Eden
Scene1






満月が見ていた―
その満月の光の元、オレと蛮ちゃんが、何者かから逃げるように走っていた。
空からは土砂降りの雨が降り注いでいた。
遠くから雷鳴の音も聞こえていた。
だけどオレたちは、そんな雨を気にすることもなく走っていた。
降りしきる雨の中、ただひたすら前を向いて―
パシャン―
水溜まりを踏むとそんな音が返ってくる。
オレたちを殺そうとしているのか―
それとも捕らえようとしているのか―
追ってきている人達の目的がその一体どちらなのかは、オレたちには分からない。




どうしてこんなことになったのだろう…
オレは蛮ちゃんと握っている手の力を少しだけ強めた。
すると蛮ちゃんは、少し振り返っただけで、再び前を見すえると走り続けた。








 時間はそれから数日前へと遡る。
 銀次は体内で電撃を発せられる異端児として、無限城からこの研究所へと連れて来られた。
 そう、無理矢理―
 無限城では銀次を庇おうと攻防が繰り広げられ、その結果、何人もの仲間が傷つき倒れ伏した。
 止めて―!もう、みんなの傷つく姿は見たくない―!
 銀次の叫びで止めを刺されようとした皆への攻撃は収まった。そして銀次は自ら望んで此処へと来た。
 そう―表向きは自らの意志で




「ホントにそれでいいのかよ?」
 銀次の隣にいた男が煙草を吹かしながら不意に呟くように問い掛ける。
「だって仕方ないよ…オレだってホントはイヤだったけど…」
 銀次は膝を抱えると背中を丸めた。そして膝の上に顔を埋めると小さく呟いた。
「でもオレのせいで仲間が傷つけられるのは…もっとイヤだから…」
 その男はフウッと静かに煙を吐くと、床にギュッと煙草を押し消した。
「………か」
「えっ…!?」
 その男の呟きは銀次には届かなかったのであろう―銀次は埋めていた顔を上げ、その男の顔を見る。
「今なんて言ったの?」
「いや、ただ……お前もおんなじかって言っただけだ」
「じゃあ君も無理矢理連れて来られた……その…異端児…なの?」
 異端児―という言葉を銀次は躊躇するように声にした。すると二本目の煙草に火を付けながら、男は一言だけ答えた。
「…あぁ」




 その男の名前は、蛮と言った。年齢は銀次と同じ18歳だった。
 銀次は体内で電気を発せられるから此処へ連れて来られたんだ―と自己紹介したが、蛮はただ、魔女の血を引いているから―としか答えなかった。
 魔女の血を引いているということは一体どんな力があるのか…銀次には想像すらも出来なかった。
「それで…蛮ちゃんは辛かった?」
 そう問われ、驚いた蛮は思わず隣にいる銀次の顔を見つめた。
 何故ならそんなことを言われたのも気遣われたのも初めてだったから―
 化け物と呼ばれるのが当たり前のようになっていたから―
 蛮は視線を銀次から足元に溜まっている吸い殻の山へと移すと、その横に新しい吸い殻を押し付けた。
「俺のことよりお前はどうだったんだよ?そんな力があって辛かったのか?」
 銀次は唇に手を当て、ん〜…と考える。
「そりゃあね…辛かったよ。最初はなんでオレにこんな力があるんだろうって何度も思った。
 でもね、結局オレはオレだし、この力があるお陰で大切な仲間だって守れる。だから今は辛くないよ」
「………」
 辛くないはずはないのに―化け物と呼ばれ蔑まれ辛かったはずなのに―
 それなのにその辛さも遠い記憶のようにあっけらかんとして答える銀次に、蛮は始めて微笑み掛ける。
「お前は強いな…」
「えっ…なぁに?」
「いや、別に…まぁ、俺も…」
 一旦言葉を途切らせ、銀次の方を向く。
「俺も最初は辛かったけどな…でも良いかも…って思ったりもした…今、初めてだけどな」
 意とすることが分からず、銀次は蛮に呼び掛ける。
「…蛮ちゃん?」
「だからその…珍しい力があったお陰で…お前に逢えたからよ」
 照れがあるのだろう。段々と声が小さくなっていく蛮。特に最後の言葉は耳を澄まさないと聞こえない程だった。
 だが銀次にはしっかりと聞こえたのだろう―銀次は満面の笑みで微笑んだ。
「オレも!オレも同じこと思ってたんだ!蛮ちゃんに逢えたから―だからオレはこの力があって嬉しい」
 蛮は満面の笑みで微笑む銀次の顔をグイッと引き寄せた。そして耳元で囁くように語りかけた―
「銀次…俺と―」
 蛮の言葉は途中で途切れた。否、途切らせたと言った方が正確であろう。すると、蛮が言葉を止めたとほぼ同時くらいに看守が入ってきた。
「…お前らさっきから何をコソコソと話している」
 照明が暗いせいで表情までは分からない。だが、声音はひどく、冷たく恐ろしかった。
「別に…なにもねぇよ」
 明らかに面倒くさそうにぶっきらぼうに答えると、看守はふんっと蛮を睨んだ。
「まあいい…お前らの処分はこれから決まる。まあどうせ研究材料になるだろうがな」
「…ヤロー!」
 人を人とも思わない看守の言葉に蛮は拳を握った―
 だが、いち早くそれに気付いた銀次がその拳の上に自分の手を乗せる。思わず振り返ると、銀次は静かに首を横に振った。
 ダメ―と制止するような瞳で―
 その2人のやりとりに気付いていないのか、看守は入口近くの床に食事を盆ごと乱暴に置いた。
「余計なお喋りはするなよ。したらどうなるか分かっているな」
 看守は乱暴に蛮の胸ぐらを掴んだ。そう―これは忠告ではなく脅しであった。
 それから2人を一瞥すると乱暴にドアを閉め去っていった。そして足音が消えたのと同時に、銀次は押さえていた蛮の手を解放する。
 そして静かに呟く。
「ダメ…あの人はダメだよ」
「なんでだよ!あんなヤツぶっ倒すくれぇ簡単なのに…そしたら此処から出れたかもしれねぇのに―」
 だが、憤然と抗議する蛮の言葉は、次の銀次の言葉で止まる。
「あの人は…銀の弾を持ってるから」
―銀の弾。
 異端児を退治するために用いられる特殊な銃の弾。それに撃たれるとどんな力の持ち主でも、死に至る。
「マヂ…かよ」
 銀次は静かに頷いた。そして言葉を続ける。
「オレが此処に来た同じ位に、反抗した子が撃たれて殺されたんだ…オレは止められなかった…。あの人はオレたちを殺すことになんの躊躇もない。研究材料なんて山ほどいるんだって言って躊躇い無く殺すんだ…でもオレは蛮ちゃんにこんな事で死んで欲しくないから…」
 だから止めたのだ―と銀次の言葉にはその意が含まれていた。
 蛮は何かを考えるようにしばらく黙っていたが、僅かな天井の隙間からうっすらと入り込む月光を見ながら呟いた。
「だからって…このままでいいわけねぇだろ…」
 蛮は視線を銀次に戻すと自分の胸の前で拳を力強く握った。そして先ほど言おうとしていた言葉を口にした。
「銀次…俺と逃げよう」
「えっ…?」
 銀次は驚いたように目を大きく見開いた。その表情からはそんなことを微塵にも考えていなかった様子で―
「逃げる…此処から?」
「あぁ…俺はお前をこんな陳腐な所で死なせたくねぇんだ」
「蛮…ちゃん」
 蛮の真剣な眼差しを受けて、銀次は静かに頷いた。
「うん、分かった。一緒に逃げよ!…でもどうやって?」
 同じように真剣な眼差しで蛮を見つめる銀次。蛮はそんな銀次の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜた。
「大丈夫…俺とお前の力…2人の力を合わせれば、なんだって出来るさ」
 蛮のその言葉はまるで魔法のように銀次の心の中に溶けていった。
 生きること、逃げることを諦めていた自分―
 一生此処で過ごすしかないと投げやりになっていた自分―
 先程まで闇が渦を巻いていた銀次の心―
 だが、蛮の放ったたった一言で、銀次の心はすっきりと晴れ渡っていた。
「うん…やろう、蛮ちゃん!オレたちの力を合わせて!」
「…あぁ」







決行は次の満月の夜。
オレたちは此の檻から逃げ出すことを決めた。
満月は人々をおかしくする。
その人々の気の狂いを利用しよう―
蛮ちゃんはそう言った。
行き着く先は、天国か―それとも地獄か―
それは誰にも分からない―









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