最後の笑顔は、未だ止まぬ雨と銃弾の音によってかき消されたのだった―









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